テレビ朝日のドラマ「家族」の番宣で、「ドラマは金9」とキャッチフレーズが流れる。このように、曜日を接頭語にした愛称を用いたのは、僕の記憶ではフジテレビの「月9」が最初ではなかろうか。その他、今では水10(すいじゅう)とか、土スペとか、或いは火サスなんて言葉がテレビ業界にある。

最初の、その「月9」はご存知フジのドラマ枠だが、この月9がひとり立ちするまでは相当力がが入っていた。確か、視聴率の3冠を獲得して勢いのあった時代、他にも「ハッチャンネル」などの愛称を使って局そのものをアピールしており、(時期は前後するかもしれないが)ドラマをフジテレビとしてどういう位置付けでやるか、とひとつの賭けに出たもののはずだ。昔々は「ドラマのTBS」という言葉が強く、寺内貫太郎だとか久世光彦氏(故人)の活躍や、向田邦子(こちらも故人)のドラマなど、TBSの独壇場だった。

で、フジがやったのは、他局と同様の作品を作ったところでそれは猿まねや二番煎じだから、思い切って若手を起用したちゃらちゃらしたドラマを作った。ちゃらちゃらという言い方は決して悪い意味ではない。言葉が見つからないが、力不足の役者を敢えて起用し、企画力や広告戦略や、イメージを一新したオシャレな作品を手掛けたのだ。これは出演者と同年代の若者に大いに受け、はっきり言って経験不足のアイドルや歌手などが次々と役者デビューを果たし、それはやがてトレンディドラマと呼ばれるようになった。バブル景気にうまく乗っかった事も追い風となった、と思う。他局はそれを「ふんっ、芝居のいろはも知らないガキの学芸会だよ」などと冷めた目で見ていたはずだが、数字(視聴率)を取ったらしめたもの。今では他局も似たようなことをやっているし、各期のドラマ編成時にはフジの「月9」の動向は欠かせないものになっているようだ。


で、今の「月9」の「のだめカンタービレ」はやはり強いらしい。この枠には木村拓也だとか松嶋菜々子だとかのいわゆる大御所が出るから、主演の上野樹里では弱い印象があったかもしれない。ただ、僕はもう上野の主演と見た時点でヒットは固いと思った。いいところに目をつけている。「スイングすっぞ! 」で前に書いているが、この上野樹里はかなりいい女優だ。映画「スイングガール」で主演してから、こりゃどんどん出てくると思いきや、意外にもそれほどテレビへの露出がなかった。もっと使えばいいのにぃと残念に思っていたら、やっとここで登場したわけだ。育てる側としては、将来性があるからこそ作品を選んだということなのかもしれない。


この「のだめ」を考えてみよう。

原作のマンガは読んでいないから、どういう展開かなと期待しながら見ていた。「題材の音楽」と「競演の竹中直人」の時点で、やはり映画「スイングガール」を想起する。で、今回はクラシックだ。だが、固い話では全く無い。

この主人公「のだめ」のキャラクターが秀逸で、上野はそれを見事に忠実に演じてくれている。クラシックを学びながら保母さんになる夢を持つのだめ。譜面を見ない破天荒な音楽をやりながら、天才的なピアノのセンスに自分で気づいていないという潜在能力。一方で、ゴミの山と共に暮らす、掃除の出来ないガサツさや、千秋に片思いしつつ可愛い押しかけ女房になるずうずうしさとの同居。涙を流す繊細さと、怒りが込み上げると出身地の方言が飛び出す喜怒哀楽。全く、人間としての魅力に溢れたキャラクター。いったいどんな育ち方をしたらそんな人間が出来上がるのかと僕は問いたい。


のだめの持つあらゆる面は、それぞれが『人としての素の部分』だと思う。それを包み隠さず、また隠す芸当が出来ないとも言えるが、彼女は人間らしさに溢れている。そんなのだめに困惑しながら、少しずつ影響されていく千秋の姿がとても愛しく思える。ストーリーの方向性だとか、展開を僕としては特に気にしていない。みな大学生なのだから、いずれは自分の生き方を模索しながらそれぞれの道に進んでいくのだろう。やはり見たいのはのだめの一挙手一頭足なのだ。


僕が目をつけたのは、彼女が自分の事を「のだめ」と呼んでいることだ。「私」ではない。「私は」ではなく「のだめは」と言うのは、一見すると単なる幼稚さにも映るが、僕はそうは思わなかった。自分はどうしたいのか?を逆に問うているのではないかと思う。今のところ、力なく問う場面が多いが、それはやはり彼女自身の迷いを表わしていると思う。「私はやる」ではなく「のだめはやる」のだ。人にはそれぞれの得手不得手や、考えや、欲求がある。誰あろう自分の人生において、意思決定の最終権者は自分にしかないはずだ。そして、そこにはもちろん責任も伴う。人は人で、自分は自分。彼女が常に口にする「のだめは・・・」は、自分自身に問いかけているものだ。

