織田信長にはヤスケという家臣が居たのをご存じだろうか?

ヤスケはアフリカ大陸出身の元黒人奴隷だった。

イエズス会の司祭、アレッサンドロ・ヴァリニャーノが連れていた
黒人奴隷が信長の目にとまったのである。

信長も始めて見る黒人に目を丸くしていたのだろう。
興味津々の信長は、ヤスケの黒い皮膚に、何か塗っているのだろうと思い、たらいにいれて、ゴシゴシこすったらしい。笑。

当時で182cmの黒人といえば、見たことのない人種だし、でかいし。信長はどう思ったのだろう。

元奴隷が信長の元では武士階級扱いとなって、不便の無い生活が保障された。
信長のこの扱いに人間扱いをされたことがなかったヤスケは、感謝し、信長に忠実に仕えたらしい。

信長の最期の本能寺でも、武士として、立派に戦ったらしい。
そして、信長自害の前に、信長から脱出するよう命じられたと言われている。
「おいヤスケ。その暴れっぷり、なかなかのもんよ。ワシの首は誰にもくれてやらん。光秀にくれてやる首などないわ!!がっはっは。お前はここから脱出し、備中高松城の禿鼠の元へ救援に向かえい。」とか信長のおっさんなら言ってそう。

信長に会ってみたいのう。
織田信長
フィラデルフィア出身の黒人ジャーナリスト、ムミア・アブ=ジャマールは、1981年12月9日、白人警察官殺害容疑で逮捕され、死刑判決を受けた。
一貫して無実を訴えたが、いまなおペンシルベニア州の死刑囚監房に幽閉されている。

ムミアが自由を奪われてから26年。

反グローバリゼーションや死刑廃止論など左派の人々および黒人民族主義者に広く支持されている。
アブ・ジャマールの支持者は、彼が10代の頃ブラックパンサー党の高官であっため、大衆に支持されている政治組織を擾乱し破壊することを目的としたFBIのCOINTELPRO(対諜報プログラム)のターゲットにされたのだと主張している。

現実にあるんだな。
こういった事が。全くこれだからアメリカは嫌いだ。

Rage Against the Machineからこのムミアの問題に辿り着いた。

ちなみにムミアのラジオがネットで聞くことができます!
探してみると良い。
MUMIA
MUMIA

ブルーカラー。

ブルーカラー(Blue-collar 青い襟)は、主に現場の作業員など現業系や技能系の職種(主に肉体労働が主体)を指し、研究開発職、製造職、品質管理・品質保証職(いわゆる理工系大・院卒が占める理系職)は除かれる(これらの職種はメタルカラーとする考え方もある)。対義語はホワイトカラーが挙げられる。

ワーキングプア
ワーキング プア(working poor)は、正社員並みにフルタイムで働いても(またはその意思があっても)生活保護の支給額にも満たない収入しか得られない就業者のこと。余剰収入がないので必然的に貯蓄などは出来なくなる。
直訳では「働く貧者」だが、働く貧困層と解釈される。
発展途上国などで見られる典型的な貧困層とは異なり、資本主義の先進国で見られる新しい種類の貧困として近年問題視されている。


イヤー。前述に当てはめると、どちらかといえば、メタルカラーなのか。
まあブルーメタリックと行ったところか。
寒さの冬は灯油代や、衣類に随分費用がかさむ。
内地の人はそうでもないかもしれないが、北海道はこれから厳冬が到来する。
身も心もまさに冬だ。
地下鉄などの交通機関にも恵まれてない地域に棲む僕らにとって、原油価格等の問題は被害直撃。
国家に税金を納め、ガソリン税も国民の中では過剰に支払い、市民税も増えたり。所得税とプラマイ0とか言われても、不満だ。
革命や暴動など起きてくれないかな。なんて、真剣に考えたりもする。
一揆の方が、しっくり来るけど。
道民は何年も前から格差社会到来なんて、とっくに気がついてた。
この際北海道、沖縄は日本から独立が必要かもしれません。
ミルコクロコップ/座頭市
8月15日 PRIDE.28
ミルコ・クロコップ×エメエリャーエンコ・アレキサンダー1R。ゴングと共に2人がコーナーを出る。2人共ゆっくりとリング中央へ。

