上田紀行という人が慈悲の怒りという本を出されているようです。
慈悲の怒りってどんなものなのでしょう?
まだ読んでいないので何ともいえませんが
例えば不動明王の憤怒相のようなものでしょうか?
いずれにせよ私達に慈悲の怒りなど不可能です。
正義の為に怒っているのだ!と言っても
所詮は煩悩の中で起こってくる怒りだと思います。
せいぜいちっぽけな善意しか出来ない私にとって
出来る事は仏様にお任せすることくらいでしょう。
昨夕、NHKのテレビで「心に響く文字~ダウン症と闘う書道家」という題の報道がありました。
兵庫県の隅野由子さんというお嬢さんが、お母さんと共にダウン症と立ち向かい
書道をなさっておられる姿が映っていました。
僕の心に響いた一言。

おかあさん ありがとう
うれしい時は 涙が出ます
それは ありがとうを胸いっぱいに感じるからかな

やっと涙の訳が分かりました。

皆さん、ありがとう
仏様、ありがとう
徒党を組むとかいう場合の徒党を辞書で引いてみたら
「同じ目的を持つ者が仲間になること」とありました。
先日、お邪魔した会等はまさしく徒党を組んでいるという感じでした。
組織を立ち上げた人、2代目の方が口を揃えて「会員の動員数が少ない」
と挨拶をされていました。
「同じ目的を持つ」と一言でいいますが「目的」が何か?によって
徒党の在り方も変わってくると思います。
今、徒党を組んでいる組織の多くは「同じ目的」ではなく
同業者同士が徒党をなしているのだと思います。
そうすると動員を促す集会が、例えば飲み会である時
必然的に飲まぬ者、社交が苦手な人は出席しない
可能性が高くなります。
とすれば、動員数を集めることに主眼を置くよりも
同業者が同じ目的を持ち、その目的の為に集会することが
求められるのではないかなあと思いました。

何分にも人との協調性に欠ける私の思いですから
社交性や常識を兼ね備えている人達からみれば
尻の穴の小さい話かもしれませんが・・・。
先日から、何となく国会中継を見ているとよく
「早急に」
という言葉を耳にします。
勿論、ぐずぐずしていてはいけない案件についてなのでしょうが・・・
ふと臍曲がりの人間としては
本当に早急にしても良いのか?
と感じてしまいます。
というのも、以前「早急」に対処した内容が裏目に出ている場合でも
「その件につきましては早急に対処したい」との答弁を耳にするからです。
お腹がくだって困る→下痢止めを出す(早急に対処)
下痢止めを飲んだら便秘になった→便秘薬を出す(早急に対処)
これでは絶対に無駄ですよね。
お腹がくだって困る→問診→触診→検査→食事改善して様子をみる
こういうのも大切ですよね。
先日、iくんのお父さんが福島からお越しになったので
一緒に、琵琶湖の竹生島へお参りへ行ってきました。
天候不良にもかかわらず大勢の方が島行きの船に。
到着してすこし上がった所に宝厳寺観音堂があり竹生島神社と
舟廊下と呼ばれる渡り廊下で繋がっています。
iくんのお父さんと震災で亡くなられた方の安穏を願って
御念仏して、神社の方に渡り弁天様に水難から日本を守っていただくよう
祈願して、さらに階段を登った所にある弁天様を祀る本堂に
向かうのですが・・・
観音堂と神社にはほとんど人がおられない!?
大勢いた人、どこ行ったんやろ?と思いながら階段を登ると
大勢の人がカメラを持って写真を撮ったり
三十三箇所の御朱印を頂戴したりされてました。
ああ、先に弁天様に参るべきだったのかとここでもお参りをして
弁天様に祈願をした時点で
おや?神社に弁天様祀ってあったん違うの?
素直に売店にいたおじさんに聞いてみると
実は廃仏毀釈に遭うまでは竹生島神社が宝厳寺の本堂だったのだが
神社に変えることで毀釈の難を逃れたのだそう。
今の本堂は昭和になってから建てられたものでした。
明治維新の傷跡はこんな所にものこっているんだなあと思いながら
下へ降りていくとほとんどの人が港の方へ向かってぞろぞろ降りていきます。
巡礼姿の何人かの方が、「ここも参るんやろ?」と港へ急ぐ団体に声をかけると
「そこは、観音さんがあるだけや。たいしたことないで!」
その方の言葉に影響されたのか、堂内に入っていく方も
あっという間に出てこられます。
入島の際、拝観料という名目でお金を払ったのに
上の本堂でもほとんどの人が朱印と景色を眺めるだけで
挙げ句の果てに西国参りの巡礼者が「観音さんがあるだけ」。
霊場巡りも安易に薦めると拝する心を忘れ
迂闊に神仏見学を奨めていることになりかねません。
宗教者の責務だと反省させられた次第です。
先日、NHKの歌番組を見ていたら島津亜矢という女性歌手が
「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を歌っていました。
三波春夫さんが紅白で歌っていたのをふと思い出しました。
小学校4年か5年だったような気がするんですが
その頃、テレビで夢中になって忠臣蔵を見ていたので
三波春夫さんの歌声が映像を想起させて感動したのを憶えています。
今でも忠臣蔵の季節になると、藤堂台下の御命日も兼ねて
討ち入り蕎麦と洒落込んでいるのですが
やはり忠臣蔵と聞くと血が騒いでしまいます。
それとは別に同じくNHKの「坂の上の雲」第三部を見ていたら
旅順攻囲戦の第一第二総攻撃のシーンでした。
次回の予告で第三総攻撃で二百三高地に日章旗がたなびくシーンが
映ると何かしら心が湧き動きました。

