FATHERHOOD -10ページ目

End of CHAPTER.1

12月13日(木)に離婚が成立しました。



多くはここで語りません。



すべてが変わった気がする。自分がある意味で成長した1年だった、多くの犠牲を払ったけど・・・



主旨に沿えない以上、このCHAPTERこれにて終了。





thanks,



 

家内の覚悟


写真: 家内の覚悟

  

離婚

2007年12月13日(木)、今日、離婚が成立しました。

出張で東京に来ていたけど、家内から連絡があって、離婚届を出してきたと。

その後の色々な手続きのために必要なことなどを話した。家内の声はハキハキしていて、ちゃんと次の一歩を踏み出し始めようとしている気持ちが感じられた。

届けを出して終わりって、結果だけみればあっけない。

入籍は2003年4月6日だった。2年間二人で過ごして、2年半年後に魁里が生まれた。そして1年後、家族の絆を感じ始めていたそのときに、おれは離婚に踏み切った。

多くの人を巻き込んだ自分のワガママに、それでも自分で決めたことなのだから、これから全てをプラスにもっていけるようにつとめるまでだ。

守ってやりたい

公正証書

Happy Birthday

Happy Birthday, 魁里!


ごめんな、今はこれだけしか言えない・・・。

 

相手に塩を送れる人

安部さんが辞意を表明。


そりゃ驚いたけど、そんなに騒ぐことか?騒ぐにしても、フォーカスを当てるところ違くないか・・・


人が倒れたのをみて、ここぞとばかりに、さらに蹴りを入れる。


そんな感じ。



こんなときに声が大きい人の正体って。


Low Selfesteem・・・



別に安部さんを支持してたわけではないけど、「人と人の関わり」という見方で今の政界をみていると、あまりの人間性や人格の欠如に心が痛む。


正直、彼が心身ともにやばかったのは明らかだったんじゃないのか・・・


もちろん、悩みのない人にはわからない。


どうやら、本当に心身の状態が悪い人、特に心の状態が悪い人というのは、それを見せぬよう平然を振舞う傾向にあるらしい。(ということは、最近話題の横綱の振舞いの真相はなんだろう・・・)


でも、わかる人たちにはわかる。


心を病んで、それを克服してきたひと、克服しようとしてる人にはわかるらしい。



各自、一流の人間になるように自分を磨いて欲しい。


武士道を心得ている武士であれば、こういうときにどういう振舞いをするのだろうか。



Don't kick a guy in the stomack while he is down.

なぜ

A COMMON BEAT

金曜日に A COMMON BEAT によるミュージカルを観てきた。


友人が出演。誘ってもらった。


   “熱い気持ちが未来をつくる”


   “感じるチカラが日本を育てる”


って配られたパンフレットの表紙に書いてあったけど、まさにその通りだなって。


ミュージカルを観ていてメッセージが伝わってきた。情熱が伝わってきた。


「素敵な生き方してるな、この人たち」って感じた。


彼らは舞台のプロじゃない。自分と同じ一般人。


彼らの情熱がミュージカル上演側に居させてるだけ。自分は観客側・・・


素敵なミュージカルを観ながら、自分が惨めに思えてきたのは、表現力の違いを感じててからだと思う。


やるか、やらないか、その違い。


“REACTIVE” っていう単語が頭に浮かんでた。


何かに触れたとき、感じたときに、自分がどう REACT するか。あるいは何もしないか。


感度の鋭さで反応(Reaction)が変わる。情熱の強さで反応(Reaction)が変わる。


   “熱い気持ちが未来をつくる”


   “感じるチカラが日本を育てる”


そのとおりじゃん。



人のため、未来のためって、がんばってる人を、キレイゴトとしかみない人がいる。


何かにつけて言い訳して、何もしない人がいる。


自分や自分の家族のためだけに日々の暮らしを送るだけで、政治に文句ばかり言ってる人がいる。


感じたなら、何かをすればいい。


「自分のことがちゃんどできてから、その他のこと、その他の人のために・・・」って言う人結構多いと感じるけど、どこまでやったら「自分のことがちゃんとできている」という状態になるの・・・?


やらない言い訳にしかすぎないんじゃないかな。


そんな自分も、気づかないところで、いろいろなところで、言い訳してるんだろうな。


感じて、行動に移す。


これだけで、人生の幅と深さが大きく変わってくる。


そのための情熱と感じる力を、言い訳によって潰してちゃいけない。

 

背中

身の回りには自分を理解してくれる人もいれば、ときには自分にとって敵のような存在になる人もいる。

敵がいなきゃ、味方もいない・・・ みたいな言い方をする人もいるけどね。

理解をしてくれる人は、自分なりの想いや生き方を言葉の端々や行動の中から感じ取ってくれる。

理解してくれない人、否定的な人は、言葉尻にすごく執着して、その言葉に対して議論しようとする。

その議論に付き合おうとすると、自分も醜くなっていく。

「想い」ではなく、「ことば」を伝えようとしてしまう。

少なくとも自分には理解者がいる。彼ら、彼女らは、おれの「ことば」に賛同してくれたのではなく、「想い」や「生き方」を感じ取ってくれた人たち。

いずれわかってもらえればよいのかもしれない。

今、このときに、「ことば」で示さなくても、わかってもらえなくても、

素敵に生きよう。

背中を見せられるような生き方、

生き様を貫き通せば、

いずれ、長い目でみたときに何かを感じとってくれるかもしれない。

彼らも人生のそういうステージにいるはずだから。

いただいたメール

- quoted -


自分の持っている種を育てその花を咲かせる。きらびやかな衣服をまとって自分を輝かせるのでなく…。時間はかかるけど、本物になってください。