残されていく者の存在意義。
祖父が亡くなりました。
数少ない親族の、初めての死。
死因は新型コロナ肺炎による免疫低下から併発したニューモシスチス肺炎でした。
危篤の報に、急遽の帰省。
県外在住者の来院謝絶する病院と、
急遽の抗原検査対応をしてくださる町の処方箋薬局。
全身を包む無菌服、
視界の悪い中見た最後の祖父の姿を、
握られた指の感触を、
生涯忘れることはないと思います。
この文章は、その備忘録です。
18歳から穴を空けた実家は空虚で、
絶えず続く歪み合いの応酬が、余計に悲しさを引き立てました。
立ち会える時間の限りを生きてくれて、
面会期限を終えた日の夜中には訃報の電話が鳴りました。
翌日からの弔事は慌ただしく、
儀式の作法を学んでいるうちに、あっという間に祖父は骨だけになってしまいました。
何を思ってか、弔事の最中まで祖父のこれまでの行いに苦言を呈してた祖母。
火葬を終えた後の、「…爺ちゃん、こんなになっちゃったの?」という一言を、
私はこの先も忘れられることはないと思います。
祖父は、ずっと正体不明の信念があり、
家族に対してもどこか最後の一線は心ゆるさない人でした。
なので、その時その時の感情の理由が相手からすると理解が追いつかない、変な人だなと思ったことでしょう。
そんな祖父の内面性に気付くまでおよそ30年も掛かってしまったのです。
身内の死を初めて直面したということは、
これからまた訪れる機会があるということで、
それを繰り返して、いずれは自分の番が来るのだと、認識する機会となりました。
願わくは祖母が1日でも長く健康で居られますように。
漠然と知ったつもりでいた死生観は、
今回で根底から覆され、深い水面下から来るような暗く冷たい孤独感で胸がいっぱいになりました。
湿った話にならないよう、
忙しかった弔事の話を周りの人たちとの話題に出してみると、
意外と何人もの人がそれを経験していて、
自分だけが特別胸が痛くて堪らないわけではないことを実感します。
あぁ、あなたのお母さんが亡くなったとき、こんな気持ちだったんだ。
あぁ、あなたの兄弟が亡くなったとき、こんな気持ちだったんだ。
あの時、その人の闇を払えるような言葉をかけてやることが出来ず、本当に本当に申し訳ない。
でも、それらを知った今でも、残された人間にかけてやれる言葉は余計に分からない。
昨今、多様な生き方の可能性が世の中に可視化され、己が人生の描き方は自由度が高くなりました。
自由度が高くなったということは、逆にシステマチックには生きづらくなってきているということ。
個人の在り方、
家族の在り方、
社会の在り方、
それらに変化が起こりうる可能性が高い今、
30代となった自分たちが握らされている船の舵は、
相当に重たいものではないかと改めて思います。
もしかしたら個人の死生観も変わってしまうんじゃないかと不安に思うこともあります。
そうなってしまっても、今回のこの感情を、決して忘れないことが、残されていくものの存在意義だと信じ、書き残します。