こんにちは。

カエル塾心屋流とアドラー心理学で
ワタシを生きるお手伝い

リーこと柄沢由理(からさわゆり)です。






土曜日は
東京Beトレでした。


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わたし
先月のBeトレから
この1か月ちょっとで
たくさん前者・後者について
書かれているブログを読んだ。



自分自身は

前者のわたしと後者の周り と
後者の息子をどうやって前者にしようとしたか

を書いてとっても楽になり
すごくスッキリしていたんだけれど


どんどん話が白熱していくと
自分が前者だと言うことが
とてもおこがましいような
恥ずかしいような
そんな気持ちでいっぱいになった。




だって
ぢんさん
こうさかあきこさん
このふたりが前者だというなら
ここに名前を並べるなんて畏れ多い


できるできないに
しっかりとらわれて
あんな風にできない
と思ったし


前者の中でも
モドキ
なりそこない
イマイチ
スーパーではない前者
たいしたことない前者
悪意だけ山盛りある前者


そんな風に自分を見ていて
それを受け入れることが
自分を知ることなんだと思ったら



楽になったはずのこの話が
また自分を
小さく見積もる理由になったりして


でもそこが受け入れ処だと
開き直ったりもして


もう何だかなーという気分が
ずっとあった。





5角形の話で言えば
前者はバランス型。
どこかが飛びぬけているわけじゃなくて
全体的にバランスがいい。


その飛びぬけないことは
自分自身がとっても自覚しているから
そこはもう目指すところではない
それはよくわかる。



ただ
前者の中でも
ぢんさんや
こうさかさんは大きな5角形
わたしはものすごく小さな5角形
そんなイメージだから


まぁとにかく器が小さいのだと。




そして
お皿に例えて言うなら


後者は小さくても大きくても
どこかそのお皿にしかない味のある
1点もののお皿
形がいびつでも
お皿として用をなさなくても
飾っておきたくなるような
人の心を引き付ける器



かたやわたしは
大きさもなく
機能性もそこまで良くなく
例えて言うなら
同じ形でたくさん積み重ねられている
かわりはいくらでもあるような
そんな取り皿のよう




結局
人と比べるところに入り込んで
自分を見てしまって

その
悲しいというより
何とも言えないガッカリ感を
今思っている自分の立ち位置を


Beトレの何日か前に
師匠である
カエル姉さんに話したのだけれど




そんなわたしに姉さんは
ねぇ、そこがまずちがうよ、と言った。





同じお皿が重なっているというけど
それがまず違う。
同じように見えるけど
同じものなんてないんだよ。
同じじゃないんだよ。
すでにひとつしかないんだよ。
そこ、自覚してる?


その1つしかないお皿を
自分で更にみがいていくんだよ。
ピカピカにしていくんだよ。






そんな風に言われて
ああそうかと思って。

だから
そんなイメージを浮かべながら
Beトレに参加した。


そして
ぢんさんの5角形の話を聞いて
たくさんの例え話を聞いて
その上で
歌を聞いていたら




わたしの頭に浮かんだのは

お皿ではなく
5角形が更に角を増やし
立体となった


体積のある
ダイアモンドだった。









人は
平面じゃなくて
立体なんだ。

わたしは自分を
小さな
平均的な
これといって特徴のない
人の中に埋もれてしまう


そんな5角形だと思っていたけれど
そもそも
平らじゃなくて
奥ゆきがある。
裏側に
わたしのまだ知らない
何かが飛び出ているかも。
手前にも
少し飛び出しているかも。




そう思ったら
『わたしにしかない形』が
ふわ~と浮かんできて


姉さんの言うように
それをみがいていくことは


自分の中の
ダイアモンドをみがいていくこと
自分を輝かせていくこと


自分のダイアモンドをみがき
自分自身をみがき
自分でもまだ知らない自分をみがいていく


わたしにしかできないでこぼこ
わたしにしかできない球体
わたしにしかみがけない輝き


ベースはそれぞれあるけれど
特徴はあるけれど
ひとりひとりは
もともと1点もの。


そんなイメージがぐわーっと湧いて
2曲目を聞きながら
(タイトル忘れた)
じんわり泣いた。





わたしだけのダイアモンドをみがけば

きっとその輝きがいいと言ってくれる人がいて
きっとその形がいいと言ってくれる人がいて
きっとその大きさがいいと言ってくれる人がいる





みがくというのは

ダメさを認めること
弱さを出すこと
人に頼むこと
甘えること
やりたくないことをやめること
得意なことを隠さないこと
できないふりをしないこと
好きなことを全開にすること
やりたいことに、まっすぐになること
素直になること
自分に集中すること



そんな風に
自分が自分をみがいていけばいい。

そしたら
自分が思っているより
輝きも
形も
大きさも
想像を超えたものが出てくるかもしれない






前者・後者は
ベースの違い。

どちらだとしても

自分にしかないものをみがいていくことに
なんら変わりはない。



あの人の輝きに憧れながら
わたしの輝きを見つける


あの人の輝きとは違うわたしを許して
わたしだけの輝きを放つことを許す




成長するって許すこと
成長するって楽になること
成長するって楽しみなこと
成長するって自分の知らない自分に出会うこと






そう思ったら

わたしも
子どもたちも
周りの人たちも

やっぱり大丈夫なんだ。



わたしたちがみがいていくのは
どんなダイアモンドだろう?
どんな形だろう?
どんな大きさ?
もしかしたら色もついてる?
もしかしたらダイアモンドじゃなかったりして。


でも、それでもいい。





成長するって許すこと。

自分のすべてを許すこと。
周りのすべてを許すこと。


前者であることを許して
後者であることをを許して
どちらかわからないことさえ許して

みがいていけばいいんじゃないか。




もう許そー
もう許していいよー



1週まわって

やっぱりここに
戻って来るんだな。




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