親愛なる先生へ

昨日のお手紙の、「なにかがちゃんとできてなくたって、くつろいでいていい」という文、もしかしたら、補足説明があったほうがいいかもしれません。
なぜって、なんだか努力を放棄しちゃった態度のようにも見受けられますもんね。

……そう、この「努力」って言葉。
メチャ大事なこと、として、スッカリ刷り込まれまくってるんですよ。
つまり、「努力」しさえすればうまくいくんだ、逆にいうと、もしなにかマズいことがあるとすれば、それはとにかく「努力」が足りないからだ、と。
そんなふうに信じきっちゃってるとなると、昨日のお手紙の「そもそも『完璧』なんて有り得ない」なんて考え方は、ズバリ、敗北! なんですよね……。

要するに、こうした、「努力の余地」といったものについては、どのようにとらえていけばいいのか? てことかも。

また、次回までに考えてみようと思います。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、「『まともな場所』を頭に持ってい」たい、というようなことを書きましたが、その「まともな場所」を思い描くにあたってのポイントがあるんじゃないかな、と思います。

それは、まず思いつくのは、なんていうか、「完璧主義にならないように」、というようなことですね。
7月29日のお手紙のとおり、物事には光と影の両方存在してしかるべき(もし片方だけだったら、そもそも存在からして有り得ない)なのだから、そもそも「完璧」なんて有り得ない。
なのにわたしはこれまでずっと、周りの大人のおそらく不安や嫉妬ゆえに、「完璧」じゃないと罪悪感というか、なんかすごい敗北感をいだかされてたんですよね。で、落ち着かなくてしかたなかった。
ここで、件の「そもそも『完璧』なんて有り得ない」という言葉の出番。そういう考え方のもとでは、なにかがちゃんとできてなくたって、くつろいでいていいんですよ。

ともあれ、この続きは、また次回以降に。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

 
親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、「他の誰かに依拠するようなものであってはダメ」、なんて書いてたくせに、いざとなると、「これまでとは真逆方向に進んでいくことになるわけで、大丈夫かなー」、なんて弱音が出ちゃったんですよね……。

そんなとき、目についたのが、このツイートです。
 

自己肯定感の悩みについては「他人の評価を気にしない」とか「自分で自分を認めてあげる」といった精神論よりも、無駄に精神を削ってこない「まとも」な人たちと交わるのが手っ取り早い。

 

専門家ではないんであれだけど、人間はもともと群れる生き物だったので、自分がいる環境から心を切り離すことは基本的に出来ない、あるいは出来たとしても多大なエネルギーを要するんですね。なので「他人の評価を気にしない」系の処方箋は神話的というか、常人には無理な要求だと思うんですよ。

 

ただ、たとえ今ではなくても「まともな人」(たち)を知っている、いつかどこかで親しくした、そういう記憶がある人は強いですね。それは「他人の評価を気にしない」という困難な試みに支えを与えてくれる。「まともな場所」を頭に持っているわけですから。人によってはそれが神だったりするけれど。

 

安田鋲太郎さんのツイート 1:35 - 2019年6月25日

 

 ……なるほど、だからわたしが先生をお慕いしたくなるわけなんですね。


それはさておき、昨日のお手紙で言いたかったことを、このツイートをふまえて言い直すと、「『まともな場所』を頭に持っている」こと、ということになるんじゃないかな。


それでは、また。
 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

 
親愛なる先生へ

昨日のお手紙で、「『不安』をこそ、何とかしないと」って書いたんですけど、そんなこと、とっくのとうに、わかってはいたんです。
それこそ、例えば8月1日のお手紙に、「現実問題として、唯一、『安心感』に近づけそうに思えたことといったら、親とか目上のひとたちの言うことに従うこと、だったんじゃないか」って書いてたこと。これなんかまさに、自分なりの「不安対処法」みたいなものだったに違いありません。

ところが、考えてみれば、コレがきっといけなかったんでしょうね。
こんなふうにしちゃってたばっかりに、8月11日のお手紙の「とにかくなにもかもこちらが徹底的に悪い」なんていうヒドい罪悪感を背負いこむことになっていったのでしょうから。

要するに、これからの「不安対処法」としては、とにかく、他の誰かに依拠するようなものであってはダメ、ってことになりますかね。
となると、これまでとは真逆方向に進んでいくことになるわけで、大丈夫かなー、と思わなくもないですが……。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

昨日のお手紙に、「いわゆる“教育熱心”さというのは、もしかすると、『嫉妬』の、いわばカムフラージュだったりするのでは」と書いたのですが、その後、一概にそうとも言い切れないかも……という気がしてきちゃいました。


というのは、つぎの文のような要素がある、って気がついたから。 

 

嫉妬が生まれるところには、同時に不安も生まれてくる。

 

…(中略)…

 

不安は嫉妬に生まれ変わるポテンシャルを抱えている。

 

•頭が悪くなったらどうしよう⇒自分より頭のいい人に嫉妬
•仕事がうまくいかなかったらどうしよう⇒仕事のできる人に嫉妬
•彼氏にフラれたらどうしよう⇒彼氏とラブラブの友達に嫉妬

 

なんて具合だ。


女の嫉妬への対処法!『白雪姫』に学ぶ嫉妬の心理と4つのポイント

 

一方で、「いわゆる“教育熱心”さ」って、得てして「不安」だから、というふうじゃないですか。


ということはつまり。

「嫉妬」であろうと、「いわゆる“教育熱心”さ」であろうと、どちらも、元凶は「不安」なのだから、「不安」をこそ、何とかしないと……ということになりはしませんでしょうか? 


それでは、今回はこのへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