前世も霊も視えません。でも、運気はスタイリングできます。
はじめまして。前世も見えません。守護霊や高次の存在からのメッセージも聞こえません。龍も見えません。降ろせません。インナーチャイルドを一瞬で癒すこともできません。宇宙と繋がる扉もよく存じません。でも、人の煩悩はよく見えます。これまで3,000件以上の鑑定をしてきた、アラカンの占い師です。私自身も、結婚、3人の子育て、泥沼離婚、起業、恋愛、母の介護など、それなりにいろいろな人生を経験してきました。俺についてこい!タイプについて行ったら大変な事になったり岸だと思ってつかまったら、浮島だったこともあります。そんな経験を重ねながら人の話を聞いていると、言葉と本音の隙間が見えるようになりました。「この人は、本当は何を怖がっているんだろう」「欲しいと言いながら、なぜ受け取らないんだろう」「それは本当に、その人の問題?」私が占いで見ているのは、未来だけではありません。その人が今、どんな季節にいて、何を望み、どんな思い込みを身につけているのか。そして、これから何を選べば、その人らしく機嫌よく生きていけるのか。そう考えると私は、占い師というより「運気スタイリスト」👗なのかもしれません。運気が良いと言われても、自分にまったく似合わない服のような生き方をしていたら苦しい。反対に、運気が少し重たい時期でも、自分のスタイルを持っている人は、それなりに楽しく過ごせます。大切なのは、運気に人生を決めてもらうことではなく、「今の運気を、私はどう着こなす?」と考えること。流行が変わっても、自分のスタイルを持つ人は迷いません。人生も、きっと同じです。そんな私が50代になって、ようやく腑に落ちたのが仏教でした。因縁果の法則煩悩具足自利利他そしてアドラー心理学の「それは誰の問題か?」知識として知っていた言葉を、自分の人生に当てはめてみたら、驚くほど生きるのが楽になりました。ただし、仏教を学んだからといって、いつも慈悲深く穏やかに暮らしているわけではありません。世間を見て、「それ、本当に必要?」「誰のため?」「で?」と思う日もございます。そんなとき、私がかけるのが「ミランダ眼鏡」です。映画『プラダを着た悪魔』のミランダ・プリーストのように余計な情緒や世間の常識をいったん外して、少し冷静に、少し辛口に物事を見るための眼鏡です。仏教を日々の暮らしに実装しながらときどきミランダ眼鏡で世間を見る。このブログでは、占い、仏教、アドラー、50代からの人生、そして人間の愛すべき煩悩について書いていきます。ありがたい教えを説くブログではありません。私も含めた煩悩まみれの人間を「まあ、人間だものね」と笑いながら眺めるブログです。ところで仏教には、「煩悩具足」という言葉があります。人は煩悩100%でできている。しかも、それはいつまで続くのか。聞いて驚いてください。死ぬまでです。なんという絶望。そして、なんという安心🤣その話は、また次回。これからどうぞ、よろしくお願いいたします。👓