5月ってどんな月
5月は日本では素晴らしい季節である。
四季を明瞭に区別する日本で、5月というのはほぼ全ての日本人が期待し待ち焦がれる季節といえる。
いやー、意外に雨の多い5月だ、今年の5月は薄寒い、等と言われる年も無くはないが、それは稀である。
この時期、多くの日本人は、父、母、子になぞらえた親子の「こいのぼり」を家の庭に挙げ、鯉のごとくに子供が元気に育つことを祈ったものである。
この5月の賛歌は日本だけではなく、ドイツ、オーストリア等の曲にもあり、例えばフランツ・シューベルトの「冬の旅」の曲の中にも----あの麗しの5月に( アム ブンデル ショーネン モーナット マイ )----というセリフで始まる5月賛歌の唄がある。
それにしても、最近、5月のこいのぼり挙げ、正月の凧揚げなどが、何とも影が薄くなったことに心が痛む。
町が一つの事業として毎年行うものは別にしても、孤立した家々の集まりで成り立つ集落においては、家と家との協力が殆ど無いものだから、町全体として何もしなくなるという傾向が強い。
東京の郊外では特に、昔には存在した町の自治組織が廃止となったために、今や、隣にいる人の名前も知らないということが多く、このような所で、個人的に、もしも、事をなそうとすると、ただただ迷惑をかけることになって仕舞う。
5月に関して私共が忘れてはいけないことは、やはり日本国憲法のことだろう。
明治時代からの大日本帝国憲法が日本の敗戦を機に消滅し、昭和20年8月15日の終戦以後の日本によって戦後の憲法が編み出され、昭和21年11月3日は新憲法公布の日となり、ここで戦後の新憲法が日本国民に公布されたのです。
その半年後、昭和22年5月3日に新憲法が発布され、戦後の日本が万事この新しい憲法に基づいて維持管理(憲法発布)されることになったのです。
ここで公布と発布の区別がややこしいけれども、終戦後2年目の11月に新憲法の内容が国民に知らされ、それからさらに半年後の翌年5月に実行に移されたわけです。
現在、新憲法記念日といえば5月3日をさすことになります。
さて、
私の5月に関わる話は、可なり散漫な話になったのですが、最後に、私の生まれ故郷に関わる話を付け加えることにします。
私は三陸沿岸の町、釜石の生まれで、そこの仏教寺院の次男として生まれました。
親父が亡くなったあと、兄が寺の跡を継ぎ、これまでの大津波と昭和20年の釜石大空襲で亡くなった何万人という人たちの追悼の為に、巨大な釜石大観音と仏舎利塔を建立しました。
この大観音では、毎年5月に津波犠牲者の追悼会を開催しております。
この大観音は、額の赤いライトで、魚船の乗組員が迷わずに寄港できるよう手助けをしております。
この観音の足許には過去の津波で亡くなった有名無名の土地の人々が祭られており、このようなご先祖様や無縁仏様、水子、三陸津波犠牲者の為の祈祷も、毎年5月に行われており、日本の東北が、東京よりも1月遅れで桜が満開になることと合わせて、多くの住民に訴えるべき魂の祭典はまさに5月をもって人々に訴えるものなのだと深く感じている訳です。
2015年5月1日
瀬川 爾朗
四季を明瞭に区別する日本で、5月というのはほぼ全ての日本人が期待し待ち焦がれる季節といえる。
いやー、意外に雨の多い5月だ、今年の5月は薄寒い、等と言われる年も無くはないが、それは稀である。
この時期、多くの日本人は、父、母、子になぞらえた親子の「こいのぼり」を家の庭に挙げ、鯉のごとくに子供が元気に育つことを祈ったものである。
この5月の賛歌は日本だけではなく、ドイツ、オーストリア等の曲にもあり、例えばフランツ・シューベルトの「冬の旅」の曲の中にも----あの麗しの5月に( アム ブンデル ショーネン モーナット マイ )----というセリフで始まる5月賛歌の唄がある。
それにしても、最近、5月のこいのぼり挙げ、正月の凧揚げなどが、何とも影が薄くなったことに心が痛む。
町が一つの事業として毎年行うものは別にしても、孤立した家々の集まりで成り立つ集落においては、家と家との協力が殆ど無いものだから、町全体として何もしなくなるという傾向が強い。
東京の郊外では特に、昔には存在した町の自治組織が廃止となったために、今や、隣にいる人の名前も知らないということが多く、このような所で、個人的に、もしも、事をなそうとすると、ただただ迷惑をかけることになって仕舞う。
5月に関して私共が忘れてはいけないことは、やはり日本国憲法のことだろう。
明治時代からの大日本帝国憲法が日本の敗戦を機に消滅し、昭和20年8月15日の終戦以後の日本によって戦後の憲法が編み出され、昭和21年11月3日は新憲法公布の日となり、ここで戦後の新憲法が日本国民に公布されたのです。
その半年後、昭和22年5月3日に新憲法が発布され、戦後の日本が万事この新しい憲法に基づいて維持管理(憲法発布)されることになったのです。