人がどうあれ、自分はどうするのか?自分に何が出来るのか?どうしたいのか?そのためには何をやる必要があるのか?ぼそぼそと頼りない「のだめは・・・」という上野の表情に自分を重ねる。

たぶん最終回では、きっと力強く「のだめは○○しますっ!」と宣言してくれる事と思う。


我が子を虐待したり、自分の手で殺すというニュースに胸がつぶれる。

なんでそんなことが出来るのか。そのような行為に及ぶ理由とその背景を考えてみた。


一般的に、いや誰がどう考えたって我が子の誕生は喜ばしい事だ。それは人としてごく当たり前の感情。生まれた子には未来を託し、その成長が親としての生きがいになる。

なのに、進藤容疑者の殺害動機は「うるさかったから」で、まだ記憶に新しい畠山鈴香容疑者の場合は「疎ましかった」だという。いずれも秋田県で起こった事件だ。

子供に託す未来はもうないのか?

今や、成熟を通り越して“完熟社会”といっても差し支えないこの日本。教育にはお金がかかるし学校でいじめられて不登校になる子供もいる。確かに、子育てはなまなかな気持ちでは出来ない親にとっての一大事ではある。


しかし考えてみるのだ。

我が子には自分の遺伝子が少なくとも半分受け継がれている。我が子の半分は自分自身のはずだ。その我が子を殺めるという事は、自分自身を殺める事と半分イコールなのだ。これは自殺とも通じるものがあるだろう。生きて行く意味を親自身が見失っていたら、自殺を考える親なら、論理的には我が子を殺す事には合点が行く。そうして、そういう状況におかれたなら、しかし「我が子だけは生き延びて欲しいと願う」のが親の心情だったと思うが、近頃は逆だ。自分は生きて、我が子を殺すのだから。

ひとつには、社会が成熟しきっていて、成長を望み難いという現実があるかもしれない。テレビに流れるニュースから、あまり発展的な未来の姿は想像できそうにない。

最近、昭和を懐かしむ、或いは見直すようなドラマだとか映画が作られていて、「やはりあの時代はよかった」と感じる風潮があるようだ。それは否定できないだろう。しかし、それはそれなのだ。

未来の見通しは見通しでしかなく、今の時代には考えられなかった住み良い社会になっているかもしれない。歴史は繰り返されるというから、バブル時代を含めて今はどん底の時代で、その間を耐え抜いたおかげで「見違えるような好景気」がおとずれるかもしれないのだ。その可能性があるのに、子供の未来を奪う事はたとえ親でも許されない。


リチャード・ドーキンスが提唱した「遺伝子は利己的である」という説は、今や生物学の世界では常識だ。生き物は遺伝子の乗りものに過ぎず、遺伝子が代々伝わる為に存在するというものだ。そう考えると、「子殺しに走るような親に流れている」遺伝子は、「自らを淘汰する為に」存在したのだろうか?そう考えると悲しみしか湧かない。

実際、子供の数が今よりもっと多くて、産院で子供の取り違えが珍しくなかった時代に生まれた子供たちは、日本の高度成長をしっかり支える原動力になってきたはずだ。少々無理な理屈かもしれないが、遺伝子を受け継いでいない子だってたくましく育っている。環境が違えば子供の育ち方もまた変わるのだ。だから子供は真っ白な存在に違いなく、親の育て方や愛し方で子供の将来もまた大きく左右される。遺伝子だけが人を決めるものではない。


生きていく事には多くの苦難が待ち構えていて、つらい現実と戦わなければならない厳しい側面はある。けれども、みんなそうして生きている。生きてきた。生きているからこそ、美しいものに触れることが出来るし、素晴らしい体験にもめぐり合う。ひとつひとつの命が脈打っているからこそこの社会があるのだ。


近頃の親たちは、少々疲れているのだと思いたい。本来、生きることの素晴らしさや命の重さを充分わかっていて、でもちょっと疲れているだけだと思いたい。魔がさす大人はやや多過ぎるきらいはあるが、それでも、僕は信じたい。

もう少しいい社会になってほしい。


☆これはだいぶ前に書いていた文章です。アップし損ねていたもので。

フィギュアスケートNHK杯のショートプログラム、浅田真央が首位に立ちました。

やった!真央ちゃん!

