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両親の老いについて 

また私が面した老いについて綴っています。

 


 

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老いを生きる 目次





12月26日  夜
母の容態が急変し
兄が運転する車の中から

「今 病院から『呼吸が止まった』と連絡があって
    向かっているところだ」

と父から連絡が入った時  私は
ギューッと身体が縮むような感じがしました。



でも 間もなく母は永眠し
最期が穏やかだったと聞いた時は
安堵感が大きくて。



なんて言うか…

抱えていた大きな風船が空に飛んでいったような

そんなポカーンと空いた解放感。



もっとショックだったり
悲しいと感じるのかなと思っていたけれど
それは無くて  有ったのは  母の存在感。



やっぱり 親って大きいんだな。




兄も妹も同じような安堵感があったようで
納棺式や葬儀でも涙はなく
繊細な甥っ子がみんなの分 涙を流してくれて
夜は母の思い出話を大いに笑いながら語り合いました。


 

 

母は大勢で集まって

ワイワイ過ごすのが大好きだったのでね

父も

「こうやってみんなが笑って集まっていることを
   ばぁばはすごく喜んでいるだろう」

と言って嬉しそうでした。




こうして母の死を受け入れられたのは
母が入院後 お医者さんから
「急変する可能性がある」と言われ続け
3年半という時間の中で
覚悟が出来たからだと思います。


コロナで面会が出来なくなって
母に会えないことに慣れたのもあるかな。



けれど 何より

母は幸せだった
よく生ききった

と心から思えたことが1番大きい。




母が入院する前
最後の旅行で一緒に温泉に入った時

「すごくいい人生だった
    だからもう いつ死んでもいいと思ってるの」

と言っていた母。



元々  過去を引きずらず
未来を深く考えることがなかった母は
自分でも「私は子供なの」と言っていて
目の前にある小さなことを

「わぁー 美味しい!」
「大好き〜!」

なんてホント子供のように喜んでいました。


入院してからはその要素がより濃くなって。




私も別居して以来のここ8年ほど
実家に行くことが多くなり
母と一緒に過ごしていてわかったのだけど

たとえ自分に不都合なことがあったとしても
母には見えていないし 気づかないのね。


だから 母の現実としては
「なかった」ことになっている。


よって 母の周りには
いいことや嬉しいこと
楽しいことばかりになる。




子供の頃  私が感じていたのは
父によく叱られている母
だったけれど

母は

「お父さんが言ってることは難しくて
    よくわかんないのよねー」

と言っていたから  
根っからうま〜くスルーしていたんだと思う。



そんな母のあっけらかんとした後腐れなさを
父は

「ばぁばが何かやらかして 強く叱ってしまって
    (言い過ぎちゃったなぁ 悪かったなぁ)
    と思って こっちがクヨクヨした。

     でも ばぁばはどんなに叱られても
     すぐに忘れてケロッとして気にしてなかった。

     だから 気を使うこともなく
     そんな明るさにこっちが助けられていた。」

と母の死後  言ってました。




途中 認知症の薬の副作用で
気性が激しくなったこともあったけれど
薬を一切やめたら 以前にも増して
母の楽観性が爆発!



6つも病気を抱えていた母が
2度の命の危機を越えたのも
最期まで痛みや合併症が出なかったのも
強い生命力を発揮し続けたのも

母の気持ちの持ちようだったに違いない

と家族みんなで話しているの。


本人はまったくのだったけれどね。




3つの病院と特養ホームで
最晩年を過ごした母は
認知症の妄想も面白おかしく手伝って

「かわいい〜」
「愛され上手!」

なんて看護師さんや介護士さんたちに言われて
どこでも人気者でした。




母自身 どこに行っても

「いい所に来れて良かった!
   みんないい人!
   毎日 とっても楽しい音譜
   幸せ! サイコー!!」

と言っていたし。




こんな風に  母の笑顔と
その周りにもたくさんの笑顔があったことを
見守れたのも大きかったな。




私も母の入院時から
死を目の前に提示されたことで
毎回

(これが最後になるかもしれない)

という気持ちで母に接することと
記憶にとどめることが出来ました。


母に(してあげたい)と思いついたことは
後回しにしないで実行するようにしました。



それでも もっと一緒にしたかったこと
あるけれどね。




「いい時にぽっくり逝くからね〜」

と言っていた母なので
どこに行っても
あの世に行っても
たくさんの人たちと楽しむに違いない



そう思えるから安心していられます。




父は既に

「仕方なかったよなぁ」
「ちょっと早かったよなぁ」

と言っているので
これから時間が経ってまた
母のこと  色々思うかもしれない。




でも  母が残してくれた
笑顔
嬉しがっていた言葉
あっけらかんとした明るさ
喜んでいた数々の思い出は
残される人たちの大きな慰めになる。




毎日 父と母のことを話しているけれど
どれもが笑い話になっちゃう。



喜び上手  
愛され上手


でいることは
残る人への癒しであり
最大の贈り物



何よりの家族孝行になるんだな

と思います。