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幸せな顔をした人のいない競馬場

~でもあなたはしあわせでありますように~

オルフェーヴルの凱旋門賞は、個人的にはベストの2着だった。

2着がベスト、というのは、ディープインパクトに狂った僕としては、そう簡単に勝ってほしくないという気持ちがあること。

それから池添がおろされてスミヨン、これで勝っても日本競馬のファンにとっては、日本競馬の勝利ではありえないこと。

日本馬の勝利→日本競馬の勝利と段階的に歩を進めるのがよさそうだ、とは思う。

ただそれは理性的に、であって、感情的には、日本競馬の勝利ではない日本馬の勝利は、素直に喜べない。

だから僕は、来年オルフェーヴルがもう一度凱旋門賞に挑戦し、鞍上池添で勝ってほしいと思う。

オルフェーヴルは、戦歴的に、自由だ。

これはディープインパクトと比べた場合、大きなことをなす上で、強みだと思う。

オルフェーヴルは泥にまみれたエリートであって、そのたくましさを僕は愛する。

ディープには神馬と呼ぶのにふさわしい個性と魅力があった。

オルフェーヴルには、どこか人間に通じるそれらがある。

非欧州調教馬初の凱旋門賞制覇をなしとげるのは、来年のオルフェーヴルであってほしい。
≪妄想してみた。≫

14時30分、先日居酒屋で意気投合したOL・Y美から着信。

Y美「おなかへったからごちそうしてくれない?」

浮舟の弟「今どこいるの?」

Y美「マンション1Fのファミマ。学食でもいいからさぁ」

浮舟の弟「つぅか、なんですでにそんなとこまできてんだよ?」

ちょっと待って、本返すから、と、天神図書室へ。

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すみません、これ続けて借りられますか?

と尋ねると図書館のお姉さんは、予約が入っていなければ大丈夫です、と言ったが、返却期限をすぎていることを発見し、

期限を過ぎた場合は、いったん返していただくことになるんですよね、

と申し訳なさそうに言った。

Y美「返却期限過ぎてるくせに連続して借りようとするなんて、ださっ」

浮舟の弟、Y美を実盛坂

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から突き落とそうか、と一瞬思った。

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Y美「わぁー、湯島天神。女子高生がお祈りしてる」

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Y美「合格祈願の成就率って、やっぱり湯島天神は高いのかなぁ?」

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Y美「拝殿に入れん」

浮舟の弟、無視する。

Y美「ここから学校まで何分?」

5分もかからねーよっ。

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Y美「警察だね」

浮舟の弟「本富士警察署」

Y美「入ったことある?」

浮舟の弟「むかし、小説の新人賞に応募しようとして派手な事件を考えて、でもそれがどういう刑罰を受けそうなのかわからなかったから、聞きにきたことがある」

Y美「は? 本富士警察署に?」

浮舟の弟「そう」

Y美「馬鹿…。基本、わかるはずないよね?」

浮舟の弟「受付の婦人警察官が誤解して、どんな本を書いてるんですか? とか、なんという作家さんなんですか? と聞いていたので、顔から火がでるほど恥ずかしかった…」

Y美「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どっちも・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

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本富士警察署の角を折れるとすぐに竜岡門がある。

Y美「ここから遠いんだよね?」

中央食堂まで10分弱かかるのだ。

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Y美「なにこれ。マンホールのふたに『東京帝國大学』って書かれてるよ」

浮舟の弟「古いのかな?」

Y美「かっこつけて『帝國』って付け足してるだけなんじゃないの」

ところで着いてみると中央食堂には「closed」の札。

Y美「あんた、人をここまで歩かせといて休み? 『信じられな~い』って、言っちゃうよ?」

浮舟の弟「土日は14時までなんだね。Y美が電話してきた時点で閉まってたわけじゃん。とりあえずこの近くでなにか食べよう」

Y美「いやだ」

浮舟の弟「ん?」

Y美「いやだ。急に武骨のラーメンを食べたくなった」

浮舟の弟「じゃ、上野に行くか」

Y美「その前に不忍池によってボートに乗りたい」

浮舟の弟は、現在ボート池の桟橋改修工事のため、ボートは営業してないんだ、8月にずいぶんこのあたりを歩いたけど、ボートがなくて味気なかったよ~、と説明した。

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Y美「あれなに? ボートに見えますけど…。浮舟の弟さん」

え????????

ボートが…。

10月中旬以降、改修工事が完了して営業を再開します、と告知してあったんだ、本当だよ、工事がはやく終了したのかな?

