■最近、というか、
ここ2-3カ月ぐらいで、
いろいろとトラブルが続いた。
以前なら、
「はぁ~?!!!」
と、イライラしてしまっていたかもしれない。
これだけ続いているのに、
「仕方ないなぁ~」
と、あきらめたかのように
たんたんと対応している”自分”がいた。
■例えば、 こんなことがあった。
●通販: 新品バックがベタベタで不良品
●通販: 間違った化粧品を送付された
●通販: 洋服のサイズ間違いで送付された
●仕事: 自分の非であることに金銭要求する顧客1
●仕事: 通常はしない要求をしてきた顧客2
●仕事: 5-10年は安心と取引先に言われ
依頼したら2カ月で破損
●仕事: 取引先の作業手抜きで、不具合発生
●仕事: 依頼先が商品イメージが下がる写真を
顧客に提示していた
●仕事: 2回の仕事を1回しかしなかった取引先
何かのお試しか?
と以前なら強く思ったと思う。
下記のようなことに注意はしていた。
(が、”私”に起きていた)
・ただ起こっているという視点でいられているか
・感情は出てもいいが、適切な行動にシフトできているか
・「相手がぁ!」と、”自分”が、他人や世界をみているように
自分対世界、と分離してみていないか
・こうすべき、こうして欲しい、自分を認めて、など
思い込み、欲(思い通り、承認欲求、比較)、無知
で世の中をみていないか
・すべてにおいて「特別な”自分”」という自我が出ていないか
■仕事が多いと
その分トラブルの数も増えることもあるが、
とりあえず現実的な対応はしている。
トラブルのようだが、みな学びにはなる。
でも、・・・
あれっ・・・そもそも
「学び」ってする必要はあるのだろうか、
という疑問が今起こった。
■学ばないといけない、いう概念があった。
それにより、
学ぶ=善、正しい
という回路が働く”私”であることに気付いた。
概念はあってもいいと思うが、
その概念に気付き
時と場合により使ったり手放したり
そういうことが大事であるように思う。
さらには、学び=善、と思ってもいいが、
学びが起こったらおこったし、
学びが起こらなかったら起こらない、
どちらでもいいと
なるようになると
気楽にとらえる視点も大切かなぁ。
と、とらえる”私”が起きた。
すべてに感謝。
すべての幸を祈ります。🍀