浅野いにお氏の作品集、「Ctrl+T」を購入。
短編2話、イラストやネーム集、インタビューやQ&Aを含んだ、浅野いにお氏の初の作品集だそうで。そういえば今日発売日だったなー、と思い出かけついでに立ち寄った地元の本屋で、2軒連続で売り切れていたので、何故かムキになって本屋を片っ端から捜索。5軒目で無事ゲット。何やってんだ自分。
漫画家さんに限らず、今の時代に創作活動をする人達は大変だと思う。未だかつて、こんなにも一般人の反響が目に見える時代って、なかったんじゃないだろうか。
この作品集のQ&Aの中でも触れられていたけど、浅野いにお氏もインターネットで自分の名前を検索して、その生々しい一般人の自分に対する意見を目にした事があるそうです。
浅野いにお氏の漫画は賛否両論。「親近感」や「懐かしさ」を感じるという人もいれば、「ファッショナブルな憂鬱」に嫌悪感を覚えるという人まで、その感想は様々。
僕はというと、そりゃまぁ作品集を発売日に買ってしまうくらいだから、もちろん好きな漫画家なんだけども。厳密には、浅野いにお氏の漫画が好きな訳で、浅野いにおという漫画家が好きかと聞かれても、何とも答えようがないのだけれど。
嫌いな人にはそれなりの理由があるらしい。浅野いにお氏の漫画の賛否が別れる背景に、「オタク」や「サブカル」の時代による変遷だかなんだかを交えた意見がネット上にあったりして、それはそれでとても面白いというか、一つの見方だなぁと思ったり。
まぁそれはさて置き。
ネットの普及がもたらした功罪。色んな意見を誰もが自由に(匿名性を含めて)言える様になった事が、人の「選択の余地」の幅を左右する様になったと感じるのは僕だけじゃないと思う。
もうとにかく、世の中には情報が溢れ過ぎていて、どれを選んだらいいのかも判らないまま、不必要な物まで掴まされたりする。できるだけそれを避けようとして、人はまた情報に頼る。選択基準は、「誰か」によって恣意的に行われた「ジャンル分け」や「カテゴライズ」に基づく評価だったりするもんだから、自分でそれを手に取るよりも早く、その存在を切り捨てたりしてしまいがちだ。
情報が与える先入観や、カテゴライズによる障壁が、選択の余地を狭くしたり、無意味な対立を生んでいる気がする。
色んな人がいて、色んな意見がある事を誰もが認識しているのに、どうしてそれを許せないんだろう。感性や趣向は万人にあって当然なのだから、他者の批評や批判に自分の選択を左右される事はないと思う。
良いか悪いかは個人が判断するとして、一番哀しいというか残念なのは、先入観や障壁によって、未見のものに触れる機会が確実に減っているであろうという事。良いか悪いか、好きか嫌いかの議論の前に、作品やアイデアは平等に存在すべきなんじゃないかと思ったりする。
だからほら、オタクだろうがサブカルだろうがリア充だろうが、何だっていいけど、そういうの抜きにして触れてみた時に、何が残るかって話。何か残った人はまた広げてみたらいいし、何も残んなかった人は別のとこを広げてみたらいいって事。最初から自分に合うのを探そうなんて都合のいい考えは、多分きっと通用しないって事なんだ。
何の話かワケが判らなくなってきたけど、まぁいいか。とにかく浅野いにお氏の漫画を通してそんな事を考えたという、まだ少し肌寒い春のある日の話。