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浮舟の弟は、それまでスワンボートを陸揚げしていた場所に行った。

するとそこにはこんな貼り紙が。

なんと今日から営業再開なんだそうだ、ただし工事は延期。

Y美「諸般の事情により桟橋改修工事が延期? この時期諸般の事情なんて言い方をするってことは尖閣・竹島問題以外にはないね」

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浮舟の弟「スワンボートの訓練をここで行って、尖閣防衛のために派遣するってことだね」

Y美「戦況がそこまで切迫してたなんて、また政府とマスコミに欺かれたよ」

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Y美「これは?」

浮舟の弟「UENO3153、先月オープンしたばかり」(注:わかると思いますが、「うえのさいごーさん」です。)

Y美「パンダまでデザインしてるね」

浮舟の弟「あれは通りをはさんだヨドバシカメラのパンダがうつってるだけだろ?」

Y美「ここで食べたことある?」

浮舟の弟「ない」

ねぎしが入ってるから牛たんでも食うか。

Y美「3Fに『薩摩魚群』って店があるんだね?」

浮舟の弟「『薩摩魚鮮』だろ? ギョグンじゃなくてウオセン」

Y美「急にパチンコ打ちたくなった…」

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Y美「あ、ここ知ってる。なんども営業停止になった有名なE隔店だよね?」

浮舟の弟「知らないよっっっ。それより写真アップしてからそんなこと言うなよっっっ」

どこがいいかと尋ねられたので、この店の隣の店が最近よく出るよ、と話をしたら、その店の1円パチンコを打つという。

で、実際1000円打ったところで二人とも5連し、一人4000円ずつ勝ってしまった。

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浮舟の弟「武骨で食ってく?」

Y美「もうお腹いっぱいだよ。じゃ用事を思い出したから帰るね」

17時30分、Y美は中央通りの信号をあわただしく渡って、上野駅に入っていった。

なんか、3時間、無駄にした気がした浮舟の弟であった。
方言なんだろうけど、地域的というより自分ち的な言葉ではないのか?

と感じられて、また、下関係の意味をあらわすということもあって、家以外ではあまり使わなかった言葉がある。

「しかぶる」

という動詞がそれなんだが、

大小問わず漏らしてしまう、という意味である。

寝小便をするという意味でも用いるし、我慢できなくて下着に便がついてしまうような場面でも使用する。

僕は、少なくとも九州を離れてからは一度も使ったことはない。

が、その「しかぶる」を見つけたのだ。

前回の記事で『火宅の人』を読んでいると書いたが、新潮文庫版『火宅の人(上)』223頁4行めにこうある。

「いくらおシッコをしかぶってもいいよ。ほらこれだから」

ここでは寝小便をする、の意味で用いられているのだが、思いがけず、個人的に、肉体感のある表現にぶつかってびっくりした。

もう自分では使うことはないだろう方言はたくさんある。

忘れる前にこのブログにでも記録しておこうか、とも思う。

その言葉で検索してきた誰かに、僕がかつて感じた肉体感を伝えられるように。
檀一雄の『火宅の人』を読んでます。

まだ上巻の途中ですが。

読み終わるまでけっこうかかりそうなので、現時点での感想を。

「壮絶な逸脱を通して謳い上げる、豪放な魂の記録」と裏表紙に書かれてるんですが、まさしくそんな感じで、今後どのように展開するのか、とても楽しみです。

男なら、これは読むべき一冊だと思う。

結成した小さな劇団に、後の愛人となる十七歳の少女がやってきた。そのとき、主人公はどう思うか、想像つくかな?

「早く喰われろ、人生と云う奴から…、その上での話だ」

だよ。

どうしても芝居をやりたいと、上京してきた愛人の卵を前にしたときはこんなふうに思う。

「もし一生を棒にふる気ならば、年と共に、それなりの重みは加わるだろう。かりに、失敗したにせよ、思い直せば、人生の滋味は、そこにあるとも云える。」

世界と向き合って、自己と格闘して、苦労して、考え抜いた男の、このスケールの大きさはかっこよすぎる。

少しでも、こんな男に近づきたいと思った。
いよいよ秋のGⅠがはじまり、明日はその第一弾、スプリンターズS。

明日は中山にいってきます (=⌒▽⌒=)

実は先々週、セントライト記念が行われた日にも僕は中山競馬場にいっていたのですが、その日、中山では「早トク! プレミアム抽選会」というイベントをやっていたのです。

午前中に来場した人にスプリンターズSのペア招待席などが当たる、という企画なんですが、その日、ペア招待席に当選した4人のうちのひとりが、、、、

僕なのです キター Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!

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「席章引換状」と、無料入場券までいただきました。

明日は久しぶりにM嬢に会い、某アイドルとつきあっているらしい親戚の話を聞き込んできます(笑)。

昨夜突如として寒くなったので今日は半袖にするかジャケットを着るかで悩んだが、半袖で出勤。

肌には秋の空気の感触、でも日差しは夏の名残をとどめている。

このアンバランスな感じが気持ちいいような悪いような。

今日の湯島天神には修学旅行と思しき高校生の集団がいて、学校の歩道には等間隔に落ち葉が掃き寄せられていた。

平和な秋でありますように。
セイロガン糖衣Aと正露丸糖衣Sの表示が似ている・似ていない訴訟の地裁判決がでた(似ていないそうだ)。

この手の判決がでるたびに思い出すのが「大森林事件」。

「木林森」という標章の育毛剤への使用が、育毛剤を指定商品に含む登録商標「大森林」に係る商標権の侵害にあたるか、ということが争われた事案なんですが、、、

両標章が似ている・似ていないの前に、うけませんか?

