樹木希林さんの他界がいい感じで尾を引いています。
懐古できる動画がたくさんアップされたり
映画がフューチャーされていますものね。
 

観たいと思いながら
すっかり忘れていた映画「あん」
観ました。
 

元ハンセン病患者(樹木希林さん演じる)が
尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマです。
 

時代の流れの中で抗えない力に
深い傷を負わされた人がたくさん居ること
忘れがちな自分がいます。
 

大きな勢力が
弱い立場の人を
より一層不自由にしていく。
 

こういうことは時代が進んでも
形を変えて無くならないのだという
理不尽さも感じます。
 

そして、
どうしようもなく
遣る瀬ない経験を持つ人の方が
いろんな声が聞こえてきて、ふところ深く
本当の意味で「聴く」ことができるのだ
ということ、今更だけど感じた作品でした。
 

夜中に思い立って
ネットでスグに観れるこの便利さも時代の流れ。
一方
健常者への高い利便性が不自由な方への
不便に繋がっているシステムがある現状を
知らない大多数の人が居るのもこの時代。
——
例えば
ナビは点字でも
実際使うATMマシンはタッチパネル。
視覚障碍者は利用できない。(涙)



併読しかけたけれど
「さよなら、田中さん」にのめり込んで
先に読んでしまいました。
 

貧しい母子家庭で育つ小6女子の目を
通して描かれていて、笑いと涙の文章。
でも、お涙ちょうだいの文章ではなく
明るくでもリアルさも伝わってくる。
 

毒親についても
嫌味なく、素直な子どもの目で書かれてあります。

この本を14歳の鈴木さんが書いたこと
それに胸キュンでした。


今朝、ワンコとお散歩していると
ピンクの紫陽花を見つけました。
 

季節を間違えて咲く桜など
時季外れの開花って時々ニュースになります。
 

リアルに自分が見つけると
嬉しいな~って感じです。
 

人生に重ねると
働き盛りの時季も終え
終盤?って時にブレイクする人。
 

有名な人は目立つのだろうけど、
こういうことって
無名でフツーの人の人生にも
起こっているんだろうなぁと思います。
 

ネット時代の今は特に…。
 

情報を見過ぎてもいけないし
全く見ないのも問題。

 

誰からの情報か?
自分は誰から情報をもらえるか?
自分がどんな人に情報をシェアしているか?
それがポイントじゃないかなぁ?



ただただ長生きする
なんてことに 興味はないから
高齢と言われる頃の自分を
想像することは少なかった。
 

でもでも
現在52歳で
もう既に高齢だわ。
だから
こんな書籍の宣伝に目が止まるわけです。
 

「不安がなくなりました!との読者の声、殺到!」
ってここには書かれてあります。
 

不安って様々です。
お金の不安
人間関係の不安
自分の存在価値の不安
 

実際に将来に不安事項があるかどうか?と
今ここで不安を感じているかどうか?との
違いは大きいなぁと思います。
 

未来のことは予想しかできず
確実には誰にわからない。
でも確実なのは
今の自分と未来の自分は繋がっていて
自分の将来は自分や自分に降りかかる
偶然が創っていくということ。。
 

そうならば、
不安も抱えながら
期待を抱えて
今を楽しめる選択をすることかな?
 

自分の将来は自分で引受けるしかないから…。


早朝のお散歩でで見た神社前の訓示。
 

「小さな穴が巨船を沈める」
 

小さな穴…って
見過ごしがちな失態や
見過ごしてないけど
まぁいいか…と思ってスルーしていること
 

ドキッ!
あるある
あぁ、思い当たることあるなぁ。

戦場カメラマンと呼ばれることを嫌った
写真家・沢田教一(34歳没)。
私が生まれた年、1966年ピューリツァー
賞受賞ということにも少し偶然の出会いを
感じ観に行ってきました。
 

