親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「幼少時の自分としては、ある意味、理不尽さに耐えないといけなかった」というふうに書いたあと、ちらっと思い付いたのですが……。


だいたい、2月4日のお手紙などで、これまでさんざん出てきている、「お姉さんなんだから」ってやつ。

コレ、それこそ、理不尽なのにも程があるってんですよ。

「お姉さん」になることになったのは、完全・完璧に親の方の事情によるものだ、っていうのに、なんだってこちらばっかり「お姉さんなんだから」ってのを、押し付けられないといけないのか? 

まさに「乱暴」ってもんでしょうよ。


それと、もうひとつ、論理が破綻しているのに気が付いたのですが。

例えば、5月5日のお手紙で取り上げた、幼稚園の椅子取りゲーム。ああいうのって、ズバリ「早い者勝ち」じゃないですか。

だったら、「お姉さん」だって、そうであって然るべきなのでは? 

それなのに、なんだっていちいち、遅れてきた奴ら(すなわち妹たち)に譲らないといけないのか? 

それこそ、ダブルスタンダードと言えるのでは? 


まあとにかく、今回はこんなところで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に、こういうふうに書きました。

「主に目上のひとから強く言われるとなると、もう『とにもかくにも、こちらがカンペキに悪いのだから、なにをさておいても、もっぱらこちらが態度をあらためねばならない』とかって、強迫的? に思っちゃう」、と。


ちょっとコレ、乱暴なのにも程がある、って感じじゃないですか? 

そんなんじゃ、その「目上のひと」は、やりたい放題になってしまう。


だけど、幼少時の自分としては、ある意味、理不尽さに耐えないといけなかったんだしなあ。

ちょっと、4月2日のお手紙に引用した文について、思い出しちゃったりして。(だいぶ以前のことなので、再掲します。)

 

明白なのに、そこを敢えてというからには、私の理解ではまだ及ばない、確たる根拠がそこにあるということ?
…(中略)…
きっぱりと言い切る表情、口調、声等の態度と、それを聞いている人たちの間に何ら不協和が見受けられなかったこと、そういった「それ…(中略)…を当然とする場の雰囲気」

 

違和感のもと|矛盾の発見

  

それでは、今回はこれにて。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で紹介した、「ドラ猫アドラ」のネットの文章のことですが、わたしにとって真っ先に言えることとしては、「課題の分離」ってのが出来てない、ということですかね。

 

アドラ猫「おぬしがどんなに願っても、上司の性格は変わらないし能力が上がるわけでもない。ただ、おぬしの受け止め方や態度を変えることはできる。それが『課題の分離』だ。自分が変われば課長との関係も変わるかもしれないし、変わらないかもしれない」 

 

厄介な上司から自分を守る方法――ドラ猫アドラ の「大人のアドラー力講座」 | 日刊SPA! | ページ 2


コレ、どうやらわたしの場合は、主に目上のひとから強く言われるとなると、もう「とにもかくにも、こちらがカンペキに悪いのだから、なにをさておいても、もっぱらこちらが態度をあらためねばならない」とかって、強迫的? に思っちゃうんです。

(もしかすると、実際は言われてなくても、『いつ言われるか? 』なんてビクビクしてたりするかも!? )


そのへんのところ、どういうことなのか、ちょっと時間をおいて考えてみることにしますね。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙って、要はこういうことかもしれないですね。

「『親に許容される自分でありた』がってしまうと、下手すりゃ『鼻先に人参をぶら下げられた馬みたいな状態』にさせられてしまう」、と。


ホント、つくづく、他の誰かに振り回されないようにしないと、ってことなんでしょうが……苦手なんですよねえ。

そういや、8月21日のお手紙にも、「他の誰かに依拠するようなものであってはダメ」って書いてたっていうのに……。


そんな中、最近こんなネットの記事をみつけて、『なるほど! 』と感じたので、紹介します。


厄介な上司から自分を守る方法――ドラ猫アドラ の「大人のアドラー力講座」 | 日刊SPA!


厄介な上司から自分を守る方法――ドラ猫アドラ の「大人のアドラー力講座」 | 日刊SPA! | ページ 2


厄介な上司から自分を守る方法――ドラ猫アドラ の「大人のアドラー力講座」 | 日刊SPA! | ページ 3


さて、これらについて、具体的にどうなのか、というようなことは、また次回以降に、ということで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

 
昨日のお手紙などでみてきたとおりだと、どうやらわたしは、「右も左もわからなかった」がゆえに、「誰かから言われるがままにするより他なくなっちゃ」ってたんじゃないか……って気がするんです。

だけど、そんな状態って、いかにも無防備で危なっかしいですよね。
よく野放しにしておけたな……てか、なんだって今までずっと解除できてなかったんでしょう? 

もしかしたら、つぎに引用する文のようだったのかも? 

子供は、親に強い信頼感を抱いている。
その上で、親が子供に「○○になって欲しい」という願望をかけられると、子供は自身の望みがそれになってしまう。

 

自分の「こうありたい」 = 親の「こうなってほしい」

になる。

 

しかし、この図式の本当のところは

 

自分の「こうありたい」 = 親に許容される自分でありたい(親に肯定されたい)

 

であり、直接的な親の望みを達成することではない。だが、当の本人にしてもそこに自覚的になれるわけではない。だからこそ、知らず知らずのうちに疲弊していくことになる。


保育士おとーちゃんの子育て日記 「こうであれ」に疲弊する子供たち - 2019.09.02 Mon

 

 つまり、自分はずーっと、「親に許容される自分でありたい」ってことだったんじゃないか、と。
なのに、それはずーっと、かなうことがない。
あたかも、鼻先に人参をぶら下げられた馬みたいな状態だったりしたのかなあ。

それでは、このへんで。
 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