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悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

”私”は、以前結構な額を支払い、

 

体調や運をよくする「技」を身につける

講座を受けたことがある。

 

 

 

 

悟り的視点うんぬんとここ数年書いているが、

 

実は、この講座を受けていなかったら

 

その視点が得られなかったかもしれない、と思っている。

 

 

 

 

 

実際、その講座の究極の状態は「悟り」と言っていた。

 

普通に講座を受け悟れたら、

対価に比べ講座費用は安いものだ、と思ったほどだった。

 

 

 

 

ただ、この講座を受けたから「悟り的視点」がもてたというより

 

色々な縁で、8割がた「悟り的視点」のコップがいっぱいになっていて、

 

最後の一押しのあふれる部分がこの講座だったといった方が、

縁の理解としては正しい気もする。

 

 

 

 

でも、その講座を受け、いろいろな技を伝授され、

量子力学と現実化の関係や、物の見方が変わり、

 

ある日、ハッとした。

 

「あれっ!今、こんな思考が出た自分がいる。

 こんな風に考えていたんだ。

 (すごい客観視している自分がいる)

 どうしてこう考えたんだろう??

 クセのように自動で考えが出ている。

 こんなふうに考える必要ないかもしれない。

 こんな構造になっていたんだ・・・」

 

 

 

 

それを機に、

 

自分の考えに気付く、気づく、気づく。

 

常識と思っていたものが常識に思えなくなった。

そういう、視点が都度現れるようになった。

 

 

 

 

それが最後のきっかけの1つとなり、

視点が変わり、

 

悟り的視点、という言い方で

 

気付いたことをブログに書いてきた。

 

以前は、読書記録や引寄せなどの話題が多かったかと思う。

 

 

 

 

それとは別に、

 

そこで習った技があるが、それについてもう少し、次回に。

 

 

 

 

つづく・・・。

 

 

 

■色々な成功法則がある。

 

以前は主に書籍からそれら情報を得たが、

今は、Youtubeなどでも手軽に入手できる。

 

だいたい、言っていることは同じところに

帰結する感じがする。

 

 

 

 

■以前は、こんな感じだった。

 

「前にも学んだのに、もう忘れ、実行していなかった」

「なぜ、継続できないのか」

 

そして、

 

あっちの人、

こっちの人、

 

と学ぶ先生を変えていた。

 

 

 

 

■”自分”が悪いように思っていたが、

 

ふと、下記のようなことに気が付いた。

 

 ● 基本は、忘れる

 ● 継続などできない

 

 

さらに、思った。

 

 ● 継続できる先生の元で学ぶ

 

 

 

 

■自分が継続できないのではない。

 

人の力(先生、環境、システム)などがないと、

継続は、なかなか難しいことなのだ。

 

 

 

 

 

 

■誰の元で学んでも同じならば、一人の先生でよい。

 

もちろん、それもいつか変わってもよい。

 

その選定のためには、以下が重要だと思った。

 

 

・なんだか、継続しようと思える人

・なんだか、気が楽でいられる人

・なんだか、成果が出やすい人

・なんだか、気が楽でいられないとしても、

 圧倒的視点の高さで自分の視点が上がる人

(自然と成果が出がち)

 

 

 

 

 

■諸行無常で、深い縁もいつか変わる時がくるかもしれない。

 

また、効果なしと思っても、

双方の立場が変わり時期がきたら縁ができることもある。

 

一時の一つの学びのために現れた縁で、すぐ離れる縁かもしれないし、早々に離れてもよい。

 

 

 

 

 

■執着しすぎないようにしつつ、

 

なんだか続けられる、

なんだか成長ができる、

なんだか圧倒的に視点があがる、

 

そんな人から学んでいきたいと思う。

 

 

今、そのような先生と勝手に思っている人がいるが、

どのような変化になるか注視していきたい。

 

 

 

 

 

すべてに感謝。

すべての幸を祈ります。

 

 

 

■反応しない、ということを心掛けている。

 

反応するとは、

 

そのまま相手の行動、出来事に反応したり、

そのまま相手の質問に正直に答えたり、すること。

 

 

 

 

 

■まずは、己を整える。

 

”しーん”とした精神状態でいる。

 

その状態で、ものごとに対峙するようにする。

 

 

別の言葉でいうと、

 

常に静かな心で

自分のうちにいながら

自分やものごとを観察している感じ。

 

