■先日、急にこんなことを思い出した。
Bさんは連絡をくれなかった。
ひどいなぁ、義理がない、常識がない・・・、
という思考、そして、怒り
が出かかったのに気が付いた。
■ずいぶん思考が落ち着いてきた話を
書くことが多いが、
こんな思考は今でも出る。
よく悟り本などにも書かれているが
思考や感情が、出なくなることはないらしい。
ただし、早く気付くようになるとのこと。
”私”が、以前と確実に変わったのは
・こういう思考自体全体的に減った
・出ても、思考がでたな!とそれに早く気付く
・巻き込まれすぎずに、早めに客観視点になる
ことであるように思う。
■さて、
Bさんはヒドイ、
という思考と怒りが出かかったが、
以前なら、
あーだこーだ何度も反芻し、
私は正しい、
相手はこうすべきだ、
今度こうはっきりつたえようか、などなど
それにしても・・・、などなど
こういう妄想(自分がいるという人生ドラマ)に入り込んでいた。
■それが今は、
・自分の常識というモノサシ(正しさ)で測っている
思考が出たなぁ
・こうあってほしいという期待という欲が出ているなぁ
・Bさんらだって、そこまで思い馳せない未経験があったり、
逆に自分との関係性もあったのかもしれない
とすぐに3悪(モノサシ、欲、無知(痴))でとらえる
思考がでるようになってきた。
■何より、”自分”だって、
きっとBさんと同じだった。
特に若い頃など、悪意はないものの
どれだけ今より適当で、自分勝手で、
無知で、迷惑も自覚せず、
等々多数だったと思う。
それを思うと、
とても、Bさんのことを言えたものではない。
それなのに”自分”は清廉潔白正義のように記憶を封じ、
他人にばかりに要求する思考がでる傾向が
人間にはあると思う。
■この話は、
物差し、欲、無知があったとは書いたが、
特に、
Bさんに連絡を欲しいという気持ちがあった。
つまり、
今回パッと起こった自動思考は、
もっと大事にしてほしい、
気持ちをわかってほしい、
自分を認めてほしい、
という
欲の1つある「自己承認欲求」がでていたような気がする。
■はたして、
その「自己承認欲求:は満たされるのだろうか?
つづく・・・。
すべてに感謝。
生きとし生けるものすべてが幸せでありますように。