こんにちは!
大阪のカウンセリングサロン、リフレッシュ・ジョイの五十嵐です。
あなたのこころの健康を取り戻しましょう。
カウンセリングHPでもご紹介していますが、私自身がアダルトチルドレンでした。
一人で格闘し、私のアダルトチルドレンは、どっか行きました(笑)
今は「生きづらさ」はまったく感じません。
そんな私が、大きく変わった点として気づいたことを書きます。
「必死」じゃなくなりました。
必死って言葉、よく見ると怖いですね~。
「必ず死ぬ」んですよ?
見るだけで緊張するわ^^;
「必死じゃなくなる」ってどういうことかというと・・。
例:○時に電話する、って約束してたのに、その電話に出られなかった。
何度か着信が入っていたことに後で気づいた。
慌てて折り返す。
その時に・・
「必死であやまる」「必死で言い訳する」
例:仕事を頼まれて上司に提出する。
必死で仕事する。
必死で期限を守る。
必死で完璧に仕上げようとする。
今思うと、「なんでそんなに一生懸命?」って感じです。
もちろん、「必死」や「一生懸命」っていいことですけど・・。
今でも私、お仕事はしています。
うーん、でも、「必死」ではないかな。
「ありのまま」「のびのびと」やってます。
「必死だった」理由は何だったのか?と考えてみました。
その理由は、「恐怖」があったからかな~と思いました。
例:電話を取れなかったとき。
→「なぜ電話に出なかったのか」と言われるかもしれないという恐怖。
例:仕事を頼まれたとき。
→仕事で自分が評価されない、という恐怖。
私達が「ちゃんとしないといけない」って思うとき、、
できなかったら、「私という人間の評価が下がるかもしれない」という恐怖とか、
「相手から責められるかもしれない」という恐怖とか。
何らかの「マイナスの未来」「○○しなくちゃマイナスがあるかも」
「マイナス・闇・恐怖・地獄」みたいな世界を見ていると思います。
私は、今はそれがありません。
だって、電話は折り返せばいい。
忘れてたら、「忘れててごめんなさい」って言えばいい。
言い訳よりも、誠意で謝る。
あとは、「日頃の自分の行い」「私の人となり」で相手が決めるだけ(笑)
仕事も、相手が期待するほどいい仕事ができなかったら、それは申し訳ない。
でも、私はちゃんと仕事した。
たくさん期待してくれてありがとう。
恐れていなければ、恐れる結果は起こらない。
最悪のイメージというものが頭の中にない場合、何も起こりませんよ。
過去に私が感じていた、「自分の評価が下がるかもしれないという恐怖」
これって、自分で自分を信じていないという証拠だなーって思いました。
アダルトチルドレンの生きづらさを卒業して思うこと。
望んでいるわけではないけど、もしも誰かに嫌われても、まあええかな。
サイアク、誰かに誤解されたままになってしまっても、仕方ないかな。
だって、私は私を好きだし。
私が私の味方でいればいい。
私には、私がいる。
私は、一人じゃない。
自分の中の、本質的な自分。
それは、とても自由でおもしろい子。
私の、最高の友達です。