Яe:ホリデイ。 -9ページ目
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つまるところ。

つまるところ、自分の中の正義を貫くことは、すべての調和に対する裏切りとも言えます。

調律を乱すということはすなわち不協和音、出た杭になる瞬間とは、自分の中の正義が立ち上がった瞬間です。

そして、声の大きい調律師ほど、本当はうちに秘めた正義がそこらにつまっているのです。

さらに、そんな人に調律されて出来上がった人間ほど、うちには何もつまっていないのです。

そう、つまらないのです。



天然の調律師とは本当に稀です。
自分の中の正義がそのまま調和となっているのですから。根拠のない魅力に溢れてます。
そんな人の周りには沢山の人が集まります。
本当のヒーローです。


つまっている人は、その存在自体が必ず誰かを惹きつけます。
つまっていない人は、ヒーローに自分の余白をつめてもらうのです。


正義と悪は表裏一体で、
正義も悪も平和と共存することはなく、
調律の取れた平和とは、正義も悪も存在しない第三のルール、価値観の割り算の上に登場します。


つまるところ、善悪で判断するこころには何もつまらないのです。

愛情を。

「愛」


歳を重ねる度に、それはとても大事なことだと頭が認識していきます。

昔はとてもじゃないですが口にするのも恥ずかしいものでした。



愛は逢で、哀で、相でもあって、

アイとは心で、逢瀬でそれを認識し、相手を敬い、時に哀れな自分を浮き彫りにしていきます。

一番不明瞭なもので、一番答えという答えが無い、蓋を開けるたびに中身が変わるものだと思っています。

それを求める人間とは、スゴイ生き物だと思うものでもあります。


やがて歳を重ねるごとにシンプルな考えに行き着き、愛情を否定する理由は削れて無くなり、ヒトの本能とも呼ばれる「人に求められる欲」を突き詰めた先が、誰かにとっても最終的な居場所になります。



漠然とした愛という言葉が心よりも先行し、耳や目から入る情報が先入観を生み、浅はかな知識を並べて「愛情」を知ったつもりでいた頃と比べると、だいぶ心境に変化がありました。



その最たるは、いかなる結果であろうと正直でいることです。



子供はズルをするもので、その時の知恵をフル回転して、自己防衛の最善策を取ります。


受け身の取り方が分からないから、傷付きたくない。

少なからず自分はそうでした。



愛情を諦める理由も、拒絶する理由も、逆にそうされた理由もすべて相手の中に作り、本当に傷付かないための予防線を張りました。



結局今思うのは、そんなの本当にどうでもいいなぁってことです。



誰かを選ぶということは、誰かと比べ優先する、別の誰かよりも大切にしたいと思う心ですが、それは差別に等しい。

究極のエゴで汚い本能だと、思います。



無償の気持ちを有償に捉えて対価を求める。

そんな人間にはなりたくないと思います。

せめてたった一人にだけでも、一生を無償であげられる人を目指していきたいと思います。


森の中の木である。

人生の中で向き合わなければいけないこと。


それが決して楽しいテーマではなかった場合、
それを考えることはどれだけの哀しさを人生にもたらすでしょうか。


学生時代を過ごす中で、無知であるが故に喜怒哀楽の全てを伴う課題や壁やイベントはいつも傍にありました。


毎日を楽しんでは毎日を悩み、毎日を同じ感情で生きた日はなかったと思います。


やがて痛みを知り、言葉が持つ精神的な影響力を知った私は、他人のモチベーションやコミュニティの空気を感じて、偶像的なコミュニケーションを目指すようになりました。


東北大震災、家族問題、将来、セクシャリティ、特定外でのコミュニケーション


これら全て、漠然たる向き合いのまま、
闇の中に放り捨てているのが現実です。


学生時代から成長したのは社会性や士気の上げ方であって、精神的には寧ろ退化しているような気もします。


心の荷物は置いていけと教えてくれたのは一体誰なんでしょうか。
きっと、誰でもない自分自身だということは百も承知なのでした。


激化する情報化社会の、そのど真ん中で耳や目を塞いでしまっては、酒やセックスや良くしてくれる周りの人達で毎日を埋めている自分自身。


少しだけ情けないなと思ってしまう機会がありました。


楽しいと感じる、悲しいと感じる心に向き合うことが出来る温かい時間を、いつかちゃんと作ろうと思います。
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