既に報道されている通り、この試合で優勝しなければグランプリファイナルへの出場権は得られません。ファイナルに出場するという事は、野球で言えば日本シリーズみたいなものかな?ファイナルなんだから、その年を通じてのチャンピオンという事になりそうです。やはり、それに出て、そして連覇したいところ。あとがないプレッシャーもあるでしょう。また、今彼女は成長期だそうで、調整の難しさもある。それを克服して、すばらしい滑りを披露してくれました。まだ16歳で、このような本番で結果を出すところはやはり大物です。ただ、前回の試合で、彼女は脆さも見せました。一度ミスを犯すとそれをずるずると引き摺って、全てがダメになるという台無しにしてしまうというメンタルの弱さです。今回は幸い目に見えるミスも無く、うまくいったようですが、それを考えると、願わくは一度転倒などして減点されて、それでも盛り返してトータルで首位に立つという事があれば、完璧だったんですがね?既にファイナル進出を決めている安藤美姫は、そのあたりの強さを身につけたようです。トリノ五輪で身も心もぼろぼろだった彼女は、その後原点回帰を図り、精神的にも強くなって復活しております。安藤はこの間の試合でミスをしましたが、その後立て直して、演技構成を咄嗟の判断で変更して、うまくまとめました。そのような冷静さが浅田にはまだ不足しているようです。

さて、明日はフリー。ここで今日のような完璧なすべりが出来れば、優勝できるでしょう。そうしたら、またファイナルで浅田の演技が見れるのです。


そのフィギュアを見ていて、ふと、僕はその前日に報道ステーションに出演した二人の野球選手を思い出しておりました。中日の、セカンド荒木とショート井端の二遊間コンビです。二人は3年連続のゴールデングラブを獲得したそうで。焦点が当てられていたのは二人のコンビネーションプレー。センターに抜けようかという、抑えたとしても内野安打になりそうな、たいがいは「あっ、これはヒットだな」と感じる打球。セカンドの荒木が横からひょいと抑え、それを走ってきた井端にトスし、井端が一塁に送球してアウト。これは、やれと言われても、またやろうと思っても、そうそう出来ないぎりぎりの職人芸。このようなプレーを何度も成功させてしまうというのが、やはりゴールデングラブでしょう。でも僕が思ったのは、これが出来たからゴールデンではないということ。賞の選出は、確か記者投票で決まるはず。年間を通して常時試合に出ているのは当然で、そうして守備機会に確実に自分の仕事が出来ているからこそ選ばれる。エラーがゼロかどうかは知りません。賞の獲得イコール失策数ゼロでは必ずしもないと思うが、少なくとも試合を決めてしまうような致命的なエラーはたぶんないはず。で、この賞をもらえない人というのは、恐らく、何でもないゴロをファンブルしたり、トンネルしたりという、「こりゃ任せられんな」という印象を残しているが故に選出されないのだと思う。つまり、当たり前のプレーが当たり前にきちんと出来ているのです。基本をきっちり抑えているから評価されるのです。だからこそ、咄嗟にあのような芸術的なプレーも飛び出す。普通が出来ない人に、最高をやれる道理がなく、最高のプレーは普通のプレーの中から生まれるのですよ。

今や日本人メジャーの顔となっているゴジラ松井も基本がしっかり出来ると評価されている。イチローも、レーザービームなんて言われるあの送球は「すごいプレーが飛び出すのは、ある意味当たり前」と言っている。普通のプレーにお金を払う意味はないと。


フィギュアとこれがどう関わるのかですが。

浅田真央の滑りを、他の選手と比べての事です。実は、NHKでこの様子が放送される前に、7時台のニュースで結果が伝えられました。滑る前の段階で、もう順位はわかっていたのです。こういう採点競技の場合、素人が見ると優劣がわかりにくいものです。こけたのかこけなかったのか?あとは、飛ぼうとして飛ばなかったとか、手を着いたとか、そんな部分でしか判別できません。しかし、ある選手を見ていたら、スピンやらジャンプやらの時、あの浅田のものとは明らかに違ったのです。こけないまでも、安定感にかけるのです。解説の人(佐藤有香さん。この人の解説は結構好きです)は軸がぶれていると言ってましたが、それがわかったのです。その状態だと、やっぱよくないよなと思っていたらば、案の定その選手はこけました。やはり基本がちゃんと出来ているかどうかは重要なのです。ピンと真っ直ぐに立ったスピンにしろ、ジャンプのあとの力強い着氷にしろ、基本を押さえて、日々練習を積み重ねて身体に沁み込ませたものです。

