個人自営業として『アメージング』を始めたのが1987年で、23歳の時。
当初は「雑貨メーカー」という肩書で、商品を作っては大きなカバンに詰めて、東京や横浜の雑貨屋に営業に行って買ってもらっていた。
当時の雑貨業界は六掛け(売値の60%が卸値)だった。
当時売っていたバラの鏡
宇宙物の最後
初めての花をモチーフにした作品
バラのバレッタ
今でも好きなネコの鏡
某ショップの依頼で制作した巨大な時計
直径1メートルくらい
インテリアでやっていこうと決めた作品
めちゃめちゃ売れた
今でも気に入っている壁掛け時計
売れなかった…
自分なりになんか吹っ切れた
立体時計
私の出世作、ブロック時計
(私はアーティストではないけどね)
バブルが崩壊して日本経済がデフレになり、商品の価格帯が3分の1程度まで落ちてきて、ショップに卸すマージンがかかっては、とうていやっていけない状況になってしまったので、その頃ようやく普及しはじめていたパソコンと、ネットショップしか生き残る道はないと判断して、思い切ってホームページを制作して(全部自分で)、ネットショップに転身したのが2001年7月のこと。
完全なアナログタイプの私はパソコンがキライだったから、ものすごくハードルが高く、そしてお話にならないくらい大変だったな。
約2~3ヶ月かけてホームページを作成して、大手のサーバーをレンタルして公開したのは6月だったのだけれど、いざパソコンでホームページを見てみようとすると、全然開かない、ものすごく時間がかかる。
今の人には理解できないだろうけれど、当初は普通電話回線でネットをしていたから、今のようにページがサクサク見られる、なんてことはまったくなくて、さらに中継基地局もまだまだ少なく、私が住んでいた田舎のエリアと、サーバーとの相性が悪かったのだろう、公開したページを見ることができず、泣く泣くほかのサーバーと再契約することにして、7月から正式にネットショップを開店した。
あたりまえだけど、公開したからといってアクセスなんてほとんどない。
その頃はまだネットショップが少なくて、まして個人のクラフト作家が運営しているホームページなんかは本当に少なくて、そうしたショップさんと「相互リンク(死語)」し合うことで、お互いにアクセスアップに協力し合うのが常道だったな。
注文なんて入るわけもなく、毎日が死に物狂いだった。
両親にはずいぶん迷惑をかけた、今もだけど。
原形作りに自信がついた
リングホルダー
全然売れなかったけれど
マーブル模様を会得して
複雑な成型方法にチャレンジした
私にとっては貴重な作品
これが作れる人はまずいない
むずかしいのは文字盤
ムーブメントが見えないように
工夫してある
初めて注文が入った時の驚きと感動は、今でも忘れられない。
その年の秋ごろ、近所の友人が東急ハンズに勤めていて、その友人から
「売り場の担当がコロコロ変わるから、レジンの造形についてお客さんから質問されても答えられない。 クマちゃんのホームページにHowtoページを作ってくれない? そうしたらお客さんにそのページを見てもらうようにするから」
といわれて作成したのが、その後の私の人生を変えるきっかけとなる『Howto~レジン教室』。
その当時、ネット上でレジンについて解説しているページはほとんどなかったし、それまでに蓄積してきた知識と技術ではだれにも負けない自信があった。
2週間に1回公開する連載形式でページを増やしていった。
このページを作ったことで、アクセス数が飛躍的に増えたし、パソコンで図を描くのも上達した。
そしてネットの恩恵を実感することとなる。
当時あった出版社、雄鶏社から、日本で初めてとなるレジンのテキスト本監修の依頼が来た。
『ホームページを拝見して連絡させていただきました』
以降、このフレーズとともにいろいろな仕事が入ってくるようになった。
雄鶏社刊
「透明樹脂・レジンで作るアクセサリー&雑貨」
撮影風景
このテキスト本を監修した当時、ドライフラワーをレジンに閉じ込めて作るレジンフラワー作品を作りはじめていて、独自のドライフラワー製法を考案したのもこの頃。
テキストを監修したことが、当時あった某認定スクールの講師の仕事へとつながり、それが私が考案したドライフラワー製法が世の中に出るきっかけとなったのだから、『透明樹脂・レジンで作るアクセサリー&雑貨』の仕事が、私の人生における分岐点だったんだろうな、と今思う。
最初の頃のレジンフラワー作品
シリカゲルで作ったバラで
「これじゃ本当のバラに見えない」
と思ったのが新製法考案のきっかけ
某認定スクール風景
こうしたつながりがまた、河出書房新社でのテキスト監修へとつながって、そのテキストを監修したことが、その後の仕事につながっていった。
河出書房新社刊
『レジン・透明樹脂で作るアクセサリー』
撮影風景
「透明樹脂」と付いているのは
レジンという言葉が
まだ一般的でない
という編集部上層の判断で
河出書房新社刊
『アクセサリー作りのためのレジンの教科書』
撮影風景
レジンが普及したことで
本のタイトルから
透明樹脂が消えた
ネット上に活動の場所を移してから20年間、とにかく毎日が必死だったし、あっという間だったな。
この20年間、自分なりに意識し、自分に課してきたことは
『人と同じこと、マネは絶対にしない』
『新作には必ずひとつは新しいアイディアやテクニックを取り入れる』
『どんなに苦しくても、売れ線をねらわない』
ということ。
これはとても大変なことだけど、この気持ちを持ち続けているかぎり先に進むことができるからね。
そしてそういう気持ちでステップアップしてきたからこそ、レジンという素材、レジンでの創作というジャンルの普及と発展に、ほんの少しでも役に立てたと自負しているし、今も毎日いろんな方面の方からのご質問にお答えすることができている。
ひとついいことがあると、そのあとに必ずといっていいほど悪いことがやってくる。
それをなんとか乗り越えると、そのご褒美にように次の仕事につながる。
そしてまたコロナ禍のような悪いことがやってくる。
今回も乗り越えられるかな? ひょっとしたらこれでダメになるかもだけど、先のことはだれにもわからないから、毎日を必死に生きるしかないね。
さてさて、どうなりますやら。
レジン創作のテクニックとコツをくわしく解説
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