 

 

 

 

 

■そういう静かな精神状態以外に

 

実践として気を付ける細かいポイントを考えた。

現時点、5つほどをまとめた。

 

反応しないためにさらに気を付けること。

 

 

1.感情的にならない

2.言葉は少なく

 

3.自分を正当化しない

4.自分の希望と限界を伝える

5.へりくだらない

 

とにかく、急がない、ゆったりしている。

 

 

 

■1,2はだいぶ気を付けられるようになってきたが、

 

3,4,5はこれから。

 

特に、3,5は気を付けたい。

 

 

 

自己正当化してあまりよいことはないように思う。

 

相手にも同じぐらい正しさがある。

こちらが知りえない事情もある。

 

よって、するのは、己の希望について短く伝える。

 

 

 

へりくだりすぎない、については、

 

使う言葉しかり、

愛想笑い、うなずき、姿勢も気を付ける。

 

これらをしすぎている時は、

ペースが乱れている証拠。

自分が、ここ にいない。

 

 

 

 

 

反応せず、

乱れず、

 

穏やかに、

平安に、

 

この世とさらに笑みをもって関われたらと思う。

 

 

 

 

 

すべてに感謝。

すべての幸せを祈ります。

鳥が「自分」の肩にとまる

 

鳥が「自分」が近くにいても逃げない

 

 

 

 

 

そのような状態になりたいと

 

「私」という表現機構に思考が起こった

 

 

※機構=
「意志や主体をもたない、

 条件づけに従って自動的に反応・機能する仕組み」

 

 

 

 

しかし、次の瞬間

 

鳥が

 

キーキーキーキー!

 

と警戒した声を鳴らしならが飛び立ったとしても

 

 

 

 

 

鳥の表現機構の数限りない縁で

 

警戒するというプログラムが働き

 

鳥がそうなるべくして飛び立った

 

 

 

 

行ってしまった

 

なーんだ

 

 

という思考が私表現機構に起こることもあるかもしれない

 

 

 

 

 

「私」もその鳥の無数の縁の1つである

 

「私」という表現機構もその原因の1つである

 

しかし、「私」と「鳥」の関係だけでない

 

 

 

 

 

無数の縁から

 

鳥が、今、飛び立つということが

 

ただ起こった

 

 

 

 

 

■最近、というか、

ここ2-3カ月ぐらいで、
いろいろとトラブルが続いた。
 

以前なら、

「はぁ~?!!!」

と、イライラしてしまっていたかもしれない。

 

これだけ続いているのに、

「仕方ないなぁ~」

 

と、あきらめたかのように

たんたんと対応している”自分”がいた。

 


 

 

■例えば、 こんなことがあった。

 

●通販: 新品バックがベタベタで不良品

●通販: 間違った化粧品を送付された

●通販: 洋服のサイズ間違いで送付された

 

●仕事: 自分の非であることに金銭要求する顧客1

●仕事: 通常はしない要求をしてきた顧客2

●仕事: 5-10年は安心と取引先に言われ

     依頼したら2カ月で破損

●仕事: 取引先の作業手抜きで、不具合発生

●仕事: 依頼先が商品イメージが下がる写真を

     顧客に提示していた

●仕事: 2回の仕事を1回しかしなかった取引先

 

 

何かのお試しか?

と以前なら強く思ったと思う。

 


 

下記のようなことに注意はしていた。

(が、”私”に起きていた)

 

・ただ起こっているという視点でいられているか

 

・感情は出てもいいが、適切な行動にシフトできているか

 

・「相手がぁ!」と、”自分”が、他人や世界をみているように

 自分対世界、と分離してみていないか

 

・こうすべき、こうして欲しい、自分を認めて、など

 思い込み、欲(思い通り、承認欲求、比較)、無知

 で世の中をみていないか

 

・すべてにおいて「特別な”自分”」という自我が出ていないか

 

 

 


■仕事が多いと

その分トラブルの数も増えることもあるが、

とりあえず現実的な対応はしている。


トラブルのようだが、みな学びにはなる。

 

でも、・・・

あれっ・・・そもそも

 

「学び」ってする必要はあるのだろうか

 

という疑問が今起こった。



 

■学ばないといけない、いう概念があった。

 

それにより、

学ぶ=善、正しい

 

という回路が働く”私”であることに気付いた。

 

 