静かな立ち上がりだ。時計回りに半周した所で、アレクサンダーがフェイントを織り交ぜる。一定の間合いを保ちつつ、ロープ際へ詰める。
最初の攻撃はミルコの左ストレートで始まった。流石はアレキサンダー。この左ストレートに対し、右のフックをかぶせる。両者とも腕が交差するがヒットはしない。アレキサンダーが詰め寄り、左ストレートを放つが、ミルコはしっかりと左ミドルを合わせる。この左ミドルがこの試合のオープニングヒットとなる。序盤、常に先手をとるのがアレキサンダーであったが、ミルコはことごとく、スウェー、ダッキングでスルリとかわしていく。流石はK-1ファイターと言った所か。距離の取り方も抜群だ。アレキサンダーの攻撃も巨体から繰り出せれる圧力、破壊力、共に、一流である。

ミルコは時計回りに周りながら、じっくりと機を伺う。トーンと間合いを越えてくるアレクサンダーに、ピッタリのタイミングで左ローを合わせる。アレキサンダーも、これでは懐に飛び込むことができない。何度も攻撃を仕掛けるが、ヒラリヒラリと、難なくかわされてしまう。やっとの思いでコーナーに押し込んだ。ミルコはフッと重心をずらし、アレキサンダーがバランスを崩した所で、右の膝をアレクサンダーの顎にたたき込む。アレキサンダーがグラついた所でミルコはまたも簡単にコーナーから脱出する。この間未だ、アレキサンダーの攻撃は当たっていない。
再度、リング中央へ。この辺りから、ミルコが見ていて解る程、アレキサンダーを分析しているのが解る。チラチラと目線を、胸、足元、顔面へと這わせる。「ターミネーター」のニックネームは伊達ではない。アレキサンダーもこの殺気を感じたかどうかは解らないが、右のガードを上げる。更に距離を縮めて、接近戦を目論むアレキサンダーに対し、あくまで、自分の距離を保つミルコ。
この辺りから、ミルコの「見えないハイキック」つまりは、フェイントを繰り出している。この気配を感じ、アレキサンダーも、ガードを確認しながら、セオリー通り、左、左へ廻る。距離を詰めようとするアレクサンダーに対し、絶妙のタイミングで左ミドルを合わせ、徹底的に自分の距離をキープする。

やっとの思いで、距離を詰めることに成功し、首相撲へと移行する。上背のあるアレキサンダーにとって、首相撲は分がいい。右の膝でミルコの左脇を狙うが、左肘で難なくブロックされる。突き放して距離を置こうとするミルコに対し、アレキサンダーのリーチを活かした左右のロングフックでコーナーへ詰め寄り、身体を密着させ、右の膝を出すが、ミルコもコレに対し、身体を沈ませ、ポイントをずらし、有効打にならず。
その後に打った、右のロングフックもそうだ。ポイントをずらすだけで、重心をまっすぐに保っている。もはや達人だ。コーナーを背にすると今度はダッキングでかわし、スルリと体位を入れ替え、左フック、ロングストレート、左アッパー、左フック、右ストレート、左ストレートの凄まじく、的確なコンビネーションを浴びせ、払い腰でアレクサンダーの巨体をマットに転がし、クロアチアサッカー仕込みのサッカーボールキックをアレキサンダーの顔面にぶち込む。しかし、深追いはせず。
ここで呼吸を整えながら、紳士のような振る舞いでスタンドを要求する。アレキサンダーもこれに応じて、再びスタンドに。
ミルコの視線が今まで以上に鋭い。その目はアレキサンダーを捕らえて放さない。今度はミルコからアレクサンダーに詰め寄る。それも自然なゆったりとした歩き方で。そこで両者足を止め、間合いを緊張させる。ミルコの鋭い左ミドルをアレキサンダーも完璧にブロックする。ミルコがリング中央で妙にスタンスの狭い体制で構える。

