年賀状よもやま話
毎年、11月頃になるとあちこちから喪中通知が舞い込んで、正直言って、当惑するのが常ですね。
これは受ける側の言い分ですが、与える側になることもしばしばです。
今日はちょっとあからさまな話をし、すこし知恵を絞ってみようかと思います。
秋になると、そろそろ年賀の季節だな、今年は何通書かなければいけないかな、などということが頭を過ります。
そうこうしているうちに、あちこちから喪中通知が舞い込みます。
かと思うと、己の側で不幸があり、自分が年賀はやめて喪中通知に切り替えなければいけない、などという事態になります。
ことは不可抗力的に起こるので、不幸が起こった相手に対して、すでに年賀を発送してしまい、しまったという後悔の念に駆られます。
また、年賀を通じて交際が続いている相手から、ある不幸を機に、ぱったりと年賀が来なくなることもあります。
また、自分の方でも、喪中通知を受けて以来、相手の住所が名簿リストから脱落して、以来、永久にご無沙汰になるということも稀ではありません。
思うに、年賀状書きは大変迷惑で、厄介で、また楽しみな年中行事です。
出来ることなら我が生涯で、お付き合い出来た相手とは、永久に書状の交換をしていきたいものです。
そこで、ここに、次のような提案をしたいと思います。
----年賀と喪中通知は一緒に出すべきである----。
祝いと忌とは相容れないものですが、年度が変わると‘忌明け’となり、喪から解放されると考えられております。
この方面での年度とは、旧暦による年の変わり目です。
旧暦の大晦日は新暦の2月3日、旧暦の元日は新暦の2月4日です。
このような新旧の区別はひとまず措いて、私共としては、忌明けを新暦で定義する、つまり、12月31日までが旧年、1月1日は新年と看做します。
ということで、私は、今年は喪中通知を年賀状と合わせて送ろうと考えております。
というのは、今年、私の兄が亡くなりました。
従って、通常の年賀状は出せない年になったのです。
下の図は 左半分が新年を祝う年賀状、右半分は喪中通知です。
左の日付が1月1日、右の日付が12月31日です。この日付を明記することが大事です。
こうすることにより、喪中通知も年賀状の仲間入りをし、年賀状のリストの中に収められることになります。
かくして、私達は年1回だけ、年賀/喪中通知のファイルを整理し、次年度に抜けのない年賀を発送できることになります。
年賀と喪中通知を一通のはがきで!これが今日の提案です。

予測から予知へ
1960年代に国が本格的に取り組もうとした地震予知研究は、40年以上経過した今日において未だはかばかしくはなく、地震事後確認の状態が続いています。
私自身は地震学が専門ではないのですが、その周辺の研究にたずさわっていたために、第三者的ではありますが大変に関心を持ちました。
米国や中国なども、同じ時期に研究を始めましたが、相手は破壊現象なので、方向性が定まらず、五里霧中の状態です。
どうなるかが分からないという点では、人の死も同様で、死=破壊 と考えると、地震は人の死と同様に予知できなくても不思議はないなどと考えてしまいます。
とはいえ、このことで世界中が努力しているのは本当で、その涙ぐましい努力の中に、悲劇、喜劇が散見されます。
1975年2月に、中国遼東半島の北部で発生したマグニチュード7.3の海城地震は、世界で唯一の予知された地震でありました。
この地方の家庭では、政府の指示により、家族ぐるみで地震予知に協力していました。
動物の異常行動や地下水の状態の異常が地殻の異常を反映しているとして、全家庭にその観測を命じ、毎日、政府に報告させました。
多くの家に地震計も設置されました。
そして、報告の異常さの程度を判断して、政府は地震発生を宣言し、住民を避難させました。
これがズバリ的中したのです。
この時には、住民は、我が家のねずみがどの穴から出入りするかを熟知していたそうです。
しかし、この方法はすべての地震に適用できるものではありませんでした。
翌年 近くの唐山市で起こったマグニチュード7.8の唐山地震では、全く予知ができず、24万人の死者が出ました。
日本では地震はナマズが起こすという言い伝えがあります。
ナマズは地震に敏感かもしれないということで、東京都の水産研究所で実際に地震の前後でのナマズの挙動を調べるという研究を10年間ほど行いました。
地震の際に地中に電流が走るという説もあるので、ナマズに人工振動や、人工電流を与えて、その挙動の研究をしました。
しかし、敵もさるものです。
ナマズも生き物ですから、物事に慣れるという習性があります。
初めは敏感に反応していたものが、その内に相手にしなくなりました。
何か「フン」といった表情でしょうか、人を馬鹿にしたような態度を取り始めたのです。
そうです。生き物は測定機械にはなれないのです。
このような現象(宏観異常現象)には様々なものがあり、地電流の異常、合歓木(ねむのき)の異常、地平線の発光現象、魚の挙動異常、など無数に挙げることができます。
というわけで、最近、地震学者は予知(予め知る)することはできないので、予測(予め推測)をしましょうと、ちょっとトーンを下げた形になりました。
『地震予測よりは予知が望ましい。』
今後30年以内に関東大地震が必ず起こるという予測では、「じゃ、これからどうするの?」という質問に答えられません。
東京を逃げ出すの?それはいつ?---------------------------
国を思う心
今、日本で世界の人に比べて大変気になることは、「国のため」という言葉が死語になっていることであります。
1945年の太平洋戦争での敗戦、無条件降伏の変革期を境にして、日本は軍国主義を捨て、民主主義を学び、今や世界平和を祈念する立派な国民になったかのように見えます。
また、最近では英語万能主義がはびこり、小学生から英語をやり、会社の公用語を英語にしようというような動きが活発化しています。
我々の本当の幸せは、豊かで幸せな家庭と、力強く発展する己が国と、バランスのとれた相互関係に基づく世界平和によって成り立つことは言うまでもないことであります。
オリンピックや国際スポーツ競技会において、各国の選手は必ず「お国のために頑張ります」という意味の言葉を述べ、国旗に敬礼をします。
このような時、日本の選手からは「国」という言葉は全く出てきません。
多くの日本人選手は、自分が人に認められることを第一とし、自分の寄って立つ国の事を忘れています。
私自身の経験も含めて、戦後すでに60年以上を経たにも拘らず、若者教育の中で自国の意義を教える事がほとんどなかったことに思い当たります。
岩手県人連合会前会長の故 井上ひさし氏(作家)は、かつて英語万能論が盛んになった頃、テレビのインタビューに対して、『言葉は事柄を伝えるのみならず、心を伝えなければならない』と言って、初等教育における英語重視に反対されました。
世界の現状を見まわすとき、ほとんどの国は、自国の発展、自国の権限の強化に血眼になっているといえます。全力で他国に当たっています。
他国の力を測りながらバランスを維持しようとしています。
これを思うとき、日本人の他国に対する意識が大変甘いのではないかと心配になります。
私どもは日本の中でも特に岩手県を想い、大事にしております。
それは岩手県が自分を育ててくれたからです。
そして岩手をよりどころにして日本に貢献しようとしております。
世界においてもしかりです。
日本を背中に背負いつつ、100数十カ国と相対し相まみえ、共に世界を背負っていくことになるのではないでしょうか。