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鳥居の先にはこれまた

古を感じる神社がありました。

 

 

 

 

富丘八幡神社

 

 

 

 

木の色からも古きを感じる

龍と波の彫刻

 

 

 

 

境内には日清戦争の際に立てられた

従軍記念碑が

 

 

 

 

裏にはびっしり

亡くなられた方々のお名前が刻まれていました

 

 

 
 
日清・日露戦争で犠牲となった
旧渕崎村出身の戦没者182柱を祀っている
護国神社
 

 

 

 

太平洋戦争の末期

渕崎中心地に創設された旧陸軍船舶特別幹部 

候補生隊 (若潮部隊) の戦没者

1407柱を合祀

 

 

 

 

裏の方にも古いお社がたくさん

 

 

 

 

 

そして 至る所に「三つ巴」

 

この神紋がとても気になった

 

 

 

 

後で調べてみたところ

この「左三つ巴」の神紋は八幡宮をはじめ

多くの神社で用いられているそう

 

 

 

 

神社建築として軒丸瓦に付ける意味は

「防火」「魔除け」になり

火を消す「水」や魔を祓う「風」などの

【自然現象の流れを模写したもの】

と考えられているようです

 

 

 
 
大きい神馬の隣にあったのは

久元(1861)年に奉納

丹羽佐吉作 神馬

 

 

 
 
ここから階段を降りて
 
の眺めがキレイ!
 
 

 

 

 

 

 

さらに階段を降りて

進んだ所にあったのが

 

「若潮の塔」

 

 

 

 

 

陸軍船舶特幹生の像

 

 

一億総特攻の終戦間際

ボートによる特攻が行われ

その訓練所がここ小豆島にあったそうです

 

 

 

 

 

 

碑文 若潮の塔由来記


第二次大戦の末期風雲急を告げる国難に殉ぜんとして、

ここ小豆島の陸軍船舶特別幹部候補生隊に率先志願した若人たちは

昭和十九年入隊の第一期生から翌年の第四期生まで

八千余人夜を日につぐ特別訓練を経た第一期生は海上挺進隊員として

小型舟艇に爆雷を搭載し比島沖縄台湾方面の第一線に出陣

敵艦船に肉迫攻撃を敢行その多くは護国の神と散華した。


第二第三期生は本土の要地に

第四期生は小豆島沿岸の各地に分散配備され

特殊任就役のうち昭和二十年八月十五日の終戦を迎えた。


十五才から二十才未満という候補生はけなげにも

青春の生命を殉国の生命にペンを操舵に握りかえ

その猛訓練の血と汗を小島の土にはたまた瀬戸の潮に染め

この美わしき自然と風土の小豆島を第二のふるさととしたのである。


今わたしたちは南溟の潮騒に密林の葉かげに

雄々しくも散華した第一期生と原爆犠牲をはじめ

本土の任地において殉じた第二第三第四期生及び部隊関係者あわせて

壱千数百柱にのぼる還らざる友の冥福を祈るとともに

魂の象徴としてここに塔を建立するものである。


昭和四十八年十一月二十三日


若潮会

 



 

 

 

若潮魂 鎮魂

 

 

 

 

フィリピンで全滅した陸軍水上特攻艇の

遺骨代わりに引き揚げられたエンジン

 

 

 

 

 

 

昭和天皇が巡幸訪問されたことに納得

 

 

image

 

 

逆側からお参りしていました

 

 

 

 

こちらが正面の大鳥居

 

 

あの大きな鳥居は

初めて小豆島を訪れた時(9年前)から

何度も車で前を通って

とても印象的だったのだけど

 

その奥に 

このような古式ゆかしく

意味深い場所があったとは。

 

 

歩いてみて やっと繋がった。

 

 

小豆島に特攻艇の訓練所があったことも

戦争で亡くなられた小豆島由縁の方々が

こんなにいらしたことも

 

その多くが成人前の若者だったことも

 

全然 知りませんでした。

 

 

 

合掌

 

 

 

小豆島旅(13)與九郎のお稲荷さん