概念はあってもいいと思うが、

 

その概念に気付き

時と場合により使ったり手放したり

 

そういうことが大事であるように思う。

 

 

 

さらには、学び=善、と思ってもいいが、

 

学びが起こったらおこったし、
学びが起こらなかったら起こらない、

 

どちらでもいいと

なるようになると

 

気楽にとらえる視点も大切かなぁ。

 

 

と、とらえる”私”が起きた。

 




すべてに感謝。
すべての幸を祈ります。🍀

 

■最近、

”自分”の色々なクセ・思い込みに気付くようになった。

 

以前も書いたが、例えばこんなクセ・思い込みがある。

 

・何かをして、人に愛されると思っている

・何かできてこそ、自己価値だと思っている

・人の反応が、自己評価になっている

・境界線を越えて、人へ配慮してしまう

・承認欲求、恐怖から、親切をしている

 

 

 

■これらは、心理学でいう、

 

アダルトチルドレンと

言われるようなもの、だと思う。

 

でも、そういう縁でそういう人になった”自分”。

 

仕方ない、それでいい、これが自分、とも思う。

 

そういう現れなのだから。

 

 

 

■ただ、何かしないと愛されない、

と気づいたときはだいぶ衝撃だった。


もっと楽になりたいという思考もでて、

 

最近色々な心理学をかじってみた。

 

 

★ちょっと話はずれるが、

いろいろ心理学を調べている時に知った、

「ビリーフチェンジ」というものが

大変おもしろかった。

 

なんと、15歳までに結婚相手が決まっているという。

↓ 下記の動画に女性向けテストがのっています。

 

 

 

私の夫選びと、

私のビリーフ傾向もピッタリだった。

 

家族の女性陣みんなにテストしても

みな当てはまっていた。

 

女性の方は、たぶんピッタリなので

ぜひ!やってみてくださいね♪

 

 

話を戻すと、

そんなこんなで、

 

「悟りに興味をもっていたが、

 心理学もすごいかも!」

 

と夢中になりかけたのだが・・・。

 

 

 

■最近、

心理学をいろいろかじってみて

感じたこと。

 

 

大変役に立つ!

 

・・・しかし、

どこかまた行きづまる気がした。

 

 

やはり・・・、

 

基本は

悟り的視点をもつことが

大事だなぁ、と思った。

 

 

悟りに至る”自分”もいないのに、

悟り的視点をもつとか、

変な話をかいていることになるのだが

 

あえて書かせてもらう。

 

 

 

■心理学に最近ふれてみて思ったのは、

いくつ持っても満足しないものという感じがしたのだ。

 

 

どこか、矛盾が生じるというか。

 

 

つまり、

視野を広げたり、

苦をやわらげたりはするが、

 

心理学は、あくまで通過点。

 

 

●心理学的テクニックや視点も大変有効。

 時々、上手に取り入れると、とても役に立つ。

 

●しかし、基本は、悟り的視点に常に戻ることを大事にする。

 

 

そんな気がしました。

 

 

 

 

すべてに感謝。

万人万物の幸を願います。🍀

 

 

 

笑ってしまった話を書きたいと思う。

 

■「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京)

という番組がある。

 

あるおじさんが、

「霊芝(れいし)」

というキノコの鑑定で出演した。

 

「霊芝」の効果:

 

滋養強壮、病気予防、

免疫UP、不老不死etc.。

 

 

 

■なんでも、そのおじさんは、

毎日山に入り

「霊芝」を見つけているという。

 

それを聞いた司会の今田さんが、

おじさんを元気にしているのは、

 

「霊芝」のおかげでなく、

 

「毎日山のぼりしているから、

 おじさん元気なんちゃいます~?」

 

と(笑)。

 

 

 

■”私”も少し、心当たりがあった。

 

普通、悟り的な視点を持つためには、

俗世間と離れ、山や寺に入ったり、修行集団に入ったりする。

 

それが、”私”は通常の社会生活をしながら、

そういう視点を少し持ってきたようにしか

 

伝わっていない、

伝えていない、

 

かもしれなかった。

 

 

 

 

■”私は”実は、

 

山にいる修行僧のような

生活ができる状態だったかもしれない、と思った。

 

・自宅で仕事をして、仕事上他人と関わる時間が少ない。

・仕事の関係上、非常に限られた取引先、顧客

 とだけ接している。

・家族も減ってきて、自分中心の生活スタイル。

・場合によっては、毎日、人と接しなくてもよい。

 

