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はんどたおるのブログ

日々感じていることをつらつら書いていきます。今からやっておこう認知症予防!

アメリカにとって、中国は付き合いにくい国ですが、日本と並んで米国債を最も買ってくれている上客なので、アメリカが中国と一戦交える蓋然性はないと言っていいでしょう。

 

 

では、同盟国の場合はどうでしょう?

 

 

アメリカの同盟国の主権が、中国に脅かされる事態になったとき、アメリカは軍を出して助けてくれるでしょうか?

 

 

日本にとってアメリカは唯一無二の大親分です。

 

 

ところが、アメリカにとっての日本は同盟国ではありますが、ただの便利な舎弟と言うか、パシリに過ぎません。

 

 

アメリカと緊密な関係を維持しているイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのアングロサクソン諸国の同盟国や、NATO条約加盟国とは違うことを、我々はしっかり認識しておく必要があります。

 

 

安倍政権は、「アメリカと秘密情報をやりとりするためには、日本側で秘密が漏洩しないような仕組みを作る必要がある」として、特定秘密保護法を成立させました。

 

 

日本は、前述した、アメリカ、イギリスなどの5ヶ国で作るエシュロン(軍事通信傍受システム)に参加を認められていません。

 

 

いじらしいまでの親分への忠誠心を必死にアピールすれど、当の親分アメリカは、「よしよし、おりこうだな」と頭をなでなでしてくれるものの、本気で相手にはしてくれていないのが実情です。

 

 

さて、そうは言っても、日米安全保障条約というものがあります。

 

 

この狭い島国に約130もの米軍基地があり、思いやり予算(米軍駐留経費に対する日本側の財政的支援)まで負担しているのだから、いざとなったら助けてくれるはず、でないと割に合わないと思うのが、我々日本人の率直な思いではないでしょうか。

 

 

「日本はアメリカのパシリ」などと言うと、何を大げさなと思う方もいると思いますが、これは別に誇張でも何でもありません。

 

 

例えば、米軍機が墜落したとき、アメリカ軍は事故現場を封鎖し、日本の警察の立ち入りを拒否する法的権限を持っています。

 

 

日本でありながら、日本の捜査権が及ばない、いわゆる治外法権エリアが発生するのです。

 

 

1959年の砂川裁判で、田中耕太郎最高裁長官が、在日米軍の権利を全面的に肯定し、治外法権を確定させる判決文を書いたからです。

 

 

それまで、日本の国内法<日米安保条約<日本国憲法 だったものが、

以降は、日本の国内法<日米安保条約<該当法なし

 

になりました。

 

 

「日米安保条約のような高度な政治問題については、最高裁は憲法判断をしない」という判決を出してしまったのです。

 

 

 

結果、日本人の基本的人権を侵害しているとして、米軍機の飛行の差し止めを求める訴訟を起こしても、最高裁は「米軍は第三者だから、日本政府に対して飛行の差し止めを求めることはできない(第三者行為論)」という摩訶不思議な判断をするのです。

 

 

米軍機は、日本の上空のどこを飛んでもいいことになっています。

唯一禁止されているのが、「米軍住宅地」です。

 

理由は「墜落したら危ないから」です。

日本人が住んでいるところは平気で低空飛行するくせに、まあひどい話です。

 

 

首都圏上空も同じです。

日本の飛行機は、横田空域と呼ばれる米軍の管理空域を飛ぶことを許されていません。

 

 

だから羽田から西へ向かう飛行機は、まず東の千葉方面へ飛んで、そこから急旋回、急上昇して、この空域を避けるという非効率で危険なことをやらされているわけです。

 

日本の空なのに、アメリカに支配されている、これが現実なのです。

 

 

 

子どもの頃、社会科で、「憲法は法体系の最上位にある」と教わりましたが、実際は、「日米安全保障条約」に優位性があり、まさにアメリカのやりたい放題なのです。

 

 

 

さて、アメリカの本音は、「日本が中国と仲良くするのは困る。でも喧嘩に発展するなど以てのほか。適度な緊張関係を維持しながら付き合え」と言ったところでしょうか。

 

 

ちなみに、日米安全保障条約第5条にはこう記されています。

 

