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9月を迎えて

9月は年の変わり目であった。


私が子供の頃は、210日(9月1日)、220日(9月11日)という日が年間の生活のもう一つの区切りであった。

夏休みも終わりに近づくと、210日、220日の嵐が来るので、そろそろ水泳も終わりだな、腐れかかった軒も修理しなければ、という事が親の心配ごとであった。

ちなみにこの日の算え方は、立春の日(2月4日)から算えたものである。


最近の天気予報、気候予測は、国民の期待に反し、期待はずれのことが多いと思うのは気のせいだろうか。

かつて210日、220日の嵐が既定の事実のごとく信じられて、これらの日に嵐が続けてくる、と子供たちは信じていた時代、あれは一体何だったのだろうか。


最近の気象予報の中で画期的と思われることは、台風予測である。

それは、気象衛星の与える情報の賜物であろう。

その一方で、気候の長期予報はいまだしという感がある。

台風よりもはるかに大きい大気大循環の動きは、太陽、大気、海洋、海底という4元素の世界の現象である為に、現代科学でもさらなる探求が続けられているようだ。



8月のBLOGで、今年もクーラーなしで頑張るぞ、と宣言した。

その事後報告をしよう。


昨年は楽に凌いだのだが、今年は厳しい。

今日までで、日本では数週間の熱暑日が休みなく続いている。

昨年は昼には35℃でも夜は27~28℃で息抜きを与えてくれた。

しかし、今年は違う。

私の書斎兼寝室は昼33℃、夜は30℃である。

窓の開け閉めや扇風機の使い方も、外部環境を睨み、よく考えて実行する。

もちろん、部屋ではほぼ裸で暮らしているが、これはみじめとは裏腹に、自分を65年前の子供に戻してくれる。

何か若さが戻ったような気にさせる。



熱中症という病気にかかったことは、私自身はないと思っている。

しかし、暑くてぐったりする気分の時、たまたま私の血圧は上110、下65、脈拍75 位であることを発見した。

これは私の通常値よりはかなり低い。

脈拍だけは高まっている。

外部環境が過熱すると人体は防御反応として、体内の発熱を早く発散させるために、血管が緩み(太くなる)血流を速めるのではないだろうか。

昔、母が夏に道を歩いているとき、何か「へかへか」としてうずくまってしまったという話をしたことがある。

「へかへか」は岩手言葉だと思うが、日頃低血圧だと言っていた母が、岩手に居ながらも、時々軽い熱中症にかかっていたのかもしれない。

もちろん大昔の事なので、今のように社会問題になることはなかった。


9月といえば、1日は防災の日である。

1923年9月1日正午に関東大震災が起こり、東京はほぼ全滅した。

死者14万人?だといわれている。

少し前までは、この日に総理大臣を長とし、気象庁長官を現場の長とする防災訓練が厳粛に執り行われた。

東海地域に予測される大地震を想定して国家的訓練であった。

気候変動と同じく地震も地球を舞台とした大変動の一つである。


エアコンなしで夏を過ごせるとすると、地震の揺れを素直に受け入れて逆らわない木造の家を普及させるのも一つの知恵ではないだろうか。


真夏を楽しみ、そして生きよう!

この日本で真夏を涼しくしようとする人々の試み、工夫、努力をたどってみると、なるほどと思ったり、大変だと思ったり、思わず噴き出したり、という事が沢山あります。


夕涼みのための提灯と団扇、打ち上げ花火での団欒、浴衣姿の盆踊りなど、気温を下げるのではなくて、高い気温とともに楽しむという避暑の方便。

懐かしい思い出ではなかったでしょうか。



実は斯く言う私は、昨年から冷房機のスイッチを切ってしまいました。

きっかけは機械の故障なのですが、それを修理することをやめたのです。


それでも昨年はそれほど苦しまず秋を迎えることができ、ホッとしたという記憶があります。

暑いには違いないですが、体調はそれによって決して悪くはならなかったのです。


今年は、今夏真っ盛りですが、去年のようなわけにはいかないような予感がします。

室温が四六時中30℃を超していて、窓を開けても下がりません。



暑さを凌ぐ方法は、日本古来の家屋建造技術、涼を呼ぶ絵画彫刻、衣装やそれをまとった人々の付き合い、自然を肯定する東洋思想等の中に生かされてきたと思われます。

日本の寺院、武家屋敷、商家などのつくりはまさに避熱、避蒸、招風の造りと言えます。

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その本質は「解放された家屋」の一言に尽きます。

解放された家屋の中の解放された人間関係、これが日本における風習の基本であり、日本という国土に最もよく当てはまった風習であったのではないでしょうか。


今は民主主義、個人主義の世の中ですが、大衆の中で個を尊重するあまりに、その個に打ち負かされ、個をもてあましているという傾向が見られます。

人々は衆によって生かされていることを忘れてしまったのではないでしょうか。



個の思想というのは、つまり、大変に暑っ苦しい考え、のような気がしてきました。

「世の中の暑さは個から始まる」がこの夏を最もよく表した言葉ではないかと思い、じっと寒暖計を睨んでいます。


            

郷土岩手の世界文化遺産

先月6月6日は平成22年度の岩手県人連合会「県人の集い」の日でした。

東京日暮里のホテルラングウッドで400人程の在京岩手県人の参加のもとに開催されました。



まず始めに、亡くなられた前会長 井上ひさし氏 を偲んで全員で黙祷をいたしました。


当日はアトラクションとして、岩手県大迫町で500年以上にわたって保存されてきた「岳神楽~早池峰神楽」を鑑賞いたしました。

この神楽は昨年10月ユネスコによって世界の無形文化遺産に登録されました。

岳神楽は早池峰神社に奉納されてきたもので、悪魔祓い、五穀豊穣を祈念し、勇壮で激しく活発な「荒舞」が特徴です。

県人の集いの皆様には、大変な好評を頂きました。


今、岩手県ではもう一つの文化遺産がクローズアップされています。

それは鉄の産業文化遺産です。


話の起こりは九州でした。

九州の小倉や長崎など、旧八幡製鉄所や、三菱重工業を立ち上げた会社の発祥地に残された貴重な企業遺産(鉄の溶鉱炉など)、またそれより一歩先んじた岩手県釜石市橋野の南部藩に由来する「花崗岩の溶鉱炉~橋野鉱炉」が、世界産業文化遺産として申請されるという話が浮かび上がってきたのです。


私はたまたま、希望郷岩手文化大使に任命されておりまして、今日まで平泉の中尊寺や毛越寺等の、世界文化遺産登録に協力してまいりました。

これに加えて世界産業文化遺産にまで手を伸ばすのはどうかとも思ったのですが、文化遺産と産業遺産とは全く別であるということを聞きましたので、今後も二股をかけて支援していく積もりです。



ユネスコによる世界文化遺産としての認定が得られると、国の内外での対応が活発になり、文化遺産の保持、活用に大きな刺激を与え、ひいては地方の活性化を促すと考えられます。


中尊寺、毛越寺の世界文化遺産が認定された暁には、岩手県等により大々的な祝賀イベントが計画されているということを聞いております。

是非、そうなるよう来年を期待したいと思います。