私たちが子どもの頃は、
「苦労は買ってでもしろ」
と、よく言われました。
今は、あまり聞かない言葉かもしれません。
苦労をすれば、人の痛みがわかる。
人の心がわかる人間になれる。
そういう意味だったのだと思います。
そして、それを信じていた私。
結婚した相手も、ずいぶん苦労して育った人でした。
父親はDV。
賭け事が大好き。
母親は我が身にしか興味がなく、
親から褒められた記憶もない。
そのうち父親は多額の借金を残して蒸発。
妹はそのため大学進学をあきらめ
残された母親は、朝から晩まで働いて借金を返し、
家には借金取りがたびたびやってきたそうです。
働き者の母親だったとは聞いていても
高校生だった彼は一緒に助けて
家族で借金返したとは言わなかった…
夏中バイトしてバイクを買ったと自慢
????お母さん助けなかったの?て聞いたら
お茶を濁された💦
でもそんな思いしてきたのだからと
若かった私は信じ
「自分の家族は大切にする」
【家族らしい想い出は何もない家だったので嬉しい】
口ではそう言う夫を信頼していました
ところが、生活が安定していくにつれて、
彼はどんどん変わっていきました。
しかも、悪いほうへ
いいことは、すべて俺のおかげ。
悪いことは、すべて誰かのせい。
……どういうこと???
DVとモラハラはひどくなり、
経営していた会社も傾き
家に一銭も入らない状態になり
三人の子供がいるので
私の実家が支援してくれてご飯はありました
すると
夫が言うのです
『俺は食べるものが家になかったぞ!お前らはまだましだ!』
話が違い過ぎました
健康な体で仕事がないなら
アルバイト位するかと思いきや
朝から酒浸り
最後は命の危機まで感じて
泥沼の離婚劇を経て
私はなんとか離婚しました。
そこで私が得た、ひとつの結論。
苦労は、しただけでは役に立たない。
ただ苦労しただけで、
人格が磨かれるわけではありません。
苦労は、人を優しくすることもある。
でも同じように、
人をひねくれさせることも、
他人を傷つける免罪符になることもある。
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これらが一番厄介
違いは、その経験とどう向き合ったか。
見たくないものでも、きちんと見る。
痛かったこと、
悔しかったこと、
自分にも至らないところがあったこと。
それらと対峙して、
飲み込んで、
時間をかけて咀嚼する。
そこで初めて、苦労は「経験」になるのだと思います。
「あれも、いい人生経験だった」
「あの経験がなければ、今の私はいない」
そう言えるようになるとやっと
過去は、自分の身に染みてくる
苦労は、しただけでは智慧にならない
逆に、過去の不幸を何度も握りしめてしまうときは、
まだ今の自分に
「これでいい」と言えていないのかもしれません。
だって、今がよければいいんです。
過去がどれほど大変だったとしても、
今の自分が機嫌よく生きているなら、
最後にはそれでいい。
苦労が人を立派にするのではない。
苦を見つめ、原因を知り、そこから何を学ぶか。
そうして初めて、苦労は智慧になる。