アレキサンダーの攻撃する気配に対し、先に反応してみせるミルコ。
ロングレンジから左で飛び込むが、空をかすめ、密着すると今度はアレキサンダーが膝を出す。これも左手でブロックすると、アレキサンダーのフックを「コンマ何ミリ」の世界でかわしていく。ミルコが「わざとか?」と思わせる様な感じでコーナーを背負うと、なんと自分の左手に視線を移す。この動作を見逃すわけもなくアレキサンダーが詰め寄ると、
「塩田剛三」バリの合気か?と思わせる動きでひらりと右の肩を合わせると、アレキサンダーはコーナーを抱いた。ミルコの目はもう、まるでハンター。「グッ」と重心を沈ませるフェイントで獲物の反応を冷静に見極めたかと思うと、殺気を一度ニュートラルに。それに合わせ、アレキサンダーも右のガードを下げる。この動作を見逃さず、ミルコの左足はアレキサンダーの右こめかみへと大きな弧を描きながら炸裂した。

アレキサンダーの巨体がゆっくりと倒れる。更に左のパウンド2発と右の鉄槌を3発、叩き込んだ所でレフリーが試合を止めた。流石はミルコ。仕留めることを怠らない。完全な勝利を収めた。

アレキサンダーにとって、完全な敗北となったことだろう。手も足も出なかった。付け加えるがアレキサンダーは決して格下などでは無い。特筆すべきはやはり、ミルコ・クロコップ。彼はまさに現代版「座頭市」だ。なぜなら彼は、見えないハイキックを打つし、何よりこの試合で目を閉じてハイキックを打ったのだから。

順を詳しく説明すると目線を「頭」~「胸」~「パチリ(目を閉じる)」~「左ハイ」へとつなげ勝利した。
アイヌの島北海道。

我々大和民族が北海道に広く分布した経過を想像してみる。
函館からこの地に足を踏み入れ、この島を右から廻るクルーと、
左から廻るクルーにまず2つに分かれたと考える。

北海道の主要都市は、札幌、旭川、函館。

蝦夷に渡り、「騙された」と函館で帰るタイミングをまって函館に長いこといたのか。

右に向かうクルーは、多分アイヌ民族が多く住む、苫小牧辺りで、更に二手に分かれている。

更に奥へ(根室方面)と向かう者と、未開の地の内陸へと行く者。多分石狩川から入っている。
根室方面へと向かったのもは、根室辺りの湿地、断崖絶壁にこれ以上先は無いと、その辺りに居座る。

石狩川を遡上したクルーは、札幌で大部分を残し、探求心にあふれる者達が更に北上し、旭川へと入ったに違いない。旭川の南にある神居古潭でアイヌに出会い、多少の道案内もあったのであろう。

そして、更に探求心のある者達が更に北上し、愛別、滝上、紋別まで北上した。




蝦夷に渡ってきた者達で一番、探求心、開拓精神に溢れる者は左へ行ったクルーでは無かろうか。

積丹から見えたであろう奥尻島に進み、羽幌から見えた天売・焼尻島へと渡り、稚内から利尻・礼文島に渡った。「あそこにも、島があるぞ!行ってみようや!!」ってなノリで。

多分アイヌ達との交渉術にも長けていたに違いない。
そして、北上したクルーと、左へ廻ったクルーは網走辺りで合流したに違いない。

北海道開拓のベースになったのが、函館・札幌・旭川。
より北にいる和人こそ。探求心に溢れ、原住民と巧くやっていける資質があるのかも。

楽しかったろうなぁ。
アイヌ達にとっては迷惑だったと重々思うが。