親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙の最後の方で書いた、「『未来予知という超能力』を振るおうとするのが常態化しちゃってるんじゃないか、そのせいで様々な弊害が出ちゃってるんじゃないか」ということに関連して思い出したのが、何年か前にネットで見かけていた、つぎの文章です。

 

近代以降の人間は「頭」(理性)の思い上がりが強くなってきているので、
「頭」は「心」の出した結論を 「気まぐれで当てにならないもの」と決め付け、
却下してしまうことが多々あります。

これが、人間のさまざまな不自然さや病をひき起こす原因の
根本にあると考えられます。

まるで、天気予報が外れたときに
「予報は正しいのに、天気の方が気まぐれなんだ」と考えるような本末転倒が、
私たち現代人の内部では日常的に起こっているのです。

 

【誤解】「うつ」は心の弱い人がかかるもの 前編 | 四つ葉のあしあと

 

これによると、「心」であれ「天気」であれ、決して「気まぐれで当てにならないもの」なんかじゃない、ってことですよね!? 

そう考えると、なんというか、ちょっと元気が出てくるようです。

 

ではでは。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


昨日のお手紙にて引用した文を読んで、まず思ったこと。

それは、自分の悩みのタネのひとつである、「『○○だったらどうするの? 』って思考」は、ホントものの見事に「『今この瞬間』何も起きていない」というのに当てはまるんだよなあ、ってことです。


そうはいっても、ですね。こう反論したくなっちゃうんですよ。

いくら「『今この瞬間』何も起きていない」のだとしても、「今この瞬間」のつぎの瞬間、そのまたつぎの瞬間……に備えて手を打っておいたりすべきことがあるんじゃないか? と。


まあ確かに、それこそほんとにすぐつぎの瞬間のことだったりすれば、予想も当たることが多いだろうから、備えは有効なのかもしれない。

だけど、100%絶対確実、ってわけじゃないんですよね。

それだっていうのに、普段はそのこと忘れてるのかも。いわば、8月29日のお手紙に出てきてた、「未来予知という超能力」を振るおうとするのが常態化しちゃってるんじゃないか、そのせいで様々な弊害が出ちゃってるんじゃないか……って気がするんですよねえ。


それでは、今日はこのへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


昨日のお手紙に書いていたような、「○○だったらどうするの? 」って思考、はまりこんでしまうともう、際限がないんですよね。

下手すると、なんでもかんでも悪い方にばっかり目が向いてしまったりして……。


そんな事態に対抗できそうな考え方として、もしかしたらこんなのがいいのでは、ってものがあったので、ご紹介します。

 

頭の中で起きていることをチェックしてみてください。
心配、不安、焦り、疑念、期待、失望、満足…
ほとんど、実際には「今この瞬間」何も起きていない事柄ばかりです。

過去や未来に対して勝手に思考を働かせて、
その結果、ある種の感情を味わっているというだけのことです。エゴの独り相撲なのです。
本当に「今この瞬間」自分に起きていることは、ほとんどありません。

何か思考が働き出し、過去や未来に行こうとしたら、
「今、この瞬間!」と思って、思考を引き戻してみてください。

何も起きていません。
心配する必要は、何にもありません。

この「何も起きていない」という安心感。
これはまさしく、エゴから自由になった、本当の自分の状態を確認する行為です。

本来なら思考を働かせて心配していたところ、
思考を止めて「そうではなかった」事に気づくと安心します。
そしてこの「今この瞬間」の安心感こそが、次の瞬間の安心感を創造するのです。

 

The ticket ー今今メソッド Without the Mind

 

さて、これについての自分の考えなどについては、また次回以降に、ということで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

 

親愛なる先生へ


昨日のお手紙の中で引用した文についてですが、あらためて考えてみると、こんなふうな疑問がわいてきてしまうんですよね。

「『オアシスにたどり着き』なんてあるけど、たどり着かなかったらどうするの? 」って。


だってですよ、「認めるだけでいい」なんて悠長なこといってられるのは、「オアシスにたどり着」ける、という前提あってこそ、なんじゃないの? 「たどり着」けないのなら、もう「認める」も何もあったもんじゃないんじゃないの? 

……なーんていう反論を、どうやって封じ込めたらいいのやら、って感じになってきてしまいます。


まあ確かに、これまでずっと不遇続きだったのなら、そんなふうな思考回路になっちゃうのも無理ないんだろうけど、それだと話が進まないですもんね。


どうすればいいか、また少し考えてみようと思います。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、自分で気づいているのが大切」と書いたことに関連して、ふと、だいぶ前にネットで読んでいたブログ記事のことを思い出しました。こういうものです。

 

捨てられないものがたくさんあってもいいよ。
「捨てられない自分がいる」って認めるだけでいい。

 

例えば、砂漠のど真ん中で彷徨っていたとしたら、
たったコップ一杯きりの水が入った水筒を
手放すことはできないよね?

 

だけど
オアシスにたどり着き
その街は到るところから清らかな水が湧き出ていて
いつだって浴びるほど水が飲めるとしたら、
きっと君は後生大事にしていた水筒を
何の抵抗もなく
するりと手放すだろう?
それでいいんだ。
その時がくれば、手放せる。
慌てなくってもいいんだよ。


遊び - ☆Rainbow Light☆

 

これ読んで、つくづく感じるのは、『自分って、まさにこの「砂漠のど真ん中」に居る心持ちってことなんだなあ。』ということです。

それだってのに、「水筒」を持ってちゃいけないんだ! と決めつけて、そのせいで苦しい思いをしてたのかもしれないんですよね。


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaineよ