こんにちは、大井です。

 

本日9月27日は安倍元首相の国葬日ということで、124年前のオーストリア皇妃エリザベートの国葬を話題にしたいと思います。

 

1898910日、オーストリア皇妃エリザベートがスイスのジュネーヴで無政府主義者の凶刃に倒れました。大帝国を統べるヨーロッパ随一の名門ハプスブルク家の皇妃がお忍び旅行中に路上で刺殺!この事件は世界中の人々に大きな衝撃を与えました。国際刑事警察機構(いわゆるインターポール)が創設される一つのきっかけになったともいわれる大事件です。

とりわけ、オーストリア=ハンガリーの人々が受けたショックはかなりのものでした。

44年間君臨した「国民の母」が突然、しかも暗殺という形で命を落としたわけですから。

ところが彼女の死後に「国葬」と呼ばれるようなものは実施されていません。

 

たしかに葬儀については、917日にウィーン中心部のカプツィーナ教会で執り行われています。しかしこれは、私たちの感覚でいうところの「国葬」や「大喪儀」とは少し異なります。

 

どういうことでしょうか?

 

葬儀実施日の午後4時、棺を運ぶ葬列が王宮を出発しカプツィーナ教会へ向かいます。1㎞もない10分ほどの道のりを霊柩馬車が通りました。しかしこれはあくまでも棺を教会まで運ぶ「搬送」であり、その様子を見ると「パレード」と呼べるようなものではありません。私たちがテレビで観た英国女王の葬送パレードとはまったく趣が異なります。

 

ではカプツィーナ教会における葬儀の方はどうでしょう?ミサは短時間ですぐに終わったようです。スピーチや献花などもありません。葬儀後、地下の皇室納棺堂で最後の宗教儀式が営まれ一連の葬儀は1時間もしないうちに終了しました。葬儀や納棺式の参列者はごく少数の要人や外国の招待客に限られ、市民にはすべて非公開です。それゆえ「国葬」と仰々しく呼ぶには物足りません。

 


 

もちろん人々がこの葬儀に無関心であったわけではありません。

ウィーンの市内や葬列の沿道は前例がないほどの人出であふれ、当時の新聞でもその様子は大きく取り上げられていました。

 
 
 

2日前に棺が鉄道でウィーンに到着した際も同様の光景が見られました。ウィーン西駅と王宮を結ぶマリアヒルファー通りには数十万人が詰めかけ、ウィーンに帰還した皇妃の亡骸を見送ったと報じられています。

 

 

 


 

さらにはウィーンだけでなく帝国全土も哀悼ムード一色に包まれました。葬儀と同時刻に各地の教会の鐘が鳴り響き、人々は亡き皇妃(王妃)に弔いの祈りをささげました。

商店なども軒並み店を閉じ臨時休業です。

 

となると雰囲気からすると事実上は「国葬」ですね。「式典なき国葬」といった方がいいかもしれません。

 

 

ところで今回の英国と日本の「国葬」では、ともに「弔問外交」という言葉もよく聞かれました。多くの外国要人が参列することで、そこが外交の場にもなるという趣旨ですね。

 

皇妃エリザベートの葬儀に参列した各国王侯の肖像は次のとおりです。

 


 

図の上段左からバイエルン王国摂政ルイートポルト、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、ザクセン国王アルベルト、中段左からセルビア国王アレクサンダル1世、イタリア王太子ヴィットーリオ・エマヌエーレ、ルーマニア国王カロル1世、下段左からザクセン=コーブルク・ゴータ公アルフレート、ブルガリア侯フェルディナント、ギリシャ王太子コンスタンティノスという顔ぶれである。この葬儀が単なる国内儀式ではなく、国際的にも注目されたものであることを示唆しています。

 

まず注目はセルビア国王の列席です。第一次世界大戦開戦の原因となるオーストリアの仇敵が参列しています!しかしこのときはまだオーストリアとセルビアの仲は険悪なものではありません。この葬儀の5年後にこのアレクサンダル1世はクーデターで殺害されます。そこで亡命中のペータル1世が即位し、この新国王とオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の間で第一次世界大戦の口火を切る戦争が始められることになります。皇妃エリザベートの葬儀から16年後のことです。

 

ところで参列者の名前を見渡すと中欧と南欧からの客人が目立ちますね。西欧の首脳はいません。ロシアの首脳もいません。第一次世界大戦の構図を暗示しているのでしょうか?

 

その意味ではドイツ皇帝の列席が目を引きます。主要な大国からは唯一の元首クラスの参列者です。皇妃エリザベートの伯母が元プロイセン王妃(「エリザベート」の名前はこの伯母にあやかり命名)であったということもあります。くわえて、ドイツとオーストリアが特別な同盟関係にあったことを象徴しているともいえるでしょう。

 

※ちなみに皇妃エリザベートの遺体は、ジュネーヴで安置されていた際(ホテル・ボー・リヴァージュにおいて)、検死解剖を受けた後に防腐処理が施され棺に納められました。この棺はスイス製のものではなくウィーンから運ばれたもので鍵がかっています。鍵は葬儀の日に侍従長から霊廟の管理人に渡されました。今でも私たちはこの棺をカプツィーナの地下で見学することができます。

 


 

今回の元首相国葬は開催の是非をめぐって意見が割れていますね。

いろいろな経緯が表沙汰になりましたので、国葬を疑問に感じる人が増えました。

 

個人的な考えとしては、休日にできないのでれば「国葬」にはすべきではないと思います。

先日の英国エリザベス女王の国葬も、オーストリアのエリザベートの葬儀も、店はすべて閉じられ休日扱いとなっています。国民は日常生活を止め一体となって死者を弔い功績を称えます。止めるのは道路だけ!では単に迷惑やうんざりを招くだけになってしまいます。

 

そもそも政治家としては、自分が亡くなった後に国葬を開催してもらうことがそれほど嬉しいことなのでしょうか?それよりも、何十年経っても、あるいは何百年経っても人々から評価され敬愛され続ける方が政治家冥利につきるのではないでしょうか?

 

ましてや国葬をめぐり国論が二分されてしまった状況を見て故人が喜ぶはずはありません。皇妃エリザベートの葬儀においては、民族ごとの不和が絶えない国内が、この時ばかりは一体になったと外国の新聞でも報じられています(もちろんこれは表面的かつ一時的なことであり、そう簡単に克服される問題ではありませんが)。

 

また、エリザベートという人物を研究していると、彼女が自らの「国葬」「国民葬」を望んだとはとても思えません。
 

もしエリザベートのために「国葬」が催されていたら、彼女はきっとこう言うはずです。


「私がこの国のために何をしたのかしら?国葬ですって?そんなの御免だわ」

 

おわり