あぁ、井端と荒木だなぁと思いました。


あとはメンタルな面をきちんと整えて、フリーの演技に臨んでもらいたいです。


それにしても、村主はベテランと表現されてましたが、25歳でその言われ方は気の毒かなと、感じました。もちろんキャリア的なものでしょうけど。残り2枠。浅田ともう一人が誰になるのか?個人的には中野由香利も応援してるんだが。今回はミスしたなぁ。


店が終わってから「氷点」を見ました。こないだ録画しておいたやつです。まだ前編だけ。


チビまるこの森迫永依と、石原さとみ。愛しいです。

飯島直子を張り倒したい気持ちで今はいっぱい。


それにしても、これは・・・きつい。相当にきつい。心身ともになんか・・・萎えます。

全部観終わったら、なんか書くかも。



浅田真央2

しばらく休んでおりましたが。

とりあえず生きております。

僕がブログをはじめて、おおむね1年と4分の3ほどになります。その間、そこそこコメントを交わしつついいお友達でいらした方が、いつの間にやら読者欄から消えており、要はブログ自体をやめてしまった方がいます。また、全く更新されず、想像するに「ほったらかし」になっているブログもあります。また、ブログ自体は閉鎖しないままで全ての記事を削除して静まり返ったままの方もおります。それぞれの事情とお考えがあっての事なので、それをとやかくは言えません。ただ残念、と思うのみです。僕の場合とりあえず、やめるときはそう言います。


近頃ちっとも書く気にならなかったのです。

それなりに書くことを考えてはおりました。僕のパターンはといえば、パソコンに向かう時間までにその日を過ごす中で、まぁ色んな考えが頭を駆け巡るわけですが、その中からなにかしらの話題に絞って文章を書くのです。

きっかけはニュースであったり、ドラマであったり、テレビであったり、或いは自分の過去の出来事からであったり色々です。これは?と思う契機も色々です。ただ、喜怒哀楽や疑問の中のどこかに引っ掛かったものを文章にするという過程においては、やはりなんというか、結構ストレスがもとになっていることが往々にしてあります。

「これは許せんっ!」とか「これは何でだ?」とか「ちょっと心配なんだけど」とかです。で、そういうのをもう四六時中考えているというのが実際で、割合と「疑問に思って」注目するのが多いような気がします。


で、最近はそういうのが「僕がパソコンに向かっている時」はなんだかもやもやとありながらもどうにもまとまらない。別にいいやと考えるのをやめてしまうわけです。

いったい何でかなぁと思っていたら、その理由に思い当たったのです

この間、ツタヤでCDを買ってきました。そして、パソコンを開いてからずっと聴いておりました。楽曲はユーミンです。ふと聴きたくなって、買ったのです。荒井由実時代のナンバーを集めたベスト盤です。それを聴いていたせいだと僕は思います。

いやね。癒されてしまうのですよ。なんだか。ふわぁとユーミンの世界に遊んでいたら、「そんんな、肩肘張らなくってもさぁ、いいんじゃなぁい?」って気分になってしまっておりました。ストレスが雲散霧消したのだと考えます。


理由がわかったんで、まぁユーミンはぼちぼち聴きながら、今後も書きますので。

「東京タワー・・・」を見た。

ビデオに録っておいたやつを三回くらいに分けて、やっと見た。


近頃、これに近い時代の作品が何本か出ている。映画の「AIWAYS三丁目・・・」もそうだし、こないだの「ちびまるこちゃん実写版」もそうだろう。いずれも評判がいいようだ。

ここで「昭和」という時代を考えてみる。

いま、「昭和」と言ったけれども、昭和という言葉を使う時に、「昭和時代」と「時代」をくっつけて言うケースは少ないのではないかと考える。これは、時代を遡るとこの傾向が薄くなる。つまり、明治時代や大正時代も比較的あまり言わない。しかし鎌倉になると、やはり時代を伴って表現されるのではないか。鎌倉時代、と。江戸はそれ自体で別の色んな文化を担っているから独立して使われる事も多いが。

何を言いたいかというと、昭和は今もちゃんと生きていると言いたい。

年号だけで表現をしない時代というのは、歴史の中でのみ語られるが、「昭和」は過去ではあっても歴史の中に仕舞われている過去ではない。何せ、これを書いている僕自身からして昭和生まれであって、昭和を生きた人間だ。昭和の現在は、僕自身の中に生きているのだ。

平成の世になって一息ついてからというもの、この世界は大変生きにくくなっていないだろうか?