 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない

 

 

要は、「有事があったとき、施政権が及ぶ範囲でのみ軍を出す」

と言うことが明記されているのです。

 

仮に中国が尖閣諸島を占領し、兵站を作ってしまったら、国際法上の施政権は中国が握ることになり、アメリカは軍隊を出しません。

 

 

しかもアメリカが、日本のために軍隊を出すためには、憲法上の手続きが必要で、上下両院の承諾を必要とするなど、二重三重のしばりをかけ、軍を出動しなくてすむようにしているのです。

他国への攻撃も、自国への攻撃とみなし集団的自衛権を発動するNATO加盟国との決定的な違いがそこにはあります。

 

 

そりゃそうです。

繰り返しになりますが、日本にとってのアメリカは唯一無二の存在ですが、アメリカにとって日本は、数ある同盟国の一つ、しかも重要度はそれほど高くない。

 

そんな国のために、安易に軍隊を出したくない、中国と揉めたくない、そう考えるのは当然のことです。

 

 

アメリカはここ20年の間、国外にある基地を3分の1にまで減らしてきました。

 

 

アメリカは、自分たちが世界に冠たる民主主義国家であることを標榜している国なので、基地を置いている国の住民投票などで、「基地はいらない」との民意が示された場合、これを無視できないというジレンマを抱えています。

 

 

フィリピンは、(ピナツボ火山の影響があったとはいえ)クラーク空軍基地、スービック海軍基地の返還に成功しました。

 

 

アメリカ軍基地を全部なくすのは現実的ではありませんが、一つも減る気配すらないのはなぜでしょうか?

 

 

それは、アメリカの日本に対する絶対的な法的優位性と、アメリカに追従することで恩恵を被る人たちがいるからです。

 

 

具体的には、対米追従路線を取ることで、長期政権への道筋が見えると考える政権与党や、月二回開催される日米合同委員会(外務省北米局長を始めとする各省庁のエリート官僚と、在日米軍のトップで構成される委員会)のメンバーなどです。

 

 

メディアもあまり触れませんが、辺野古移設はアメリカが要求したのではなく、日本側がアメリカに要請したことが分かっています。

 

 

ですから、基地の存続を望んでいる権力構造がある限り、日本の米軍基地は永久に不滅です、って長島の引退セレモニーか!

 

 

日米同盟は大切です。

 

でも戦争で疲弊し「世界の警察」の看板を下ろしつつあるアメリカ、そのアメリカの顔色をうかがいながら、覇権拡大を狙う中国を見るにつけ、アメリカだけに頼っていて果たしていいのかと言う疑問が沸いてきます。

 

 

あくまで僕の個人的意見ですが、「アメリカ頼み」の体制から、少しずつ脱却して、自分たちの生命と財産は自分たちで守るという道を模索し始める時期に来ているのではないか。

 

具体的なことは、またの機会に書いてみたいと思います。

あるラジオ番組で触れていたのですが、僕なりに広げてみたい話題があります。

 

関西人あるあると言うか、関西人にしか共感できないものに「知らんけど」「知らんけどな」があります。

 

 

「駅前に出来たたこ焼きの店、めっちゃ美味いらしいで、知らんけど」

 

「いやいや絶対違うと思うで、知らんけどな」

 

 

 

僕は兵庫県出身ですが、東京の生活の方が長くなってしまいました。

東京の大学に通い、東京で就職し、女房が東京出身なので、普段は東京弁?を喋っています。

 

でも兵庫の両親や弟、妹、友人と話すときは自然と関西弁になります。

 

 

東京弁と比較して、関西弁は余計なものをくっつける習慣があるような気が、ずっとしていました。

 

言い出しにしても、すっと話し出せばいいのに、

 

「いうてもな」

 

「正味な話な」

 

「こんなん言うのもアレやけどな」

 

あと赤井英和風に

「まま、あれですけどね、」

とか(爆)

 

 

なぜ関西人は話のはじめ、終わりに余計なものを付けるのか?

