幸せな顔をした人のいない競馬場

幸せな顔をした人のいない競馬場

~でもあなたはしあわせでありますように~


Amebaでブログを始めよう!
ジブリの作品があまり好きではない、毒にも薬にもならない世界観、人間観、と書いたことがあったかどうか覚えてないけど、

そうでした。

でも『風立ちぬ』を観て、反省しました。

すみませんでした。

―― お元気ですか?

外国の作品ばかり読んでいた一時期がありました。

日本の作家の書くものとはスケールが違うと思ってました。

そんな世間知らずの僕が読んだ一冊。

日本にもこんなすごい作品があり、こんなすごい小説を書く作家がいたんだ、と驚愕しました。

大学の頃。

その一冊とは『風立ちぬ』。

書いたのは堀辰雄。

―― 人が永久にいなくなるのはあまりいいことではないので時々更新します。

20歳、大学3年生の頃、進学した航空学科の図書室で、僕が手に取ったもの。

きれいに装丁されていたけど中は手書き(当然ですが…)。

在学中にその論文を書いた人の名前が背表紙に記されていました。

だから見たんですけど。

その人の名は堀越二郎。

言わずと知れた零戦の主任設計技師です。

その論文を手にした、専門的な学問の入り口に立ったばかりの、単気筒のエンジンの設計すらできない未熟な学生は、自分の将来に不安を覚えました。

その不安を、昨日のことのように覚えています。

―― 相変わらずのダメ人間、というか、ダメ人間の史上最高値更新中といっていい状態です。

あぁ、ヒコーキを飛ばす方ね、飛ぶ方じゃなくて。

そんなことを言われたことがあります。

この『風立ちぬ』にも似たような、でも僕らの側から発せられる言葉がでてきます。

僕にはいろいろリアルでした。

この作品で描かれる堀越二郎、胆力などはともかく、知力と判断力は、こんな感じの人たちの間に、自分がいたことを思い出しました。

それぞれの夢、それぞれの時間。

そう思いながら、観終えました。

―― 生きて。

メッセージといった大げさなものではなく、でもこの作品の作り手が、本当に、心の底から、思っていることなんですね。

芸術家としての宮崎駿の遺言もしっかり握り締めました。

それぞれの10年。

でも彼が直接的に発した言葉でなく、つくった世界こそが真の遺言(当たり前のことですみません)。

それもしっかり握り締めたつもりです。

―― 泣きました。がんばってみようと思いました。

―― じゃ、また。
新撰組のことが書かれた本を斜め読みしてきたんだけど、

印象に残ったのは、

帰属感

の強さ、でした。

忠誠心というより帰属感。

彼らは楽なはずのない人生を、

帰属感

に支えられてたんじゃないのかなー、

と思いました。

それが自分達の中で崩壊したこともあったかもしれない。

そんなときは苦しかったろーなー、

と感じました。

ちなみに、僕は、昔から、新撰組があまり好きではありません。

ただ、明治新政府の担い手たちが好きというわけでもないです。

すごいとは、思うけど。
今朝、母からメールが届いた。

おそらく多くの人がそうだろうけど、僕も肉親を誇りに思ったことなんか、ほとんどない。

けれど今日、母を誇りに思った。

詳しくは書けないんだけど、

しっかりと、自分のなすべきことをやり遂げて、

彼女の死んだ兄についてのことなんだけどね、

一人の人間が、ここで生きていた証を石碑に刻んで、

結果としてだけど、

後に続く人たちに、道を示した。

大したものだと思ったし、その粘り強い、まっすぐな姿勢を、僕は子として、誇りに思った。

一応、このブログにメモ。

久しぶりに投稿したけど、スマホから、ひどく書きにくいね。

ところで、

ご挨拶が遅くなりましたが、みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?

僕は、花粉で苦しむ時期に、やはり今年も、花粉で苦しんでいます。

でわでわ。
トゥルルルンルルルルルン♪

という音楽が聞こえた。

僕は、ごみ袋を両手にもって玄関をとびだした。

ゴミ収集車の到着がいつもより30分もはやい、大晦日。

なぜなんだぁ~。

と思いながら走る。

ゴミ収集車はいつもの場所からごみの回収を終え、移動している。

しかし次のステーションは50m先だ。

僕は走った。

気がつくと僕の斜め後ろにも、おばさんが同じ方向に、ごみ袋をもって走っている。

なぜか、連帯感。

間に合った。

僕とごみ収集のおじさんとおばさんの頬に同時に浮かぶ、一瞬の笑み。

つかれた…。

みなさま、よいお年を。
打ち合わせが終わって、

事務所に戻った。

所長だけかと思ったら、新人がいて、

どうしようかと思ったけど、

どうした?

