親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙の中で、つぎのように書いた箇所のこと。
幼少時以来の周りにいた目上の大人たちって、全然そういうこと(※ 例えば光ばっかりで影が全然ないと、何にも見えなくなっちゃう、みたいなこと)を考慮してなかったように見受けられるんですよね。
やたらと、『好ましくない存在』とか『影』とかいったようなものを、あげつらって、撲滅しようとしてたみたい。
そういうことがホントに可能だと思い込んでた、てことなのかな? 」……と。

 

コレ、どういうことなのか、考えていたところ、もしかしたら、これのことかな? と思えるような文章を、ネットで見つけました。

 

 私の身近には、口を開けば「立派なこと」をいう人がたくさんいた。正義、愛情、正直、教養、それらをさかんに口にした。

 

 そして、その人達に私は振り回され、こづき回され、自分を見失い、疲れ果てた。典型的な自意識過剰で、自己不在の人間となって、生きることに消耗していた。

 

 私の回りには、小さい頃から、抑圧の強い人がたくさんいたのである。つまり、心の底に不安を感じながら、自分が不安な人間であるということを認めない人達である。彼らは生きることを怖れていた。しかし、自分が怖れていることを認めることを拒んでいた。臆病でありながら、自分が臆病であることは決して認めなかった。

 

 自分が臆病であることを心の底で知りながら、それを認めることを拒否した大人ほど、子供に大胆で勇敢であることを求める。自分が利己主義者であるという事実を認めることを拒んだ人ほど、他人に対して厳しく利己主義を禁じる。

 

(1) あなたを苦しめてきたのはだれ? - [著]加藤諦三 - 犬耳書店

 

えっと、これについて自分が考えたことなどについては、また次回以降ということにします。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

 

親愛なる先生へ

昨日のお手紙に書いたようなコト。「い付き」とかなんとか言っちゃってたけど、よく考えたら、あったりまえのことでしたね。

だって、そもそも、「好ましい存在」があるってことは、「好ましくない存在」もあるってことだもの。もしも、「好ましくない存在」が無かったとしたら、「好ましい存在」が「好ましい」のかどうかすら、わかんなくなっちゃうはず。
ちょうど、例えば光ばっかりで影が全然ないと、何にも見えなくなっちゃうみたいに。

それだっていうのに、幼少時以来の周りにいた目上の大人たちって、全然そういうことを考慮してなかったように見受けられるんですよね。
やたらと、「好ましくない存在」とか「影」とかいったようなものを、あげつらって、撲滅しようとしてたみたい。
そういうことがホントに可能だと思い込んでた、てことなのかな? 

まあ、この続きは、また次回以降にしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙で、「非難されたらどうしよう? って、ひるんでしまう場合、どうしたらいいか? 」って書いたんですが、そのあとで、ほんとに思い付きレベルなのでしょうが、チラッとひらめいたことがあったんです。

というのはですね。
昨日のお手紙に、このように書きましたよね。
かたちがあるわけじゃなくても、なにか自分にとって好ましい存在、っていうのかな?  そういうのと、繋がりたい」、と。

そのためには、なにしろ「かたちがあるわけじゃな」いのだから、そうとう目をこらして、敏感にならないといけない。
となると、どうしても、「好ましい存在」だけってわけにはいかなくて、「好ましくない存在」も同様にみえてきちゃう、ってことなのかな? なーんて。

もしも、そういうことなのだったら、これはそうとうに、気をつけないといけないかもしれないですよね……。

それでは、今日のところは、これにて。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙に引用した文。
なんで引用したのか、っていうと、こういうのを応用できないかな、と思ってるから、なんです。

なにも、昨日のお手紙の引用文そのまんまに、何かの「物のスピリットと繋がる」というのがしたい、というわけじゃないんですよね。
つまり、「物」といったかたちがあるわけじゃなくても、なにか自分にとって好ましい存在、っていうのかな?  そういうのと、繋がりたいわけなんですよ。
ちょうど、先生、あなたのような。

ですが、こういうようなことを試みようとするとなると、つい、「そんな事実は存在しないじゃないか」なんて非難されたらどうしよう? って、ひるんでしまうんです。
そういう場合、どうしたらいいか? 
ちょっと次回までに考えてみますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「もし隠れた経験があるのなら、それに見合った、例えば能力のようなものがみがかれてたりはしないだろうか」というようなことを書きました。

そこで思い出したのが、ちょっと前にネットで目にしていた、つぎの文のことです。

 

心を開くというのは、
色々な物のスピリットと繋がることです。

 

パワーストーンとかって言いますよね?
でも、イミテーションの石だって、このペン一つだって、パワーがあるんですよ。

 

何にだって、パワーがあるんです。

 

パワーって言うのは、そのスピリットと、
自分のハートが、本当に繋がった時に、現れるものなんです。


ただ、ハートが開きやすいものが
やっぱり自然界のものだったりするんですね。

 

クリスタルだったり植物だったり、神社仏閣など、
人は自然にハートを開きやすくなるし、だからパワーも得やすいというだけで。

 

だから、天然石が使われやすいんです。

 

でも、畏敬の念を持って接すれば、このペンだって、すごいパワーが出ますよ。
つまり、自分次第ってことです。

 

どんなものであっても、ハートを開いて接する、
そのスピリットと繋がれば、すごいパワーです。

 

よっし~のできるかな? ハートを開く 真の女性性とは その2

 

もしかすると、この引用文で言ってる「パワー」というのと、わたしが昨日のお手紙で持ち出した「能力」というのって、通じるものがあるのかしら? なんて。


でも、この続きは、また次回以降ということで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