今日は予定していた仕事が後回しになったので、今朝、休日となりました。
それなので、出勤予定時間に出発して 都内へ。
クリスチャン・ボルタンスキー
アニミタス-さざめく亡霊たち
東京都庭園美術館
クリスチャン・ボルタンスキーはこの夏の瀬戸内国際芸術祭でも強烈な作品に接したばかりの 今、大活躍の芸術家。
まずは、エントランスで彼のインタビュー映像。
その内容はHPの以下の文と同様。
『フランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキー(1944年-)は、映像作品やパフォーマンス性の高い作品を制作していた初期から現在まで一貫して、歴史の中で濾過される記憶の蘇生、匿名の個人/集団の生(存在)と死(消滅)を表現してきました。
自己の幼年時代の再構築にはじまるボルタンスキーの記憶をめぐる探求は、次第に他者の記憶のアーカイヴへとその主題を移し、1980年代には、ヨーロッパを中心に歴史認識を再考する議論が活発化した社会状況や、ユダヤ系フランス人の父親の死に呼応するように、先の大戦にまつわる歴史と記憶、殊にホロコーストを想起させるようになります。写真や衣服、ビスケットの缶などごく日常的な素材に人間の根源的なテーマを滑り込ませるインスタレーションは、それを知覚する鑑賞者の感情を揺り動かし、見るものと見られるものの記憶の交錯を生み出します。
東京で初個展となる本展では、時代の転換期の中で重ねられた歴史と、往来した人々の記憶を宿す旧朝香宮邸で、<亡霊たち>のさざめく舞台が展開します。踊る影に、名もなき人々の眼差しに、遠い地で微かな音色を奏でている数百本の風鈴に、そしてささやく「声」に、<亡霊たち>は立ち現れます。この<亡霊たち>は、すでに失われた過去のものではなく、「アニミタス」という言葉の語源が「霊魂」のほかに「生命」をあらわすように、今ここに存在しないもの(あるいは、したかもしれないもの)、まだ生まれていないものたちが、この世界に確かに存在し、そうした無数の「他者」と共に私たちは生きているということを伝えるものです。
ここ東京都庭園美術館で<亡霊たち>と鑑賞者の眼差しが出会うたびに、時間と空間と記憶が入り混じり、美術館を超えて世界を知覚するための新しい眼差しが生まれるでしょう。』
庭園美術館でのボルタンスキーの作品は、6作品。ちょっぴり期待外れの少なさ。風鈴の作品は 瀬戸内の現場の映像を流すという展示。心臓音も瀬戸内よりも小さな部屋の中で、人の特定がされていない展示。これらは元を観ている私には迫力半減。
期待大で行き過ぎた面もありました。
それと、土日は写真撮影不可は残念。平日に行けば良かった、けど、平日は無理か…
ただ、リニューアルした庭園美術館、その建物そのものも併せて楽しめるのは お得でした。
展覧会のあとは、紅葉の庭園を散歩。今日は暖かく 散歩日和。
その後、代々木まで移動。
日本モーツァルト協会 講演会
14:00〜16:30
会場:アトリエ・ムジカ
講師:小倉 貴久子先生
テーマ:「モーツァルトが出会った音楽家たち2」(全3回)
〜モーツァルトが出会った作曲家とモーツァルトのクラヴィーア作品に焦点をあてて〜
HPによると
『日本を代表するフォルテピアノ奏者である小倉貴久子先生に、
モーツァルトが出会った作曲家とモーツァルトのクラヴィーア
作品に焦点をあてて、ピアノ演奏を交えながらお話しいただきます。』
今日の演奏はホールのピアノに 小倉さんのクラヴィコードを持ち込んでの講演会。
前半はモーツァルトとバッハ父子(フリーデマン、フリードリヒ、エマニュエル)について。
モーツァルトがスヴィーテン男爵のところでバロック音楽のホームコンサートに参加したときに受けた影響についてのお話と クラヴィコードの実演とCDを聴きながらの講義でした。
私の好きなフリードリヒ バッハについてはモーツァルトとの接点はほとんど知られていない様ですが、小倉さんは、2人が共通に作曲した「キラキラ星変奏曲」は フリードリヒ バッハがモーツァルトのファンであったようなことから、モーツァルトのその作品を知ってからの作品ではないか…と推論されていました。
また、エマニュエルのロンドにはなんと ビブラートを加える旨の記号が自筆スコアにあることが紹介されていました。
当時は、最も表現力がある鍵盤楽器は『クラヴィコード』と評されていたことも紹介されました。
後半はクラウス、ベートーヴェン、フンメルとモーツァルトについて。
クラウスについては、モーツァルトの死後 モーツァルトを悼んで作られた『葬送交響曲』を中心に。
ベートーヴェンは『葬送ソナタ』とモーツァルトの『トルコ行進曲つきソナタ』の類似性について。
また、トルコ趣味のフォルテピアノによるベートーヴェンの「トルコ行進曲の主題による変奏曲」をCDで聴きました。この楽器はモーツァルトのソナタの時代には無かったので、モーツァルトの作品に使うのは、厳密には時代から外れた選択とのこと。
フンメルは モーツァルトのジュピター交響曲の終楽章の主題がヘ短調のソナタの最後にそのまま使われている、とのこと。
今日はまさかのクラヴィコード演奏が聴けるなど、午前、午後となかなか充実した1日となりました。