●「する」でなく「起きた」 | 悟りへの道

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

■悟り的な話をよく書いている。

悟りには、色々な段階があると思っている。

今の”私”は数合目をウロウロしている
感じかと思う。




”私”は
(=現象として感じている 私 )


入山届けを出し、山にいるので、

はいそれ!と

山を感じない生活には戻りにくくなっている。




■ただ、注意したいのが、、

山に登ること、
縁あれば頂上に登頂すること、

これが偉い、凄い、良い、わけではない。


ただ、山に登るが”私”に「起きた」
それだけ。

己の意志で「した」わけではないし、
他の人には起こるべくして他のことが「起きている」だけ。




■しかし、

つい”私”に入り込んで

自分がしている、
自分がすごい、
自分はだめだ、

「する」が起きているように思ってしまいがち。


なるべく、
それを見ている本来の己(意識、鑑賞者)の視点を

思い出すようにはしている。





「する」でなく「起きている」、

これを思い出すことが大事。


ただ、
思い出す、も”私”に起きるだけ。


それゆえに、

起こるがまま、あけわたし、サレンダー、
お任せ、御心のままに、恩ちょう etc.

言葉はいろいろあるが
おまかせするしかないし、

そうとしか起きない。



■昔、サレンダー、と聞いて
「なんだろう?」

っとさっぱり分からずにいた。

 

直接こういう感覚だよ、と

 

気付いている人に

目の前で直接言ってもらうなどしないと
気付くはずない感覚だったなぁ、と

今では思う。


最近、
・起こったんだから、仕方ないよね
・起こるべくして、これが起こっただけだなぁ
・意味づけは、あとでいしている


と、少し分かるようになってきた。
(少し分かることが、”私”に起きた)

もちろん、

そうは思えず、というか、巻き込まれ

あーだ、こーだ、となることもある。

分かっても
分からなくても
深めなくても
深めても

巻き込まれても

まココまれなくても

それらすべて、どちらでも本当はOK。

 

それが、起こっただけなのだから。




すべてに感謝。
万物万人のさらなる幸を祈ります🍀