こういう昭和を描いた作品には、人々の息遣いや希望や、優しさや、言葉のいらない関係や、あうんの呼吸なんかが溢れている。

確かに、敗戦というつらい体験がある。しかし、そこから日本は上を向いた。

僕らの親の世代や、祖父母の世代や、そのまた親の世代がひた向きに汗して築いた社会が今ある。あの時代は活気があって、人々が感情剥き出しに生きていた。貧しくても、希望を持てる日々だった。そんな気がする。


昔を懐かしむだけでなく、昔から学べるものがたくさんあるからこれらの作品の評判がいいのだと思う。平成になってから失われたものや、軽く見られるようになってしまったもの、捨てる事に抵抗がないもの。そのようなものはかつて有効に、大事に使われていたはずだ。環境問題に配慮してなどと言わずに、本来の人の営みとして大事にすべきものがたくさんある気がする。


けれど、アメリカ人には、この作品を理解しずらいだろうなと思う。まどろっこしくて。

あの夫婦がなぜ離婚しなかったのか、おそらくわからないだろう。母親が溜まった家賃を何も言わずに払ってくれた事や、ホームレスとなりながらも、実家に帰ろうとしない気持ちだ。親への意地があり、気遣いがあり、息子への期待があり、信頼がある。

やはりどう考えても、今の時代に必要な、「もう一度」という気持ちにさせる作品だ。

原点にかえろう。

若槻千夏がまだ復帰できないでいる。まだ22歳なのにこんなに長引くというのは、何かたちの悪い病気にでも罹患したんじゃないかと心配してしまう。

「あたし、自分のおならでびっくりして飛び起きた事ありますよ」

などと、およそアイドルとは思えない素の発言をする彼女はバラエティ番組の顔として欠かせない存在。「あたし頭悪いから」と言う彼女の知識レベルはおそろしく低くて、クイズ番組あたりでとんでもない(しかし微妙にほどよくずれた)答えを発して楽しい。僕は頭が悪いといってバカにしているわけではない。単に知識が無い、知らないだけなのだ。頭がいいとか悪いとか、それは本来知識のあるなしとは全く関係のないこと。彼女だって競馬番組をやってるから、そういう関連知識は豊富にある。知らないけれども懸命に答えを探して、悲しいかな正解には辿り着けず、それでもタレントとして何か存在感を示そうとマジな彼女はどこか愛しい。屈託無く笑い、テレビに出ている事など全くおかまいなしに素の自分をさらけだす若槻は、ある意味タレントの本筋を突っ走っていると思う。

病名などは明かされていないから、単なる過労であって欲しいところだ。


丹波哲郎とか、「渡る世間は鬼ばかり」のお父さん役の藤岡琢也さんとか、岡田真澄さんとか、僕の記憶にしっかり残っている方が亡くなっている。人には必ずおとずれる死だが、やはり残念。


飯島愛の場合は、単に体調がすぐれない時に岩盤浴に行ったとかで、ちょっとまぬけ。この人はちょっとやそっとじゃくたばりはしない感じ。


ところで、僕はいつも見ているわけではなく、母が楽しみにしているのをちらと見る程度の「渡る世間は鬼ばかり」だが、藤田朋子の旦那役の植草克秀。もと少年隊(いや、解散はしてないかもしれないけど)のカッチャンだ。ステージで飛び跳ねている頃からやや丸顔だったと思うけど、この間見たら随分と痩せてた。

あの痩せ方はちょっと病的な印象を覚えたのだ。私生活で或いは何らかの悩みを抱えているとか、いずれにしても普通じゃないと思うのだが。芸能人が「実はガンでした」と言って手術後に会見をするケースがよくある。忌野清志郎(手術後ではなかったけど)とか元チェッカーズのヒゲとか、確か柴田恭平もそうじゃなかったかな?

カッチャン、収録の区切りがつくまでは入院するわけにいかず、投薬で誤魔化して頑張ってるんじゃないだろうか?

いらぬお節介かもしらんが、心配だなぁ。


何はともあれ心身ともに健康が一番。

僕も筋肉痛とか、風邪とか、歯痛とか、或いは包丁で指を切るとか、何らかの不調をきたす事があるが、そういう時にいつも思うのだ。

つらい、と。

健康のありがたみはそういう時にしみじみ感じる。失敗したり、苦しんだりしていても身体が健康であればまたいくらでも立ち直れるってもんです。


身体が資本ですから、くれぐれも健康には留意するべし。

かど番の魁皇が頑張っています。

史上最多、10度目かな?既に無敗の8連勝で勝ち越しを決めました。見事!

