親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙の中で取り上げた、引用文を読んで、考えたことですが……。

なんか、どうもわたしの場合は、これほどひどくはないよなあ、と思えてしまうのです。無論、客観的にみたとしたら、ってことですが。

それだっていうのに、どういうわけか、生きづらい……って感じだったので、自分で自分のことを、『なんて罰当たりな! 』と思ったりして。

あげくのはてが、3月14日のお手紙よろしく、自分が生まれつきブスだからこそ、皆から大切にされないんだ、などと決めつけたりして。

まあ、そういうのもひっくるめて、「そんなふうに生きたくなかった」というふうに認めちゃえばいい、てことかしらね!? 

それでは、今回はこれにて。
 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙では、「ずいぶんと危うい行為をしてしまっていたのかもなあ」と書いたのですが、当時はすっかり善いことをしているもんだ、と疑わなかったし、きっとほかにどうしようもなかったんですよね。

そう思っていたところ、ネットでこのような文を見つけました。
 

「わざわざ、人に嫉妬するような人生を歩むのではなく、本当ならば、自分に自信を持って、私だって輝いて、愛されて、最初から楽に大切にされて生きていたかった

 

でも、それができないくらい、過酷な状況に居なければならなかったんだ。子供だったからこそ、そこから逃げることもできなかった

 

その結果、私はその環境で必死に生きることしかできず、そこに適応することでしか生きられなかった。不幸でいることや、否定されることが当然だと受けいれるしかなかったんだ。そして、そのまま大人になってしまった……。そして、嫉妬や自己否定や諦め、憎しみ、苛立ち……こうしたネガティブな想いにまみれて生きることになってしまった。

 

そして、そのまま大人になってしまった……。そして、嫉妬や自己否定や諦め、憎しみ、苛立ち……こうしたネガティブな想いにまみれて生きることになってしまった。

 

でも、本当はそんなふうに生きたくなかった」

 

こうやって、はっきりと感じてあげることが大切です。

 

落ちこんだ時はどうすればいい? ネガティブ思考をリセットする方法 | MYLOHAS

 

 よって、しばらくは、この文のとおりを心がけてみようと思います。

ではでは。
 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


 
親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙の中で書いた、「亀の甲より年の功」てこと、もうちょっと説明しないとわかんないですよね。
わたしコレ、実質“未来予知”なことを、“未来予知”だなんて全然認識してなかったんです。つまり、年長者が言うんだから、例えばこれを用意しておかないと……とか何とか。

あと、「亀の甲より年の功」って唱えてた状況って、わたしホントはイヤだったんじゃないか、と思うんです。それでも、年長者が言うんだから……と。
なんか気付いたんですが、これって、アレと構造が同じじゃないですか? 6月4日のお手紙に取り上げた、「『よいことだからする』というのはすべて偽善」てやつと? 

こうしてみていくと、なんか、ずいぶんと危うい行為をしてしまっていたのかもなあ、って思ってしまいますよね……。

それでは、また。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙で、「超能力」の化けの皮が剥がせられたわけですが、そうなってくると、いったいなんだって、これまでは引っ掛かっちゃってたのか? と不思議になってきますよね。

それは、まずひとつには、思考停止させられてたから、てのがあるかも。
ちょうど、3月19日のお手紙にあった「『まーええわ』ということばで打ち切られちゃう」って感じに……。

それと、もうひとつ挙げられると思うのは、わたし一時期、この言葉を自分にしきりと言い聞かせてたんですよね。
「亀の甲より年の功」って。
つまり、自分としては、この言葉を思い浮かべることによって、理不尽なことでもムリヤリ納得しようとしてたんです。
もっとも、今となってはだいぶ通用しなくなってってるんですけどね。なにしろこちらも、けっこう「いいトシ」になってきちゃったわけですから……。

それでは、今回はこのへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


 

親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙で、「超能力」って言葉が再び出てきたことに関連して……。

そういえば、と思い出したのですが、以前からネットでつぎのような文を見つけていたのでした。 

 

私はテレパシストに会ったことがある.
その人はこう言った.

「みんなそう思っていますよ」(暗に「おまえの考えがおかしい」と言っている)

そういうことを言う人には,私はとりあえず「へぇ~」という顔をしてあげる.だって,他人が思っていることがわかると言っているのだから,その人は超能力者なのだと自称しているのだ.そうでなければ,自分の意見を通すために,あるいは私を批判するために,ずいぶんと浅薄な根拠をあげているにすぎない,たいへんにイタい人でしかない.だから私は,相手が本当にテレパシストであったとしても,イタい人であったとしても「へぇ~」という顔をしてあげるのだ.

そもそも,まず「みんな」って誰のことを言っているのかわからない.どういうカテゴリーに含まれている人たちを想定して「みんな」と定義しているのか.まさか世界中の全員を言っているわけではあるまいし,そのテレパシストが付き合っているすべての人と限定したとしても,相当な数である.その人たちのすべての思考を読んでわかっているのだから,本当にすごい能力である.一方,超能力者でないのであれば,知性を疑うような言葉である.「みんな」がそう思っていると自分が思い込んでいるだけでしかない.その主張は,かなりイタい.

 

…(中略)…

 

「あなたの考えることはよくわかるんです」

と,ずばり私の心を読むことができる,と言ってくる人にもあったことがある.しかし,その人の態度をみていると,とても私の考えを読んでいるようには思えないから,実に根拠のない主張をする人だとかわいそうになる.

そして時には,

「そのとき,あなたはきっとそうします.私にはわかるんです」

と言われたこともある.読心術を超えて,とうとう予知能力までもつと主張するのだ.このときは本当に呆れてしまった.その人は,私の行動を想像し,それに対して腹を立てるのである.もうそんな妄想にまでこちらは責任は持てないよ,と思いつつ,自分の妄想に怒り続ける相手が哀れに思えてくるのである.

ディベートなどの議論の場でこのようなことを言えば,即座に負けであることは明白である.というか,そうした人たちとは議論する価値もない.私が出会った上記のような人たちは,すでに立派な大人であった(それどころか年配の人も多かったが).だから私は面と向かってあなたと議論する価値が無い,などとは言えず(私も一応,気配りするのです),「みんなって,誰ですか?」とか,「私の考えがわかるんですか?」とか,尋ねてみる.このように論理立てて質問すると,似非テレパシストは逆ギレすることが多い.そういうときこそ,私の考えを読んで反論すればいいのに.

 

素晴らしき哉,電気工学的人生!: テレパシストが大嫌い

 

これを読めば、「テレパシスト、または超能力者」の化けの皮が剥がせて、じつに爽快ですね。

とくに小気味いいのが、上記引用文の最後のところ。そういや自分も、3月24日のお手紙で書いたように、「相手に」「なじられ」ていたんでしたっけ。あれって、もし本当に考えを読めるのなら、なじったり逆ギレしたりしっこないのでは。だってその「相手」には、とっくのとうにわかってなくちゃいけないんだもの。だから、怒るのは、超能力が使えてない証拠ってもんですよね。


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