ここで公布と発布の区別がややこしいけれども、終戦後2年目の11月に新憲法の内容が国民に知らされ、それからさらに半年後の翌年5月に実行に移されたわけです。
現在、新憲法記念日といえば5月3日をさすことになります。
さて、
私の5月に関わる話は、可なり散漫な話になったのですが、最後に、私の生まれ故郷に関わる話を付け加えることにします。
私は三陸沿岸の町、釜石の生まれで、そこの仏教寺院の次男として生まれました。
親父が亡くなったあと、兄が寺の跡を継ぎ、これまでの大津波と昭和20年の釜石大空襲で亡くなった何万人という人たちの追悼の為に、巨大な釜石大観音と仏舎利塔を建立しました。
この大観音では、毎年5月に津波犠牲者の追悼会を開催しております。
この大観音は、額の赤いライトで、魚船の乗組員が迷わずに寄港できるよう手助けをしております。
この観音の足許には過去の津波で亡くなった有名無名の土地の人々が祭られており、このようなご先祖様や無縁仏様、水子、三陸津波犠牲者の為の祈祷も、毎年5月に行われており、日本の東北が、東京よりも1月遅れで桜が満開になることと合わせて、多くの住民に訴えるべき魂の祭典はまさに5月をもって人々に訴えるものなのだと深く感じている訳です。
2015年5月1日
瀬川 爾朗
April Foolと停年
4月1日は昔はApril Foolの日とよばれ、この日は他人に嘘をついても、それで騙された人を4月バカと呼んでいました。
この習慣は外国から伝わったものなのでしょうが、結構もてはやされ、4月1日の新聞には大きく取り上げられたものでした。
しかし、最近は殆ど話題にならなくなったのですね。
世の中にはあまりにも騙しが多くなったものですから、騙されたと言って笑っているゆとりが無くなった所為でしょうか。
4月1日は、また、人の仕事の停年の日でもあります。
外国では9月が停年の月となる国が多い中、国の数は少ないのですが、明治時代以来、日本は未だに4月を停年の月としております。
私は、日本では四季がはっきりしているため、満開の桜が国中を覆う4月は、人が気分を入れ替えるための最適の時節であることは明らかであると思っています。
外国では大学の学期が9月を境目とする国も多く、諸外国との人の交流を考えると、4月では不便だとも言えますが、これは何とかなりそうな気がしております。
日本の四季は、実は、外国人が羨むほどの見事な生活のリズムとなっていますので、これを無視してはいけないということが私の信念です。
さて、最近では停年の年齢が60歳から65歳に変り、さらに進んで、70歳にまでなんなんとしています。
これは人が歳をとっても若さを保ち続けているという健康上の理由が最も大きいものですが、これと人間の出産可能年齢とが不釣り合いであるために、若者が極端に減ってくるというアンバランスに悩まされることになります。
すでに私の以前のBLOGでも述べたように、人の寿命が延びる場合には、停年を延ばすと同時に、人の出産可能年齢(男女共に)も伸ばさなければ、若者が生まれなくなり、年寄りだけの国民となって、やがて国が滅びると思います。
一年の中の4月1日には日本では幼児から老年に至るまで何かしら新しいことが起こり、将来への大きな希望、あるいは再出発を目指す大きな決心、あるいは最悪の場合には絶望感、等が身体を駆け巡る時だと思うのです。
この時に、若者ならば将来への大きな発展を願い、あるいは絶望感と斬り結び、年齢者では健康に恵まれたことを仏に感謝し、体力の続く限り世のため人のために供養することになるであろうと思うのです。
停年の年齢は、年金の蓄えにも大きく影響を与えます。
年金では投資している期間と投資金額、返還してもらう時期と返還金額が大きく左右され、その判断はかなり難しい問題になります。
これと、働き盛りの若者を増やし、その気にさせないと、年寄りも若者も共に弱ったり、疲れたりして、一国の国民のバランスが崩れ、やはり国の滅亡に関わってきます。
この過程においてきわめて重要なことは、若者の教育とやる気の養成、その親たちの頑張りと賢明さが極めて重要になり、国の将来の発展を支えることになる訳です。
4月1日という日は、かくの如く日本人の心を支え、国全体が大きく発展する要となる訳ですので、今後April Foolではなくて、April Wisdomと読んだらどうでしょうか。
瀬川 爾朗
2015年4月1日
この習慣は外国から伝わったものなのでしょうが、結構もてはやされ、4月1日の新聞には大きく取り上げられたものでした。
しかし、最近は殆ど話題にならなくなったのですね。
世の中にはあまりにも騙しが多くなったものですから、騙されたと言って笑っているゆとりが無くなった所為でしょうか。
4月1日は、また、人の仕事の停年の日でもあります。
外国では9月が停年の月となる国が多い中、国の数は少ないのですが、明治時代以来、日本は未だに4月を停年の月としております。