文章やビデオで伝えられる戦争も迫り来る
ものがありますが、一瞬を切り取った写真は
カメラマンの視線を感じ違った味わいや
伝わるものがあります。
 

戦争の惨状だけでなく、その合間にある
日常が伝えられたものもありました。
 

▼彼の文章
平和になったら
ベトナムを北から南まで
ゆっくり撮影旅行したいな。
ベトナム人の笑顔って 最高なんだよ。


「畑を見に行くと収穫一週間前の枝豆が倒れていた」
とラジオで農家の方からのメッセージが流れてきました。
 

交通情報だけを気にする私と違い、
農家の方は収入に関わるお天気情報に気を
揉んだ一夜だったろうなぁ。
 

いやいや農家の方だけでなく
海に出る方もそう。
他にも私の知らない方面で気を揉んでる方
いらっしゃるだろうなぁ。
 

一方、
暑かったらエアコンをつけ
足りないものはコンビニで
….という傾向が強くなる私。
 

だんだん不自然になっていく自分を
自覚しておかなければ….と
こんな時にしか思えない自分を
情けなく思いながら、
今も空調の効いた部屋でキーボードを叩いている。
 

自分も自然の中の一部であること
時々は思い出さねば….。

数日経ちましたが
78歳ボランティアさんのこと、
会う人会う人の間で話題に上ります。
 

今回の救助だけでなく、
これまでのあの方の行動に感動
する人が多いのですよね。
 

人にどう見られるかより、
自分がどうしたいかで素直に行動されている。
濁りないストレートな姿勢を感じます。
 

私なんかは思い立ったとしても
すぐに行動に移さず、
その内に気持ちが薄らいで
そうして記憶の底に沈ませてしまう。
その繰り返しのように思います。
 

自分の日常を変えないことを
無意識に優先してしまっているのです。
そういう自分だから
あの方の行動力に感心するし
率直でストレートな言動
そして爽やかさに憧れます。

糸井重里氏が
「心臓が何度もぎゅうっとなった」と
帯にコメントしたとの本を読みました。
数時間で一気読み終えました。
 

タイトルからも想像できるかな?
切ないというか、糸井氏の表現どおり
胸がぎゅ〜っとなります。
 

エアコンを入れず扇風機だけの部屋で
読みましたが、汗と涙の具合で
なんだかちょうど良い暑さと熱さでした。
苦しい場面ありながら、読後は爽やかでした。
 

紹介したい文はいろいろあるのですが、
多くの酷い思い出を抱える彼の言葉だから
響く….そんな文章を紹介します。
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強くなりたいとか、強くなれないとか、人はよくそう言います。強くなるって、なんなのでしょう。どうすれば強いくなれるのでしょう。気が強そうな人でも、案外ぼっきり折れてしまったりしますよね。ちょっとやそっとのショックやストレスではへこたれない、強くしなやかな心を作るにはどうしたらいいのでしょう。筋肉だったら、筋トレすれば強くなりますよね。でも心って、どうすれば強くなるのでしょうか。
 

正解はないのかもしれません。答えは人によってさまざまなのかもしれません。僕は思うんです。心を強くする方法は、いい思い出や楽しい思い出をたくさん作ることなんだって、楽しい思い出がいっぱいある人は、寒鴉tんに人生に絶望したりしません。つらいことがあっても、つらいことばっかり続くわけではないことがわかっているからです。

現代人が失いかけていることは
 「話し合い」などではなくて
 むしろ「黙り合い」だ。
 

コミュニケーション能力アップ….と
うるさいほどに言われているけれど
相手が話している間に
「次は何を言おうか」…なんて考え
発言内容を大して聞いてないのは
コミュニケーションではないですね。
 

テンポ良く会話が進められることが
コミュニケーション上手とは言えない。
本当に思います。
 

ここで言う「黙る」というのは
言い換えれば「聴く」「受け止める」
ということ。
 

そう考えると会話は
サクサク進まなくてもいい
相手の言うことを受け止めようとして
相手の発言のあとに
間が空いてもいい
理解できない点をたずねてもいい。
逆にそうした方がいい。
 

関係を紡ぐためには
そういう姿勢が必要だし、
関係が築けている相手の前では
自然にそういう姿勢になっているのだと思う。
 

そんなことを考えると
世に広がるコミュニケーションセミナーが
本来求められる力を示唆する内容なのかなぁ?
なんて危惧する。
形のだけの会話を育てるものなら
表面上の関係に終わってしまう。
 

セミナー終了後、
参加者がサ〜ッと引いて
散り散りになるようなら
そのセミナーの中身は疑わしいかもしれない。