●③結局、大事なこと | 悟りへの道

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

前回のつづき・・・。

 

 

 

 

■美輪さんのいう結果をはってみて、

 

使っていた「技」より手間がなく十分

効果があるなぁ、と思った。

 

もしかしたら、

それも今「技」というものを理解しているから

美輪さんの結界も十分機能させられたのかもしれない。

 

 

 

 

 

■結局、

 

自分がある状態になる、

すでによい状態である、

よい運命になる、

もしくはその状態にすでになっている、

 

などと

 

どれだけ落ち着いた心でそれと一致し、

 

意図し続けられたかによるのだと思った。

 

 

 

 

つい人は、

 

己の常識で物事を見て、

期待や比較やもっとという欲がおこり、

無知・知らないことで誤解等して、

 

怒り、比較、嫉妬、心配、後悔、貪欲、など

で心をいっぱいにしてしまう

 

つまりその不快な状態、

それを”意図”していることになる。

 

 

 

 

”意図”がうまくできなくても、

 

その怒り等の心からいかに離れるか、

だけでも、まずは十分よい効果があるかと思う。

 

そのために、ありがとうを1万回言う

と人生が変わると言われているのではないかと思っている。

 

 

 

 

 

■しかし、さらに気が付いたことがある。

 

意図は大事。

 

だが、

その意図がでるのは

 

結局、縁(ご縁や環境)から

生じるものではないか、と。

 

いや、

縁からしか生じ得ないと、思った。

 

 

 

 

 

それでは、縁をかえれば、

現状が変わるのではないのか?

 

でも、その縁も

そうとしか起こりようがない、

そうとしか縁が配置されようがないように、

 

起こっていることなのではないか、

 

だから仕方がない、

 

というようにも思っていた。

 

 

 

 

■しかし、

少し違うかなぁという視点も出てきた。

 

縁を変えようと思えば、

(その思いも起こっただけではあるのだが)

 

縁を変えたなりに現実も変わるのではないかと。

 

 

 

 

■それというのも

下記を思い出したから。

 

ブッダは

「八正道」というものを提唱していた。

 

正しい行いや生活をすることが、

悟りにつながる、ということだった。

 

 

本当は、

悟りが起こる「個人」もいない、

悟りが起こるときはおこるし

起こらない時は起こらない

起こったとしたらそれは神の恩寵、

そしてすべてのことは起こっているだけ、

それを観賞している意識が本当の自分、

というブッダの悟りからしたら、

 

個人が八正道をすれば悟りが起こりうる、

というのは矛盾に聞こえると思う。

 

 

それでも、

それが大事だというブッダ。

 

 

なんだか

それに似ている気がした。

 

 

 

 

■最近”私”には、

 

「どうせ起こることが起こるのだから」

 

という気持ちで

 

ある意味、よくいえばゆったりと気楽に深刻にならずに、

ある意味、どーでもいいかなと投げやりに、

 

世の中を見ていることが起こっていた。

 

 

 

それでもいいのだが、

どうせ現世を観賞して生きている”私”なのだから


もう少し面白がってみたい、

 

という気持ちも起こっていた。

 

 

 

 

 

■八正道で悟りに近づくとブッダが言ったように、

 

縁を変え、意図をかえる、ことで望む現実をつくる。

 

 

2026年は、さらに悟り的視点をすすめながら、

 

そういう現実化も楽しんでみようかなと思う。

 

 

良いお年を。

 

 

 

 

すべてに感謝。

すべての幸せを祈ります。