私は、日本では四季がはっきりしているため、満開の桜が国中を覆う4月は、人が気分を入れ替えるための最適の時節であることは明らかであると思っています。
外国では大学の学期が9月を境目とする国も多く、諸外国との人の交流を考えると、4月では不便だとも言えますが、これは何とかなりそうな気がしております。
日本の四季は、実は、外国人が羨むほどの見事な生活のリズムとなっていますので、これを無視してはいけないということが私の信念です。
さて、最近では停年の年齢が60歳から65歳に変り、さらに進んで、70歳にまでなんなんとしています。
これは人が歳をとっても若さを保ち続けているという健康上の理由が最も大きいものですが、これと人間の出産可能年齢とが不釣り合いであるために、若者が極端に減ってくるというアンバランスに悩まされることになります。
すでに私の以前のBLOGでも述べたように、人の寿命が延びる場合には、停年を延ばすと同時に、人の出産可能年齢(男女共に)も伸ばさなければ、若者が生まれなくなり、年寄りだけの国民となって、やがて国が滅びると思います。
一年の中の4月1日には日本では幼児から老年に至るまで何かしら新しいことが起こり、将来への大きな希望、あるいは再出発を目指す大きな決心、あるいは最悪の場合には絶望感、等が身体を駆け巡る時だと思うのです。
この時に、若者ならば将来への大きな発展を願い、あるいは絶望感と斬り結び、年齢者では健康に恵まれたことを仏に感謝し、体力の続く限り世のため人のために供養することになるであろうと思うのです。
停年の年齢は、年金の蓄えにも大きく影響を与えます。
年金では投資している期間と投資金額、返還してもらう時期と返還金額が大きく左右され、その判断はかなり難しい問題になります。
これと、働き盛りの若者を増やし、その気にさせないと、年寄りも若者も共に弱ったり、疲れたりして、一国の国民のバランスが崩れ、やはり国の滅亡に関わってきます。
この過程においてきわめて重要なことは、若者の教育とやる気の養成、その親たちの頑張りと賢明さが極めて重要になり、国の将来の発展を支えることになる訳です。
4月1日という日は、かくの如く日本人の心を支え、国全体が大きく発展する要となる訳ですので、今後April Foolではなくて、April Wisdomと読んだらどうでしょうか。
瀬川 爾朗
2015年4月1日
長生きよりも高年齢出産をめざせ
我が国は年寄りを大事にし、年寄りの福祉、特に高齢者に対する減税と手厚い医療に大きな力が注がれています。
その結果として日本国民の平均寿命が世界でもトップクラスとなり、嘗ての悩みがあたかも解決されたかの如く見えるようになりました。
しかし、このことが逆に、国民全体のバランスを崩し、将来日本の人口が大きく減少し、国としての迫力がなくなってしまうという、恐ろしい事態を招くことになったのです。しかもそれは、今後の問題ではなくて、現に起こっている問題です。
日本では男女ともに、若者が大いに働き、資産を増やし、豊かな生活を獲得することに務めます。
また、その子供にも十分な学力を得させ、世の中に尽すように勧めます。
しかし、仕事に専念することと結婚生活とは両立しないことが多く、男女ともに独身者を増加させ、子供を産めない環境が広がります。
この傾向は、日本の場合、若者が皆東京に集まることを促し、地方では、大きな都市といえども、今後、人口が次第に減っていく傾向となると言われています。
この恐ろしい現象を解決するのは、国民の平均年齢を高めることではなく、人の出産可能年齢を高めることではないかと考えるのです。
現在、妊娠し出産可能な年齢は、女は38歳、男は45歳と言われております。
男女のこの年齢は仕事熱心な最近の若者があっという間に達する年齢です。
逆に、この年齢に達すると、人は結婚や子供のことをやっとその気で考えるようになるのです。
しかし、もはや手遅れです。この時に初めて、生活は楽になったが今後どうなるのだろう、という新たな、しかし、遅すぎる真実にたどり着くのです。この現象が日本中に広まったらどうなるだろう。
中年男女は居るけれども、若者の居ない世の中、そしてやがて老人だけになる日本国、思うだけでも恐ろしい光景です。
男女ともに若い時代に働き、且つ時が来れば子供が造れる時代、それは高年齢出産が可能な時代とすることです。
現状で望まれる環境は、男女ともにあと10歳出産可能年齢を延長することではないだろうか。
ある外国人と話をしたら、この地球で出産年齢世界一のコンテストを始めたらどうだろう、と提案してくれました。
60歳或いは70歳で子供が生めるという世の中にすれば、近隣で明るい子供の笑い声、泣き声が響き、本来老齢であるはずの親も、思わず30代40代の声で子供に呼びかける、という時代が来る、やー楽しいじゃないか。このような世の中、どうしたら作れるだろうか?
