民数期21: 4
彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、
民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」
そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。
民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」
モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
イスラエル人は旅立って、オボテで宿営した。
ここを見て行こうと思います たとえで
民数期21: 4
彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、
かつての事は今の新約のクリスチャンに書かれています 戒め として
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。
旧約の箇所を見る際にも新約に生きている我々へのことが書かれていることが解ります。
民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」
パンとはみことば キリストの肉 永遠に生きる、まことの食物 聖書の事で
水は霊 サマリヤの女の井戸の箇所などでここでは聖霊の事だとわかります
エジプトは奴隷を現し モーセ(引き出す)されて自由のみキリストにある自由になった、つまり今のクリスチャンを指すわけで、「エジプトに戻ろう」とは奴隷の身分に戻る事、すなわちキリストの購いとは逆の行動です。
民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」
にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
荒野 が関連されて書かれており、新約の事として読めるわけです。
民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」
そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。
聖書 聖霊 を否みじめな食物 飽きた というこのクリスチャンの行動と蛇にかまれ死ぬ事が関連して新約の皆さんにかかれてあります。
民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。
罪を犯した事を気付くのと気付かないのとでは大きく違います、気付くのなら解決できる可能性があるからです。
すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」
モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。
イスラエル人は旅立って、オボテで宿営した。
旧約のようなものはない今の時代 一体何を仰ぎ見れば生きるのか?
だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
色々今の新約時代仰ぎ見て、生きるようになるもの のような事柄が多いです
○○さんを仰ぎ見て生きる、車であったり、風景であったり、ミュージシャン、映画俳優、すばらしい作家の本 有名なクリスチャンの本、しるしや奇跡を行う人を仰ぎ見る・・・キリストのかわりに人間を仰ぎ見て生きよう などなど
しかし、仰ぎ見て生きるには イエスキリストのみであり 他のものを仰ぎ見て生きるようになることは出来ませんよ、騙されないように!
さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
「旧約の民は良くわかっていなかった、新約の民は大丈夫だ」など高ぶらず今回の聖書箇所のようにならないように、注意してください。