親愛なる先生へ


昨日のお手紙で「渇望」ということについて触れましたが、じゃあわたしの場合は何に「渇望」しているのか、というと……。


まず、ぱっと思い付くのは、4月6日のお手紙で取り上げていた、「かわいがってほしかった」っていうこと、ですかね。


もっとも、ただ「かわいがってほしかった」というだけじゃ、どういうことなのかイメージしにくいわけで。

だから、例えばですが、つぎに引用するブログ記事の一部なんか、参考になるんじゃないかな、と。

 

大切なのは、子供が適切な「受容」によって満たされていたり、素直に親に自分の気持ちや甘えたい感情を示すことができたり、健康状態や精神的な安定があってそこから情緒などが日々安定して過ごせるといったことです。

 

これらがある程度達成されていくと、子供は生活や親との関係の中で「無理のない状態」で過ごすことができます。
子供のこの状態というのは、子供そのものも”かわいい子”であり、親からも素直に”かわいい”と思える姿になります。

 

子育ての最初に目指すのは、この無理のない”かわいい子”という状態だと僕ははっきりと考えています。

 

保育士おとーちゃんの子育て日記 ワークショップ 第一回 「かわいい子に育てる」 vol.1 (2014/11/06)

 

さて、この続きは、また次回以降ってことで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

昨日のお手紙にて、「有り得ないと思い込んでいたことでも、ほんとうは充分有り得ていたはずだったのでは? 」、と書いていたことについて。

一応、こんなふうに考えてみました

まず、すべてにおいて、これがまかり通るなんてことは、それこそ「有り得ない」ですよね。
そんなんだったら、例えば1月8日のお手紙にあった「客観的判断の断固たる無視」みたいに、恐ろしいことになりかねない。

だから、何て言うのかな、感情? を指針に判断するのがいいと思ったりするのです。
言ってみれば、ずーっと欲しくて欲しくてたまらず、それだっていうのに、どーーしても得られず、そもそもどうやったら得られるのかすら皆目見当がつかない。
そういう、いわば“渇望”っていうような有り様に該当するような事柄こそが、じつは「有り得ないと思い込んでいたことでも、ほんとうは充分有り得ていたはず」のことだったりするのかな……な~んて。

では、今日はこのへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙だとか、あとは7月29日のお手紙で書いたような「影をすべて無くすことは決してできない。もしそんなことが可能なのだったら光さえ存在できない」ということなどからわかるとおり、わたしの幼少時に周りにいた親とか目上のひとたちって、いかに有り得ないことを、もっともらしく言ってたか、ってことなんですよね。
(そのことを、ずーっと全然気づくことなく真に受けてた、こちらも大概なものですが。だけど、ちっちゃい子にそんなこと見分けろと言う方が酷なのでは? )

つまり、早い話が、「有り得ないことを押し付けられていたのだ」、と。
そりゃ、苦しくならないわけないですよね。

そうなると、こういうことも成り立ちはしませんでしょうか? 
「有り得ないと思い込んでいたことでも、ほんとうは充分有り得ていたはずだったのでは? 」、と。

まあ、例によって少し、考えてみますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙に、「なにか安心感が持てるようなことが、もうほんのちょっとでもあったのならなあ」と書きましたが、現実問題として、唯一、「安心感」に近づけそうに思えたことといったら、親とか目上のひとたちの言うことに従うこと、だったんじゃないかな。

ところが、「従う」と一口に言ってもですね。
ハッキリ言って、無理難題でした。
5月28日のお手紙に、こんなくだりがあったんです。
「『石橋を叩いて渡る→遅い』のすら、難色を示されてたんですよね。
それこそ1月14日のお手紙に書いたみたいに、『さっさとしなさい、グズグズしないの! 』ってね。」
こんなの、真に受けてたら、もうどうしたらいいかわからず、アタマ真っ白になって固まっちゃうよりほかないじゃないですか! 

かくして、もう、日常生活のごくささいなことですら、ズバリ脅威、みたいな感じに、なってっちゃったんじゃないかなあ、と、思えてしまうんですよね……。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙の中で引用した文を読んで、わたしは、何て言うか、確信(?)したんです。
『やっぱり、幼少時以来の周りにいた目上の大人たちって、「好ましくない存在」とか「影」とかが、怖くてたまらなかったんだな。』と。
だからこそ、いちいちあげつらっては、撲滅しようとしてたんでしょう(そんなことがホントに可能なのかどうかはともかくとして)。

「怖くてたまらな」い、といえば、最近似たようなことをお手紙に書きましたっけね。
7月23日の、「やたら恐れていることがあるんじゃないか」、てくだりです。
モデルっていうかお手本に乏しいなか、ぶっつけ本番でカンペキにやるよう求められりゃ、そりゃやたら恐ろしくもなるってもんよ……って感じに書いてましたが、もしそういう状況でも、なにか安心感が持てるようなことが、もうほんのちょっとでもあったのならなあ、と思うのです。

それでは、今日はこのへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