親愛なる先生へ

昨日のお手紙にて疑問を呈した、「いやいや、そんなノンキなことでは、何か取り返しのつかないことになりはしないか? 」なーんて考え。
よく吟味してみたら、もしこういうのがまかり通るとなったら、またもや超能力、ってことになっちゃいますよね。
(超能力については、以前3月25日あたりのお手紙でも出てましたっけ。)

大体、「取り返しがつかないことになりはしないか」って、未来予知ですか!? っての。
それ以前に、そもそも「取り返しがつかないこと」って、時と場合と人にもよるだろうし、一概には言えないのでは? そんな細かいデリケートなところまで、部外者が断言できちゃうわけ? 

なんか、未だに、こんな子どもだましの“超能力脅し”にひっかかっちゃうのは、ハッキリ言って情けないところではあるのだけど。
でも、とっさの場合だと、つい条件反射的に反応しちゃうんだよなあ……。

では、今回はこれにて。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙で書いた、「これから求められる『努力』」について、もう少し詳しくみていこうと思います。

件の「物事には光と影の両方存在してしかるべき(もし片方だけだったら、そもそも存在からして有り得ない)」って発想に従うならば。
とにかく、「正解」ってのがなくなってくるんですよね。
だって、何につけても、不充分なとこがでてきちゃうんだし、その逆もしかり(どんなにダメに思えることでも何か優れた点がある)、だもの。

じゃあ、「正解」がないのなら、何を選べばいいのか? 
それこそ、自分が好きなように選ぶしかなくなってきちゃうのでは? 

だけど、そう考える一方で、「いやいや、そんなノンキなことでは、何か取り返しのつかないことになりはしないか? 」なーんて考えも、どうも否定できないんです。
こういうの、どうしたらいいでしょう? 
またちょっと、考えてみようと思います。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、「小さい頃甘えられなかったことが、未だに尾を引いて、なかば強迫的に『努力しないとダメだ』となっちゃうのでは」というようなことを書きました。
つまり、もしかすると、本来不必要なほどにまで、「努力しないと」って思い詰めちゃってるおそれがあるんですよね。

そこで、現時点で考えられる、こういうふうだったらいいんじゃないかな、っていう、努力のあり方について、少し書いてみようと思います。

まず、「現時点での考え」ということになると、最近よく引き合いに出している、7月29日のお手紙の、「物事には光と影の両方存在してしかるべき(もし片方だけだったら、そもそも存在からして有り得ない)」って発想がありますね。
そしてそういう発想って、どうやらわたしの幼少時以来の周りにいた目上の大人たちからは、ハッキリ言って抜け落ちてたっぽい、と。
だから、今後の自分としては、敢えて意識して、この発想をキープしていくことが大切なのかも。そういうことが、これから求められる「努力」ってことかなー、なんて。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、こんなふうに書いてました。
「なかば強迫的に『努力しないとダメだ』となっちゃうのは、自分のことをちっとも大切に思ってない、てことなのかも。自分のことを基本的によいものだと捉えていない、っていうか。
いったい、どういう事情があって、こういうことになっちゃってるんですかね? 」、と。

で、考えていて、ちょっと思い付いたのが、「これって、小さい頃甘えられなかったことが、未だに尾を引いてる症状なのでは? 」ということ。
つまり、何度も出てきている「努力しないとダメだ」っていうのは、「誰かを頼りにしちゃダメだ」「孤立無援」ってニュアンスなんじゃないか、と。

引き続き、こういうことについて、考えを深めてみますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙で、「努力」について考察したのですが、考えてみたら、ほんとは「努力」なんて全然したくなんかないんですよね。
つまり、人から言われるとか、なにかこのままだとまずいことになりそうだから……ということで、仕方なく「努力」することになってるんです。

それだっていうのに、なかば強迫的に「努力しないとダメだ」となっちゃうのは、自分のことをちっとも大切に思ってない、てことなのかも。自分のことを基本的によいものだと捉えていない、っていうか。

いったい、どういう事情があって、こういうことになっちゃってるんですかね? 
また、しばらく時間をとって、考えてみることにします。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