おめでとう。身体の調子はいつもいいとは限りません。ケガもある。その中で大関の地位を守るのは簡単なことではない。相撲の白星・黒星はウエイトが大きく、何せ15回しかやらないわけですから。おおむね2回に1回以下しか負ける事は許されない。それが最低ライン。単純な比較はできませんが、野球の一流打者は3回に1回ヒットを打てば認められます。場所中に気合いを集中して2週間を乗り切り、勝ち越しを決め続けることが求められます。ま、横綱の次の地位ですから、常に優勝に絡むのが当たり前ではありますが、それでもたいしたものです。お客さんもよくわかっていて、魁皇に対する声援はひときわ大きく、彼はそれをまた力にして気合いを入れる。拍手。彼が頑張らない人ならお客さんもあれほどの声援を送る事はないでしょう。懸命にやっていることを知っているからこそ声援がやまないのだと思います。

かど番は脱出しました。あとはその勢いで一気に優勝まで突き進んで欲しいですね。


マラソンの出走前に取り上げるつもりでいたけど、高橋尚子は負けてしまいました。

勝ってたら一番に持ってくる話題です。

シドニーでの金メダルから、それより前のベルリン(当時の世界最高タイム)から高橋は日本の希望の星。それがアテネでの代表レースで失速して暗雲がたれ込めました。2005年に因縁の東京国際で復活を果たしたものの、またもやここで、今度は3位という惨敗です。失礼ながら、無名の日本人にまで負けてしまった。もうダメなのか・・・。

けど、高橋を見ていると「自分も頑張らなきゃな」といつも励まされます。何せ、骨折するまで練習するんですから。いったいどんだけ走ったら骨折するんだろう?

ただ冷静に見ると、高橋の身体はもうぼろぼろのようです。敗因を調整不足と言いますが、果たして調整のせいなのか?絶好調の頃、彼女は「走るのが楽しくって仕方がない」とコメントしていました。で、今回37キロ過ぎに3位に落ちますが、この時「まだ5キロある」と思ったそうで。以前は「あっという間の42.195キロ」と言っていたはず。もちろん周りの知らないところできちんと身体の調整をしているんでしょうけど、もう調整の及ばないぼろぼろの身体になってしまっている感を覚えます。

それでも「引退はしません」と気丈に答えましたが、年齢といい、度重なる故障といい、出ない、いや出せない結果といい、北京五輪は厳しいと思われます。

ただ僕は思うのです。

それでも追求して欲しいと。彼女自身の口から「引退」の二文字が出るまでは応援したいと。本人の気の済むまでやって欲しいです。それを決めるのは彼女自身です。


「もう」と思ったら終わり。

「まだ」と考えているうちはやれるのです。彼女に力をもらっている人はたくさんいるはずで、そりゃいつかはその時が来るんでしょうけど、それまではやっぱり頑張って欲しいなと思います。


あ。

やや趣は違うのですが、安藤美姫の2位という結果には満足です。

そうそういつもいつも優勝とはいかないでしょう。ファイナルへの出場権をちゃんと獲りましたから、いいんじゃないでしょうか。

それにしても、キム・ヨナとか、キミー・ワイズナーとか、こいつらみんな美しいなぁ。もうほれぼれしてしまいましたです。


今日の文章、やややっつけ気味?

久しぶりだったけど、ツタヤに行ってCDを買った。

買って店を出ようとしたら、入り口にコンパニオンが立っていた。


長崎県北部地方は急激に冷え込んでおり、今日が昨日と連続しているとはとても思えないほど。夜の事を考えて、僕も部屋のストーブに灯油を仕込んで家を出てきた。

そんな寒さに関わらず、そのコンパニオンの生足がいかにも痛そう。


「どうぞぉ、スピードくじをどうぞぉ!」

彼女が僕に近寄ってきた。「引いていいの?」

「どうぞぉ、1枚お引きくださ~い。お客様、くじは初めてですかぁ?」

「・・・そりゃ初めてだけど?」

「初めての方はもう1枚してもらっていいですよぉ?」

「あ、そう。二枚いいの?」

「今キャンペーン期間中で、皆様にご好評頂いて・・・」

とかなんとかごにょごにょ言っていた。


ぺろん。




はずれ。




もう1枚。



ぺろん。






2等。


「おぉ?!当たったのぉ?」


「わっ!!すご~い!当たりましたね!!!」


2等賞である。やったぜ!

「お客様、すご~い!お客様、音楽とかお好きですか?」

「え?なになに?これが当たったの?うん、大好き」


見ると、彼女の横に鎮座ましましているダンボールのボードに何やら賞品が書いてあり、中段に写真が乗っかっている。そこに2等と書いてあるではないか!これは・・・DVDか?それともアンプか何かか?ラジカセのような面構えではない。見るからにアンプっぽいもの。コンパニオンがそこでぺらぺら聞いてくる。

「お客様、ラジカセかコンポか何かお持ちですか?」

「家に?うん、あるよ」実はラジカセはもう故障したから捨てた。ない。僕がCDを聞くのはもっぱらパソコンで、それと車にあるCDデッキで聞く。だけど、こういう時は即座に「ある」と答えるに限る。当たり前だ。

「ラジカセやコンポに接続しても楽しむことができるものなんですよ」

そこで僕は「はて?」と考える。

なによそれ?