僕は「木林森」を育毛剤に使った人のセンスに脱帽します、脱帽しても髪の毛はまだ豊富ですがね(笑)。

ホント、うまいと思うな。
ひさしぶりに母親に電話したら、この前の台風のときは前日から車をAEONにもっていったそうだ。

台風が接近すると毎回AEONの駐車場に車をとめさせてもらうらしいが(自宅に置いておくと瓦などがとんできて傷むから)、今回は台風の勢力が強かった(結果的に海上を抜けていったけど)のと新車だったから、

って、

車買ったの?

言わなかった? 1月8日に試乗会にいったときにアクアを予約して納車が6月だった。今度帰ってきたとき乗せてあげるからね。

母は車の運転を父(母にとっては夫)から教わったので、道路の選択や車線の変更など用意周到、準備万端、父そっくりの合理的な運転をするのだが、その一方で左の車線から平気で追い越したりと、荒っぽさも父そっくりなのだ。

僕は子供の頃、機嫌の悪い父が、見知らぬ他人と抜きつ抜かれつのデッドヒートをする車におびえながら乗っていた経験多数なので、運転は温和だと思うが、母は卓球仲間からも**の暴走族、みたいに言われてるらしい。

安全運転してね、と言っておいた。

台風といえば、去年の記事に、大柿の年は大風が多い、みたいなことを書いたが、僕は母から、母は彼女の父(僕の祖父)から、そのことを聞いた。

去年は墓地の柿に実が驚くほど多く、台風もたくさん直撃したのだが、今年は10個ほどしか実がつかなかったらしい。

そして今年は台風がすべて海上を通り過ぎ、現在のところ直撃した数はゼロなのだそうだ。

自然ってのはすごいものだ、そして人間の知恵もたいしたものだ、と思った。
村上龍の短編小説集『トパーズ』を読みました。

風俗産業に生きる女性たちを描いた小説が集められています。

東電OLの事件があったとき、

東電OLはわたしだ、

と心で叫んだ女性が少なくなかったと聞きますが、ということは『トパーズ』は風俗関係だけでない、多くの女性の姿を描いている、ということもできます。

村上龍の小説はほとんど読んだことないのですが、この作家は、小説とはなにか、ということについて深く考えているように思いました。

力強い筆致は、作家の性格のためだけではないと思います。
三谷幸喜が小林聡美にすすめた本。

漂流しているところを救助されアメリカ人として再び日本の地を踏むことになる実在の人物、数奇な運命をたどった彦蔵を主人公とする、吉村昭の小説です。

人ってわからないよねぇ、漂流しなければ普通の船乗りとしての人生しかなかったかもしれない男が、こんな人生を歩むことになるんだから。

この小説を読み、江戸末期から明治に到る近代日本の黎明期を外国人の視線で見ることができた。

今まで生麦事件とか、日本人の立場でしか考えたことなかったので、新鮮でした。

それから、人ひとりひとりにとっていい人生、悪い人生ってあると思うけど、社会の上空から人々を見たとき、そこには、人生しか、いい人生も悪い人生もなく、ただ人生しかないんだな、とあらためて思った。

それはこの小説が特にいわんとしていることではないけど、誰かの人生を描くということは、おそらくそういう内容を伝えることでもあるんだと思う。

「かれは、これまでの自分の生き方を顧みることが多かった。帰国してからあわただしく生きてきたが、それは大海を漂流していた折の延長のように思えた。・・自分が今でも坊主船に乗って漂い流れているような気がする。」(『アメリカ彦蔵』 吉村昭 読売新聞社 1999年刊 p.435)

「彦蔵は、オトソンも父乙吉と同じように漂流民なのだ、と思った。日本国籍を得ようとして来日したが、日本の地になじめず除籍を願い出て却下された。かれは根のない浮草に似て、ただ漂い流れているにすぎない。それは、ふる里で死者扱いされて帰る地もない自分と同じなのだ、と思った。」(ibid.p.438)

「侘しい村ではあったが、潮の香のまじった空気がなつかしく、不意に涙が頬を流れた。自分のふる里は本庄村以外にないのだ、と胸の中で繰返しつぶやいた。」(ibid.p.440)

漂流と故郷、故郷をはなれることが漂流ではないけど、このふたつはきっとある種の対を構成し、多くの人の人生を語る、重要な言葉となっているのだと思う。

著者吉村昭は「日記に、『この小説は彦蔵を主人公とはしているが、漂流民のことを書くものでもある』と書いた。」(ibid.p.442)そうだが、漂流民のことを書くということは、とりもなおさず、すべての人のこと、人間というものを書くという意味でもあろう。

小林さんがこの本を読んでどういう感想をもったか知りたいなー。

ところで、この小説には彦蔵の恋愛がまったく描かれていない。

終わり近くで結婚した、と記されているだけだ。

この点、ヒロインを創作した『背教者ユリアヌス』と著しい対照をなす。

あらためて辻邦生の偉大さを思った。