 

 

少し悟り的視点が深められつつあるのは、

 

自分の心の動きに、非常に注視できる状態にいる、

が原因だったのかもしれない。

 

 

そして、

大きなショックも人生上あった。

ショックも、目が覚める原因になる。

 

 

 

■この”私”の話を、

 

TVの「霊芝」の話を教えてくれた

身内にいったら、

 

そうだね!と大笑いされた。

 

 

今まで「山で修行できている」自覚がなかったことも、

今気づいたことも、

 

そうとしか起きざる得ないようにして

起きた、

 

これしか起こりえないのだからいいのだが。

 

 

 

■「霊芝」のおじさんが、

山に登ることこそが、

健康に寄与していたかもしれない話。

 

”私”の話然り、

こういうことは世の中に多くあると思う。

 

人の話も話半分、

自分の話も話半分、

 

人と比較して焦ったり

優越を感じたりすることもなく

 

気楽に

このままの”自分”の起こりを

楽しんで眺めながら経験するのが

 

いいような気がした。

 

 

 

起こるまま、

 

おじさんに刺激され

散歩をした”私”でした。

 

 

 

すべてに感謝。

万人万物の幸を祈ります🍀

 

 

 

■悟り的な話をよく書いている。

悟りには、色々な段階があると思っている。

今の”私”は数合目をウロウロしている
感じかと思う。




”私”は
(=現象として感じている 私 )


入山届けを出し、山にいるので、

はいそれ!と

山を感じない生活には戻りにくくなっている。




■ただ、注意したいのが、、

山に登ること、
縁あれば頂上に登頂すること、

これが偉い、凄い、良い、わけではない。


ただ、山に登るが”私”に「起きた」
それだけ。

己の意志で「した」わけではないし、
他の人には起こるべくして他のことが「起きている」だけ。




■しかし、

つい”私”に入り込んで

自分がしている、
自分がすごい、
自分はだめだ、

「する」が起きているように思ってしまいがち。


なるべく、
それを見ている本来の己(意識、鑑賞者)の視点を

思い出すようにはしている。





「する」でなく「起きている」、

これを思い出すことが大事。


ただ、
思い出す、も”私”に起きるだけ。


それゆえに、

起こるがまま、あけわたし、サレンダー、
お任せ、御心のままに、恩ちょう etc.

言葉はいろいろあるが
おまかせするしかないし、

そうとしか起きない。



■昔、サレンダー、と聞いて
「なんだろう?」

っとさっぱり分からずにいた。

 

直接こういう感覚だよ、と

 

気付いている人に

目の前で直接言ってもらうなどしないと
気付くはずない感覚だったなぁ、と

今では思う。


最近、
・起こったんだから、仕方ないよね
・起こるべくして、これが起こっただけだなぁ
・意味づけは、あとでいしている


と、少し分かるようになってきた。
(少し分かることが、”私”に起きた)

もちろん、

そうは思えず、というか、巻き込まれ

あーだ、こーだ、となることもある。

分かっても
分からなくても
深めなくても
深めても

巻き込まれても

まココまれなくても

それらすべて、どちらでも本当はOK。

 

それが、起こっただけなのだから。




すべてに感謝。
万物万人のさらなる幸を祈ります🍀

今の”自分”から

 

さらに

平安や悟り的視点を深めるために

気を付けていきたいこと、

今後の課題。

 

 ↑ という自我、欲。

 

何かになろうとしている。

”自分”は本当はいないのに。

 

でも、あえて”自分”が思ったことなので

書いておきたい。

 

これを書き留めることも自我が働いてると、

関与しない方がいいのかもしれないが、

この段階の”自分”として書く。

 

 

①感情の巻き込まれがさらに減らす

 心が動揺しない

 ココにい続ける

 内側にいる

 内にいながら必要な対応はする

 

②自己を低く評価したり否定することを放下する

 自分が自分を認める

 他人の評価を手放していく 

 

③執着の解放

 理想、期待、べき論、から自由になる

 モノサシ、欲、無知、の視点に常に立ち戻るようにする

 

 

④現実的な対応の工夫

 ・細分化して行うことを書き出す

 ・対応に視点をもっていく

 ・目的を考える(リスク対応も考える)

 ・習慣をわずかでいいので変えていく