親愛なる先生へ

昨日のお手紙のあと、ちょっと考えたことですが……。

昨日のお手紙の中で、「『嫉妬』って、なんていうか、どす黒いから、感情をいだいてる本人はなかなか認めようとはしないでしょう」というふうに書いた箇所。

これって、もしかすると、6月3日のお手紙で、こういうふうに書いていた部分と、関連性があるのかなー、なんて。
「『規範意識』『向上心』って言葉を、しきりと重要視するのって、じつは“自分”がないってことのあらわれなのかもしれない・自分のことをダメダメに捉えている」、と。

要するにですね。
いわゆる“教育熱心”さ(「規範意識」「向上心」って言葉を、しきりと重要視するようなこと)というのは、もしかすると、「嫉妬」のような、どす黒い感情の、いわばカムフラージュだったりするのではないのか? なんて思い付いちゃったわけなのですが。

まあ、この続きは、また次回以降にしようと思います。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙の、補足説明をしますね。

昨日のお手紙の中で「もともと問題があったのは親とかの方」と書いたのですが、これがどういうことなのかについて、まっさきに思い浮かぶのが、2月28日のお手紙にて紹介した、

 みたいなことだったりします。


これって、早い話が、「嫉妬」ということなのかもしれませんね。

こういう感情って、なんていうか、どす黒いから、感情をいだいてる本人はなかなか認めようとはしないでしょうけど……。


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ


親愛なる先生へ

昨日のお手紙に、「同じところに戻ってきてしまわないためには、いわば『俯瞰する視点』みたいなものがないと」、というようなことを書いたんですよね。

でまあ、ちょっとそんなつもりで考えてみたところ、ですが……。
気づいたんです。『大体これ、自分のせいじゃないんじゃない? 』って。
つまり、もともと問題があったのは親とかの方で、こっちにはとばっちりがきちゃってただけだ、と。
それだっていうのに、あたかも、こっちばかりが悪いというふうに思い込まされてた、っていうことなんじゃないか? ってね。

まあ、詳しくは次回以降にみていくことにしようと思います。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙の中の、この箇所。
「我慢のしっぱなしで、それを隠してるとなったら、そりゃ誰とも打ち解けられるはずなくなる」ってとこ。
なーんかどっかでみたことありそう……と思ったら、もしかすると、4月13日のお手紙の「コミュニケーション能力は完全に破壊」ってのと同じようなことだったりして!? 

てことは、またもや、出てきちゃってるってことなんですよね~「堂々巡り」ってやつが。
どうして、こんなふうに、同じところに戻ってきてしまうのか!? 
もしかして、まったく斬新な立場っていうか、いわば「俯瞰する視点」みたいなものがないと、てことなのかしら? 

例によって、ちょっと考えてみようと思います。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ

親愛なる先生へ

昨日のお手紙、じつをいうと、あいにくながら、今になってみると、どうにもしっくりこないでいるんです(汗)
とくに、タイトルにまでした、「“埋め合わせ”なんかしなくても、もう“ある”」という部分。なんでそーなるのかという説得力が、まるでないですよね……。

一方で、こちらの文については、なんとも身につまされてしまいます。
それは、「しかるべき時期に、どーしても得られなかった」というもの。
きっと自分って、コレがけっこう想像以上の影響をおよぼしてるんだろうなあ。
「しかるべき時期に、」「得られな」い、となると、そこからムリヤリの我慢のスタートとなるわけで、それがどんどん積み重なって雪だるま式に膨らんでいくんですよ。
こんなに我慢のしっぱなしで、それを隠してるとなったら、そりゃ誰とも打ち解けられるはずなくなる、てもんですよね。

それでは、今回はこれで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