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両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 


 

過去記事はこちらからどうぞ

 

老いを生きる 目次





2020年12月26日に母が逝去し

年が明けて1月3日に納棺式

4日に葬儀を行い

無事  家族で母を送ることが出来ました。





母の最期や父の様子

納棺や葬儀について

家族で話し合ったこと

その時々  私が思ったことなど

書き記しておきたいと思います。





前回の記事にも書いた通り

母に変化があったのは

亡くなる11日前 

12月15日のこと。



老いを生きる(52)母 永眠 母と父 幸せな時間





「カリウムの数値が高いので

    病院で検査を受けてきて欲しいのだけれど

    今 スタッフの手が足りない」



と 母が入所している特養ホーム さくらの里からの連絡で

病院に付き添った父。




結局 検査結果は正常で

両親は久しぶりに対面出来

3時間以上も一緒に過ごし

母は終始ご機嫌で

これまでの人生を振り返るようなことを

しゃべりまくっていたそう。



ありがたいことに

父と母は最後のお別れの時間をこんな風に

2人でゆっくり過ごすことが出来ました。




この時 検査したのは

母がさくらの里に入所するまで

約1年半 お世話になった城山病院。



父は


「ばぁばは自分でこの時間を創ったんだと思う」


「まるで これまでのお礼を言いに

    あの病院に行ったみたいだ」


と言ってました。





この数日後

父から上記一連の話を聞いたのだけど

その時  私は一緒に暮らした八王子の祖父のことを思い出したのね。



30年前

祖父が亡くなる直前にも

同じようなことがあったので。




祖父が亡くなる前日

父が病院に行った時

この時の母と同じように

祖父は夢中でおしゃべりしていたんだとか。


やっぱり とてもご機嫌で。




「そんなに話してたら疲れちゃうよ」


と父が止めるまで

祖父はずっと話し続け

翌日  容態が急変し

間もなく永眠。




私が最後に会った時も

冗談を言って笑っていたおじいちゃん。




母も祖父も

「朗らかさ」という点で

前々から(似てるなぁ)と思っていたけれど

最期もやっぱり似てたのね。





母はその後 12月21日

39度近い熱が出て

別の病院に入院。



この時は命に関わる状況ではなく

病院のコロナ対策もあったため

父も面会出来ませんでした。




医師の説明では

心臓  肺  肝臓に水が溜まっていて

これは以前からわかっていたことだけど

水の量は増えていたようです。



その後 一旦熱は37度台に下がりました。




12月26日 朝

病院から「呼吸が不安定になった」と連絡があり

父と兄が病院に急行。



家族の面会許可が出たので

私と妹にも連絡がありました。




母は意識がなく

はぁはぁと荒い呼吸になっていて

でも 夕方になって呼吸が安定したので

一安心して家族は帰宅。



夜7時頃に再び病院から

「呼吸が止まった」と連絡があり

父と兄が駆けつけた時はまだ心臓が動いていたけれど

心臓マッサージをするかどうかの選択で


「肋骨が折れる可能性がある」


と言われた父は

そんな痛い思いはさせたくない

と心臓マッサージは「しない」と決めました。




そして  母の心臓は止まりました。






私はこの日

その都度 連絡は取りながらも

母の元には行かなかったの。



この時は母方の祖父のことを思い出して。





祖父と最後に会った時

私は高校生。


多分 祖父は自分の命はあと少し 

とわかっていたんだろうな。




お見舞いに行って 帰ろうとした時

最後の最後に  おじいちゃん


「握手しよう」


と私に手を差し出したのね。




おじいちゃんの手をそっと握った私に


「もっとだよー!」


と それまで聞いたこともない

おじいちゃんの大声に驚きながら

私は ギューッ

思いっきりおじいちゃんの手を握り

おじいちゃんもまったく病人とは思えないほどの力で

私の手を強く握ってくれました。




この一場面を35年経った今でも

録画したかのように


病室の様子  

おじいちゃんの手の感触

握手の力強さ

その後の優しく穏やかな笑顔


と共にハッキリ覚えている。




知ろうとすること





父が養子なので

私にはもう1人  父方の祖父がいて

覚えているのはお葬式。



棺に入って横たわり

泣いているおばさんたちに触られている祖父



お葬式の意味もわからない

当時3歳だった私にとって

この場面は衝撃的だったようで

鮮烈な記憶として残っている。



というか 

身体があるおじいちゃんの記憶はこれしかない。





人の最期って

強烈な印象で人の心に残る




私は「最期の母」を

おじいちゃんたちのように

覚えておきたかったんだろうな。




連絡を受けた時は  ただ


(私は行かない)


と思っただけだったけれど。





八王子の祖父の最期は朗らかで


母方の祖父の最期は力強くて優しくて


父方の祖父の最期はみんなに囲まれていて



母の最期は  笑顔で  明るくて






孫たちや他の人たちを喜ばせたいがために

母は自分の体力以上のことをして

空回っていたこともありました。



認知症なのに

なぜかお金関係の話はハッキリわかっていて


「お金は自然とまわってくるから札束


と最後のおしゃべりでも言っていてね。




大事な人たちを喜ばせたい!


という想いで

次へ  次へ 回していれば

たとえ 空回っても 笑

ホント 母が言っていた通り

周りには笑顔があふれていくんだな


と思う。





私はこれからも

この最期の母と

母の想いをずっと覚えています。