ラジカセでなく、コンポでもないのか?チューナーか?それ単体では楽しめないのでござるか?

「機能としては、有線がお部屋に居ながらにして楽しめるタイプになっております」


「有線?」

「はい。有線とご契約していただく事が条件となっております」

何じゃそりゃ?有線を聞く「アンプ内臓のチューナー?」って事かい。寒空の下でミニスカ生足で頑張ってるから、結構好意的に見ていたし、しかも2等賞でびっくらこいていい気分になってたのに。しかも、彼女の口の端に思いっきり溜まっているつばにきづいて僕はがっかりした。


「有線なんていらねぇ」

「そうですかぁ。それではこちらのノベルティグッズをお持ちください」

僕が三角くじの入った箱に手を伸ばしてから約30秒たらず。彼女はぺらぺら喋り続けていたけど、要は全てセールストークだったようだ。

もらった2等賞。袋に入った一回分の入浴剤(登別温泉)と、ブレンディコーヒーのドリップパックを2袋。なんじゃ。


ま、何かを購入した事でチャレンジできるものというわけでなく、ただ単にツタヤに来店しただけなのだし、そんなうまい話があるわけもなく。おそらく、あの箱の中身は2分の1の確率で2等賞だ。1回目で外れたからもう1枚引かせて、つまり2等賞が出るまでおおむね引かせるものと見た。目的は有線の契約を取る事なんだからね。


思えば、「お客様、すご~い!」の反応もやや棒読みというか、芝居じみててどこか空疎だった。そりゃそうだわな。みんなに「すご~い!」と言いまくっているはずだ。トークの流れとしてなのだ。


これから年末商戦に向けて、うまそうな話に出会うこともあるかしらん。

コンパニオンに注意というか、企業の戦略に注意だな。


決して生足にほいほい引かれて行ったわけではない。

たぶん。




松坂は60億ね?

うん、そうみたいねぇ。

そんだけあったら、もう「左うちわ」たいねぇ。野球選手やめてもよかたい?一生遊んで暮らせるよ。

・・・ちょっと待って。60億は移籍金で、年俸じゃなかけんね?

なんで?60億って言いよったよ?

だから、それは年俸じゃなかさ。年俸はこれから決まるったい。

・・・じゃぁ60億は何ね?誰かがもらうとやろも?誰が60億もらうと?

西武がもらうと!

西武ぅ?・・・西武ば辞めるとやろ?

テレビマスコミは、ひとまず最低限の知識を視聴者が持っているという前提で情報を伝える。母にはちとレベルの高い話だったようで。

あのね?松坂はたった今までは西武の選手。いわば西武球団が所有している商品。で、来季の契約を結ぶ独占交渉権をメジャーに売ったわけ。

ポスティングの話から始めると疲れるから、市場に出た段階から説明。

その交渉権をセリにかけて、競り落としたのがレッドソックスで、その金額が60億円。だから、60億円は西武に入る。松坂との独占交渉権を、西武が60億円で売った。わかった?

・・・ふぅん。

年俸はだいたい15億くらいって言われてるから、それをたぶん3年契約あたりに持っていくさ。すると15億かける3年で45億円。その60億と合わせて100億円くらいレッドソックスは必要になるさね。

・・・ふぅん。


母はそれで黙ってしまった。口を開いたと思ったら、きのうの「歩こう会」の話。100億と聞いて、もう全くついていけないと判断した模様。

「歩こう会」の仲間とグランドゴルフなる遊びをはじめてやったそうだ。ゲートボールみたいなやつ。それでスコアが29だったそうで、「え~。もっと多かったと思うよぉ?」

「数字は少なか方がよかとよ」

横の人がこそっと教えてくれたそうだ。

でも結構楽しんだとやろ?と聞いたら、「もう途中で疲れてねぇ。まだせんばとぉ?」って聞いたら「まだ終わらんと」と叱られたとか。

でも、おかげで晩はぐっすり眠れたそうです。

松坂のユニフォームはまだ決まりません。早くからヤンキースと言われてましたが、最終的にはその宿敵であるレッドソックスになるのやもしれん。しかしだいたい、一番高い金額を出したところが獲得するんでしょうから、記者連中はやっきになって「おたくいくらいれたの?」「ねぇねぇおたくはいくら出したのよ?」「おせーておせーて」と入札金額を探り合っているようです。それが仕事なんでしょうから、ご苦労様です。