 

 

「知らんけど」と聞くと関西人以外の人は、そこに無責任さ、言い訳じみたニュアンスを感じ取るかも知れません。

 

でも違うのです。

 

これは「断定することを恥じる文化からくる、控えめなへりくだり表現」なのです。

 

 

前述した「正味な話な」なども、これから話す内容を自分(話し手)は真面目に捉えている、だから真剣に聞いてほしいという事前の情報提供、相手に対する配慮なのです。

 

東京弁に訳すなら、

 

「真面目な話をしますので、(心して聞いていただきたい)」

ということなのです。

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

全部嘘でした。

はんどたおるが創作したお話です。

 

 

だって、東京弁でも

「正味な話な」の代わりにキムタクが流行らした「ぶっちゃけ」とかあるし(^_^;)

 

 

「こんなこと言うのもあれですけど」など普通に言うし(;´д`)

ポール・マッカートニーが来日中。

昨年の公演キャンセルから、約一年ぶりに日本の地を踏んだそうです。

 

 

ポール・マッカートニーには特別な思い入れがあります。

 

 

中学生になって、FMAMの深夜ラジオを聴くようになると、僕もご多分にもれず、さまざまな音楽に夢中になりました。

 

兵庫県に住んでいましたが、東京の文化放送など、キー局をかろうじて聞くことができたのは、本当にラッキーでした。

 

「オールナイト・ニッポン」「セイ!ヤング」「パックイン・ミュージック」でかかる音楽は新鮮で、特にポール・マッカートニーに夢中になりました。

 

 

残念ながら、ビートルズはすでに解散しており、ソロ、ウィングスのバンド活動のポールをリアルタイムで聴き、ビートルズの曲は知り合いからレコードを借りて聴くという生活を送っていました。

 

野球・陸上の練習でクタクタになっても、明け方までラジオを聴くという生活を送り……若いっていいですね、今やったら3日で死んでしまうかもです(^_^;)

 

 

1980年、ポールがビートルズ以来の来日をすることになり、大学生になっていた僕は、友人と有楽町の読売ホールのチケット売り場に前日の夕方から徹夜して並び、念願のチケットをゲット!

 

ところが、当のポールはなんと、成田空港で大麻所持により逮捕、留置所へ。

 

 

当然コンサートは中止になりました。

 

友人と、朝までやけ酒をあおったことは言うまでもありません。

 

 

僕はチケットを払い戻しましたが、友人はまだ持っています。

幻のチケットだから、マニアの間では、おそらく高い値がついていることでしょう()

 

 

19903月、ポールが来日し、ビートルズ以来24年ぶりの公演を行うとのニュースを耳にしましたが、当時の僕は日々の生活に忙殺されており、また精神的な余裕もなく、ライブに行くことなど微塵も考えていませんでした。

 

ある日、友人から電話が。

「おーい、久しぶり。ポールのライブ行くよな?チケットお前の分も買っておいたから!」

 

僕の答えは、当然Yes!!!

 

その友人とは、卒業以来ほとんど会っていなかったのですが、改めて友達のありがたさを実感した瞬間でした。

 

 

あの大麻事件から、10年の歳月が過ぎていました。

 

東京ドームで、憧れのポール・マッカートニーの姿を見、歌声を聴いた僕たちは、大学生に戻ったような気分で、かけがえのない時間を共有しました。

 

 

大学時代は、いろんなライブ、いやコンサート(笑)に行きましたね。

エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ボブ・ディラン、吉田拓郎、松任谷由実…。

 

 

自分でもバンドを組み、学園祭などで演奏しました。

コンテストなどにも出場したんですよ、落ちたけど。(汗)

 

 

大学4年で解散したのですが、記念にレコードを作ろうということになり、オリジナルLPレコードを製作しました。

夏休みを利用して、みんなでバイトをして資金を稼ぎ、スタジオ使用料とプレス代を捻出しました。

たしか200枚だったかな、友人を中心に全部売りました。

義理で買ってくれた友人が多かったかも(^_^;)

 

 

ジャケットはボロボロになってしまいましたが、今でもそのレコードは僕の手元にあります。

 

レコードプレーヤーを持っていないので、聴くことはできないんですけど。(^_^;)

 

 

これです。

一番左が僕です。




裏ジャケットには、レコーディング風景が載っています。

しかしまあ、着ているものを見ると、何とも時代を感じますねぇ・・・。