現在、日本での最高年齢は120歳に迫る値であり、100歳過ぎの人も昔の100倍、つまり50,000人位になっていると聞く。
この飛躍的な日本人の高年齢は戦後20-25歳延びている。
これは将に日本の老人医学の成果なのだが、今後、老人医学を再び成人医学に戻して、人の若年性をより長く維持する手法の開発に務めるべきではないだろうか。
60歳位までは子供を造れるという時代が待ち望まれる。
これは可能に違いない。そのことが、今度は人の寿命を140歳位まで伸ばすことになったらどうしよう?
うーーん
2015年3月1日 瀬川 爾朗
その結果として日本国民の平均寿命が世界でもトップクラスとなり、嘗ての悩みがあたかも解決されたかの如く見えるようになりました。
しかし、このことが逆に、国民全体のバランスを崩し、将来日本の人口が大きく減少し、国としての迫力がなくなってしまうという、恐ろしい事態を招くことになったのです。しかもそれは、今後の問題ではなくて、現に起こっている問題です。
日本では男女ともに、若者が大いに働き、資産を増やし、豊かな生活を獲得することに務めます。
また、その子供にも十分な学力を得させ、世の中に尽すように勧めます。
しかし、仕事に専念することと結婚生活とは両立しないことが多く、男女ともに独身者を増加させ、子供を産めない環境が広がります。
この傾向は、日本の場合、若者が皆東京に集まることを促し、地方では、大きな都市といえども、今後、人口が次第に減っていく傾向となると言われています。
この恐ろしい現象を解決するのは、国民の平均年齢を高めることではなく、人の出産可能年齢を高めることではないかと考えるのです。
現在、妊娠し出産可能な年齢は、女は38歳、男は45歳と言われております。
男女のこの年齢は仕事熱心な最近の若者があっという間に達する年齢です。
逆に、この年齢に達すると、人は結婚や子供のことをやっとその気で考えるようになるのです。
しかし、もはや手遅れです。この時に初めて、生活は楽になったが今後どうなるのだろう、という新たな、しかし、遅すぎる真実にたどり着くのです。この現象が日本中に広まったらどうなるだろう。
中年男女は居るけれども、若者の居ない世の中、そしてやがて老人だけになる日本国、思うだけでも恐ろしい光景です。
男女ともに若い時代に働き、且つ時が来れば子供が造れる時代、それは高年齢出産が可能な時代とすることです。
現状で望まれる環境は、男女ともにあと10歳出産可能年齢を延長することではないだろうか。
ある外国人と話をしたら、この地球で出産年齢世界一のコンテストを始めたらどうだろう、と提案してくれました。
60歳或いは70歳で子供が生めるという世の中にすれば、近隣で明るい子供の笑い声、泣き声が響き、本来老齢であるはずの親も、思わず30代40代の声で子供に呼びかける、という時代が来る、やー楽しいじゃないか。このような世の中、どうしたら作れるだろうか?
現在、日本での最高年齢は120歳に迫る値であり、100歳過ぎの人も昔の100倍、つまり50,000人位になっていると聞く。
この飛躍的な日本人の高年齢は戦後20-25歳延びている。
これは将に日本の老人医学の成果なのだが、今後、老人医学を再び成人医学に戻して、人の若年性をより長く維持する手法の開発に務めるべきではないだろうか。
60歳位までは子供を造れるという時代が待ち望まれる。
これは可能に違いない。そのことが、今度は人の寿命を140歳位まで伸ばすことになったらどうしよう?
うーーん
2015年3月1日 瀬川 爾朗