どうせならヤンキースの宿敵に所属してゴジラ松井から三振を奪う方が見ている方はおもしろいかと。


ヤクルトの岩村にも応札があった模様。よかった。だけど、中村ノリみたいに活躍できずにマイナー行きにならないで欲しいところ。

阪神の井川もようやく海を渡れそうです。彼なら普通にふたけたは行くでしょう。石井一久が確か14勝あげたんではなかったか?それくらいは望めると思います。


ところで、ポスティングでメジャーにいく選手がぞろぞろ出るたびに、日本球界が寂しくなると言われ、FA制度が形骸化すると危惧する意見があるようです。

それをちょっと考えてみた。


FAとポスティングでは、しかし同じ移籍でも内容が違う。FAは規定をクリアした選手が選手自身の権利として他球団と自由に交渉できるというもの。それに比べてポスティングの場合は何ら規定などはない。所属する球団と交渉した結果として、自分を商品として売りに出す事を求めるものだ。

自分が商品になるのかどうかは選手自身が経験やなんかで判断している。もちろんメジャーでのプレーを夢として持っている選手だから、少なくとも国内でトップクラスの活躍が出来ていないとお話にならない。FAの場合でも、その規定をクリアする為には一軍できっちり活躍している必要があるが、つまりはポスティングを希望する選手というのはFAを取得出来る実績があって、なおかつ抜きん出ている選手であるということだ。何故なら、所属する球団にそれ相当の貢献をしていない限り、普通はまず認められない。何ら貢献もしていないのに「メジャーで自分を伸ばしたい」と言われたって、「お前はあほか?」と「100万年早いわ、ボケ!」とけんもほろろに違いない。要は「FAにおける飛び級的な行為」を自分から求めるのがポスティングということになる。

「これだけ活躍したんだから、FA取得までにまだ間があるけど行かせてよぉ。ねぇ行かせておくれよぉ!」

いいんじゃないかなと思う。

だってそれだけ活躍したんでしょうから。


また、球団にとってFAとポスティングの大きな違いは「実入り」だ。球団再編を思い出すまでもなく、各球団の経営はたいがい火の車。FAはよその球団に移籍されればそれでしまい。また引き止める場合は当然金額が吊りあがる。負担になるのだ。しかしポスティングでは他球団に対してセリをかけて売るのだからお金が入る。そのお金で他の選手を獲得できる。よってお金のない球団はFA宣言されたら「はいどうぞ」と引き止めないケースも多いのだな。これは何かに出ていたが、西武球団は去年、親会社が何やらもめた。堤オーナーが色々とごたごたありました。で、足元を見られそうで、安く買い叩かれる可能性を考えて松坂にポスティングを認めなかったそうだ。今年はそういうのを表面上は綺麗にしたし、「松坂は高いよ?」と胸を張れたんだとか。


プロ野球選手として活躍するようになれば、やはり上を目指すというのは誰もが理解出来る。現実問題、一軍でトップレベルの活躍をして球団に多大な貢献をした選手にとって、国内でのプレーはぬるいのだ。イチローを思い起こしたらよくわかる。彼は国内における安打記録をべらり塗り替えてしまった。記録は破られるものだというけれども、自分で作った記録を自分で塗り替える事が長く続くと、モチベーションを保つのはやはりしんどいはず。自分よりすごいやつと競いたい。そういうやつのいるところでやりたい。そのように考えるのはごく自然だ。


だから、これからも日本のトップクラスにいる選手は、次々とポスティングを利用して海を渡るだろう。で、国内に凄い選手がいなくなるって?ポストが空いたんだから、出てくるべき選手がちゃんと頑張ってくれないと困るのですよ。「日本のプロ野球がつまらなくなる」とあまり言い過ぎると国内の選手に失礼だ。

松坂はそのへんをちゃんとわかっている。彼は記者会見で確かこんな事を言った。

質問:メジャーに挑戦する選手がどんどん増えている状況をどう見るか?

答え:出て行く人がいれば、国内でもまた上がってくる人がいるでしょう。いい才能は次々に生まれます。

このような内容だったと思う。

松坂の頭には、おそらく楽天に入団した田中将大や早稲田に進学した斎藤祐樹が頭にあったと思う。その通りだと僕も思う。


あ、ついでみたいで悪いけど、日本ハムファイターズ、アジア制覇おめでとう!

ひとつでも負けると優勝を逃す可能性のある選手権で、苦しみながらも無敗で勝ち抜いた選手たちは立派です。しびれるゲームでした。

小笠原よ!どうする?

巨人に来るのか?

僕は来るんではないかと思っています。