Яe:ホリデイ。 -3ページ目

日常のキリトリ線

ヒト気の無いビル街の真ん中。
人は居ないのに、オフィスの灯が照らす夜の大通り。
今にも降り出しそうな湿った空気。


誰かの遠回しな優しさに気付いた瞬間。
部屋の中の冷たい壁に寄り掛かっては、少しずつ酔いがほどけていく瞬間。
窓から入る少し冷えた風。
玄関に脱ぎ捨てられたピカピカの靴。


高く登った太陽の強い木漏れ日。
シャツの裾を撫でる夏前の風。
少しずつ遠ざかる雑踏。
社会の歯車から無力な個人に戻っていく時間。


桜散る並木道。
夏の真ん中で童心に帰って飲むラムネ。
紅葉以外、灰色に染まっていく街。
厚いコートをすり抜けて肌を突き刺す冬の匂い。


ある晴れた日に突然降る雨。
曇天に包まれた梅雨の日の駅。
傘を持ち寄って寝巻きで行く近所のドラッグストア。


月曜の昼過ぎに来るLINE。
火曜の飲み会の帰りのひとりぼっち。
いつもより早く寝たいと思う水曜。
誰かと食事をしたい木曜。
やっと仕事が終わったあとの金曜の待ち合わせ。


余計な一言で衝突して凹んだ瞬間。
目を見て笑ってくれた瞬間。
泣きたいだろうに、笑い話に昇華しようとする誰かの哀しみが伝染した瞬間。
仕事で褒められた瞬間。
少しずつ、なにひとつ、消えず蓄積された、過去の痛みや哀しみ、誰かの泣いてる姿、それらが不意に思い出された瞬間。

風呂あがりに飲む炭酸。
寝る前の音楽。
ベッド転がる昔からのタオルケット。



忘れないようにメモしておこう。



目に美しければ心は朽ちる。


過ごしやすい春の日の訪れ。
少し乾いた夜が続く最中、小さな春の兆しを桜が知らせ、
桜が咲く頃には雨が、風が毎日続き、
その花弁を全力で散らしに掛かる。
そうして桜散り切った頃、陽気な春の日となるのです。


桜の散る姿、年々増して美しく見える。
切なく見える。
光の破片が溢れて目の中いっぱいに広がる。


もう29回も見ている光景なのに、
より一層美しく見えるのは、
心が少しずつ、朽ちていっているから。
身が朽ちていっているからなのかもしれない。


それは確実に自分が今生きて、
確実に死に向かって歩んでいるからなのかもしれない。


私たちは死生観を、時には同じ人間以外の存在から学ぶこともあります。


命は、身体と心に宿るけれど、
心は生き様の写し鏡みたいなもので、
心が敏感に感じとったものは、
喜びあっても、痛みであっても、大切にとっておくべき。
それを知ってみて、普遍的な光景に
有り難さを感じ取るんでしょう。


自分を大切さを知るということは、
他の誰かの大切さを知るということです。

普遍的な光景の中に美しさを見出せたならば、
自分の中の大切なものも見つけられずはずです。

心朽ちて豊かになる心もある。
そう信じて20代最後の春の日を迎えました。

これから来る時代の波に流されて溺れてしまわないように。
誰か泳ぐことをやめてしまわないように。
自分は自分を大切にすることを、やめずに今年も生きていよう。


今年はたくさん桜を見に行きました。
大きな木の下で散る姿をたくさん目に焼き付けました。
今までそれとも、これから見るそれとも違う景色だったと、非常に感慨深く思います。

生きているあなたへ。

桜の予報はいつも、
雨と強い風と共に来る。
週末見に行こうかなと
心躍らせるのも束の間、
あっという間に花吹雪となって
四月の雪と錯覚する。


咲く、ということは
終わる、ということでもあると、
散る姿を見るたびに、
走馬灯のように過去の思い出が目に飛び込んできては
瞬く間に終わる。
散る桜に涙するのは
滞留した無念の情を集めるから
ダメですよ、と教えられたものの、
涙なしにはこの四月の雪を見つめられない。


そんな一瞬の季節でさえも、
3シーズンのお休みを経てして今日に至る。
どんなモノにも、充電期間が必要である。


いま、こうしてここで生きているあなたが、
この舞う桜を死んでゆく姿と捉えてしまうことは、
いま、こうしてここで生きているあなたが、
まるで終わりを待つ者かのように感じる。


芽吹く命は自分が思っているよりも
泥臭く根を下ろしているのだ。