親愛なる先生へ

 
昨日のお手紙にて、「『期待』や『コントロール』の、どこがいけないのか? 」というようなことを書きました。
今はともかく、少なくとも自分のこれまでだと、そういうふうだったんですよね。

で、考えたところ、自分のこれまでがそういうふうだったわけは、恐らく「右も左もわからなかった」から、じゃないかと。
こういうようなことは、以前の7月23日のお手紙でも、「幼少時、モデルっていうか、お手本にさせてもらえる存在が、ほとんどいなかった」と書いていましたが。
とにかく、そういうふうだと、「期待」だろうが「コントロール」だろうが、もう誰かから言われるがままにするより他なくなっちゃうんですよ。だって、ホントなあーんにもわかんないんだもの。

こうしてみてみると、自分って、ある意味タイヘンな状況だったのかもしれないんだなあ……。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

 
昨日のお手紙には、「『期待』というものが、これほどまでに厄介だとは……」などと書いてしまったのですが、なんで「厄介」なのか、説明してませんでしたね。

「厄介」な理由、それは要するに、「期待」というものには、すごく巧妙なかたちで欺瞞がひそんでいて、そのことを殆ど意識できていない、っていうことなんじゃないかと思います。

だって現に自分だって、「期待されてる」ことって、ずっといいことだとばっかり思い込んでたもの。

もっといえば、「コントロール」ということだって、パッと見、いったいどこがいけないの? とさえ思ってしまうくらいだったりして。
そりゃ、いいトシした大人に対してだったら、失礼だってわかるけど……。

このへんのところ、ちょっとじっくり考えてみることにしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

 
昨日のお手紙に、「『期待』ということ」を取り上げたのは、じつをいうと、つぎのブログ記事のことが念頭にあったからでした。
少し長いですが、引用しますね。
 

「期待しているよ」と言われる事に対しては

嫌な気持ちになることのほうが多いかもしれません。

何故か?

「期待しているよ」という言葉は、

相手が自分をコントロールしようとしている事の証拠だからです。

「期待してるよ」的な言葉を言われたら

「あ、この人、自分の都合のために相手をコントロールする人だな」って思います。

「期待しているよ」という言葉は、あなたをコントロールしよう試みている証拠、

「期待してたのに!」とか「期待はずれだよ」という言葉はあなたをコントロールした結果、

自分の幸せに貢献しなかったあなたに責任を転嫁している証拠です。

そして自分の苛立ちを抑えられないor隠したいが故に、あなたに八つ当たりしているのです。

 

…(中略)…

 

結局、何が言いたいのかというと

「期待してるよ」とか「期待外れだよ」とか言ってくるような人間は無視しておけばいいってことです。

少なくとも、そんな奴の言葉にあなたが時間を割いたり、

ましてや心を痛める必要なんて全くありません。

その言葉は、すべて相手が自分の幸せのためにあなたを利用しようとした行為であり、

あなたがどうしようがあなたの幸せに貢献することは殆ど無いからです。

更に最悪なのが、変に相手の期待に応えてしまうことです。

だって相手からしたら

「あ、こいつ自分の幸せのために利用できるわ」っていう確信を覚えちゃうからです。

そして、最も気をつけるべきは、

これは殆どの場合「無意識下」で行われているということです。

そして「相手の成長のために」とか勘違いして善意と思っている場合がほとんどです。

皆”いい人”で居たいですからね。

他人への期待というのは相手の幸せを侵す行為です。

相手に自分の期待通りの言動をしてほしいのであれば、

「あなたの人生の時間を、僕の幸せのために少し貸してくれませんか?」ぐらいの気持ちで

最大限の謙虚さと敬意を持ってお願いすべきです。

だって、相手にとって最も大切なのは、その人自身の幸せであって、

あなたがその人の幸せをおすそ分けしてもらう権利なんてどこにもないからです。

「君には期待しているよ」「お前には期待していないから」どっちも気をつけて!!

 

 これを読むと、「期待」というものが、これほどまでに厄介だとは……と驚いてしまう一方で、『なるほど、これまで自分がおぼえていたモヤモヤ気分は、もしかするとこういうことだったのかも! 』と、なんかスッとしたりもします。

それでは、今回はこんなところで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

 
昨日のお手紙に書いた、「『本当に必要なものが与えられなかった』可能性がある」というようなことを、もうちょっと発展させて考えてみると……。

もしかしてだけど、かねてから少し懸案っぽくなっちゃってる「自分が生まれつきブス」問題(?)に、なんとなく解決の糸口が見えてきたかもしれない!? って気がしてきました。

というのはつまり、親の方と自分の方とで、なにか凄い齟齬のようなものが生じていたのかもしれない、と思い至ったからです。
その例として、ひとつ思いつくのは、「期待」ということ。
どうやらわたしは、やたらめったら「期待」されてたんじゃないか、と思えてならないんです。なにしろ、両親の第一子だったってだけでなく、どちらの実家にとっても初孫だったのだから。
とはいえ、「期待」ってやつは、大きくなればなるほど、外れやすくガッカリされやすくなるものなんですよねえ。だからこそ、本来はそんなふうに感じずに済んでいたはずだったかもしれないのに、必要以上に「自分が生まれつきブス」と思い知らされるはめになっちゃってたのかなあ……なんて。

さて、この続きは、また次回以降ということにしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

 
昨日のお手紙に、「自分で自分のことを、『なんて罰当たりな! 』と思ったりして」と書きました。

このことに関連して思い出したのですが、以前から、つぎの文章のことを、ネットで読んでいたのでした。

 

自分の状態を親のせいにはしたくない、と感じることもあるでしょう。 自分はこんなに親にやさしくしてもらったはずなのに、愛されていないなんてことはないはずだ、と。

しかし、どれほど親があなたにエネルギーをそそいだとしても、あなたに本当に必要なものが与えられなかった可能性はあります。それは あなたの親が悪いわけでもなく、あなたが悪いわけでもありません。 そういった人生の流れの中にいただけなのです。自分を責める必要は ありません。

親との関係をしっかり見つめ直すということは、自分の心の傷にしっかりと向き合い、それを癒していくということです。最初は辛い感覚もあると思いますが、そこから新しい人生が開けてきます。

 

親から愛されていないという感覚

 

まあ、もし「本当に必要なものが与えられなかった」のだとしたら、そんなに「罰当たりな! 」などと自責の念にかられることは無くなってきますけどね。

とはいえ、この文章だけでは、いまいち釈然としないなあ……って感じでもあります。


ともあれ、この続きは、また次回以降に。
 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