法然上人の父上が会稽の恥を知り仇打つなかれと仰せになられた
尊い御遺言と受け止めながらも、私の中に
他者が仇討ち本懐を遂げるのを見て
胸を空かしている心が間違いなく存在しています。
やはり我が身は愚かなりと思い取り
阿弥陀様に見護って頂くより他ないなあと実感しました。
今日は織田信長公の菩提寺である阿弥陀寺様で教区のお別時でした。
御住職から歴史的な資料を交えてお話しをして頂き
信長公への今まで持っていたイメージがすっかり変わりました。
お別時に参加して下さる信徒の方々・・・
去年もお出ででしたよね(^^)といって下さる方
昨日はお十夜でお世話になりました(^^)といって下さる部内寺院の檀家様
あ、やっぱり権愚さん来とったな(^_-)といって下さる阿弥陀寺の檀家様
あれ、この間、百万遍で案内して下さった大きい人ヽ(*'0'*)ツとおっしゃる御方
今日もまた、いろんな方といい御縁で結ばれながら一緒にお念仏。
ああ、一蓮托生の蓮の台がどんどん大きくなっていくようで
すごく有り難いです。
今朝、先日の五重を勤めた御住職(伝灯師)とお電話でお話ししました。
伝灯師様としては、伝法を伝えるのに書面を見据え過ぎてしまったことに
後悔しておられるご様子で
「もっと受者の顔を見ながら自分の思いで喋った方が良かったかな」
と仰っていました。
でも、僕はそうしなくて良かったんじゃないかと伝えました。
もし、あの時、受者の顔を見ながら思いをしゃべろうとしたら
伝法になってなかったでしょう。
書いた物を読んでも、あれほど熱く、受者も自分もがくがく震えるほどの
伝灯師様の思いです。
あれを顔見ながら思いのままにしゃべり出したら・・・・・
伝灯師と受者が互いに手を合わせオンオンと泣くしか出来ず
一切の伝法が成り立たなかったと思います。
伝えきれなかった分は、月参りや毎月の別時で
じっくりと説いていかれることでしょう。
それにしても忝ない伝灯師様です。
今日は珍しく部内寺院でのお説教でした。
いつも部内の和尚さんとは法事やお葬式の時、
でなければ忘年会でご一緒するだけですから
人柄は知っていても檀家さんと
どのように接しておられるのか?
ほとんど知らなかったというのが正直なところです。
小さいお寺で、檀家さんの数も少ないお寺なんですが
お邪魔すると溢れんほどの人が集まっておられました。
ざっとみて50人近くの人。
おそらく全檀家各家から一人乃至二人は
お越しになっているはずです。
十夜法要というお勤めはお念仏を申すことが
中心になっているんですが、到着した時には
ずっと回向をされていました。
念仏一会といってお念仏をする時になると
ものの1分あまりで終わってしまいました。
正直なところ、がっかりしていたのですが
お説教の前に住職が挨拶をされ
「お念仏は説教の後に」
とのこと。
どういうこっちゃと思いながらお説教して
控えに下がってくると
「それじゃ、いつものように左回りで」
の声が。
お!念珠繰り?どんな節やろ?
急ぎ改良服に着替えて戻ろうとすると
伏せ鉦でカンカンカンカン
住職、真ん中で頑張ってる!と思いきや・・・
住職は息子さんと内陣で木魚を打っておられます。
真ん中の導師は檀家さん。
今年はお前がいけ!みたいな感じだそうです。
数珠が百回廻るまでおよそ35分(数珠繰り無茶早い!)
ちょっとした別時でした。
やっぱり檀家さんと一緒に数珠繰りするの
とっても楽しいです。
部内寺院に対する見方が変わりました。
五重中、小賢しい仕掛けが施されました。
天蓋や張り巡らされた五色の糸に薄い紙で作った散華を
五枚ほどぶら下げておくというものです。
勧誡や法要の最中に稀にひらひらと舞い降りてきます。
あまりにもわざとらしいのですがタイミング良く
ひらひらと降ってくるので
悪くないなあ
と思っていました。
受者の中に面白い方がおられて素直に
「和尚さん、途中で花びらが散ってきたけど花が散るゆうのは
縁起悪いんちゃうの?」
と尋ねて来られました。
うーん、そやねえ・・・まあお経に散華楽ゆうて出てくるんやけど・・・
と言葉を濁していたら、その受者が
「往生した御先祖からの郵便やと思もたら有り難いな(^_-)」
と言われました。

散る華も 浄土におわす 母さんの
       文と思えば 頼もしきかな