お礼、言わなきゃと思って。

と僕は言った。

それでわかるかと思ったんだけど、

?

という感じだったので、

ボーナス、入ってたんで。

満額支給だったのだ。

所長にもいろいろ計算はあるだろうけど、少なくともこの5年は満額支給のボーナスなんてなかったからね。

新人がいて、言いたいことを言えなかったけど、

事務所の景気がいいはずないし、

だからあまり実効的な意味はもたないんだけど、

仕事、もっと、できますので、押しつけてもらって構わないので。

と付け加えた。

押しつけてもらって、は、ユーモアであり、照れ隠しだが、任せてもらって、と言うような性格じゃないから。

そういった、所長との関係でもないし。

仲が悪いからね。

所長は、

仕事が集中したら、お願いするかな、

みたいなことを言っていた。



今日は、雪が降るかも、という予報だったんだけど、



降らなくて、よかった。
ナカザワ、昨日、Facebookに何か書いてたの?

と建設業関係の仕事をしている54歳のサラリーマンがケータイで話していた。

電車内のことである。

いや、俺、昨日事務所でナカザワと打ち合わせしてることにしといたからさ。

そしたら、

Facebookで……

と相手が言ったから。

ナカザワいる?

Facebookに何か書いてたの?

アリバイ工作しとかなきゃ。

たいへんだねぇ、朝っぱらから、と思いました。
12月は明日からだけれど、中央競馬的には、今日から師走だ。

先週は、M嬢と府中に行き、ジャパンカップを見てきた。

これで今年の府中開催も終わり、という記事を書こうと思っていたが、仕事が忙しくて書けなかった。

GⅠのレープロには、いいエッセイが載っていることが少なくない。

ジャパンカップの日のレープロには、村上龍のエッセイが掲載されていて、これがなかなかよかった。

読めば、彼が競馬に詳しくないのは、すぐにわかるけど。

こんなことが書いてあったよ。


第二次世界大戦中、過酷な状況を生き延びたある医師が、象徴的なことを言っている。「生き延びたのは、どちらかと言えば、強健な肉体を持った人ではなく、どんな過酷な状況にあっても、他人への優しさを失わない人だった」


いい引用はいいエッセイをつくる、という意味で教科書通りだが、これはとてもいい。

村上龍、さすがである。

そして、やはり、筆者独自のうがった見方がなければ、いいエッセイとはいえないところ、村上龍はこう書く。

期待してくれる人の希望を消さないという意思と力、それが「強さ」の本質なのだと、ディープインパクトは、わたしたちに示したのだ。

さすがだ。


少年の彼が彫り出したもの。

晩年の彼が遺したかったもの。

後者から前者を引くと、彼が人の世で過ごした生、がその中心として残る。

晩年の作品には、僕の勝手な想像だが、少年が彫り出したものにはない迷いも、あると思う。

ブレるな、という言い方が、少し前に流行ったけど、僕はそれが好きになれず、ずっと堅苦しい感じを抱いてきた。

自分の方針、自分らしさというものは、変わっていくもので、

引かぬ、媚びぬ、退かぬ、(だったっけ?)

というのは、二つめはともかく、ただの頑固者でしかないと思うのだ。

迷って、変わって、その途中でブレて、は当然だと思う。

それは人の世で生きる結果であり、

ブレるな、

なんて、息苦しい励ましを僕は必要としない。

つうか、それは僕にはまったく激励として機能しない。

反感すら覚える。

しなやかであれ、

そう言ってしまった途端、そのメッセージがしなやかさを失うのは残念だけど、

もしそう言ってくれる人がいたら、僕はその人を信頼するだろう。

迷いやブレは、それと真剣に向き合う姿勢があれば、人間的な魅力だと思う。

近ごろ、ゲーセンでスロットを打ち、メダル爆出しして、店員からマークされる、というアホなことをやってる浮舟の弟でした。
前から思ってたけど、



この店、DOBBS TAILOR という英語表記を、



ドヴステーラーとするのは、

いくら「ヴ」にしたいといっても、

無理があるのでは…。



国立西洋美術館、ミケランジェロ展の看板。





コピーがすごく好きだ。


コロプラは思ったより上げなかったが、金曜に仕込んだ分を今日午前中利確した。

最後までババ抜きやってると、ババをつかまされることがないとはいえないからね。

コロプラは黒猫などのスマホゲームアプリをつくってる会社だけど、僕には、この株の売買がゲームだ。

ゲームは、ほどほどに。

大人の遊びとして株や競馬をやってる人も多いと思う。

ギャンブルだから、多分、コツは共通してて、焦ったら負け、待てなければ負け。

あとは、よみやすい状況で勝負する。

さ、仕事しよ。