894冊目『別れを告げない』(ハン・ガン 白水社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

前々回は松本清張『北の詩人』(892冊目)、前回は梁石日『Z』(893冊目)を取り上げたが、これらの小説に共通するのは混迷する解放直後の朝鮮半島を舞台にしているところだ。周知のように、帝国日本が解体し、植民地から解放された朝鮮半島は、そのまますぐに独立したわけではなかった。帝国日本の代わりに、今度は米国とソ連が乗り込んできたからである。これは宗主国のすげ替えでしかなかった。当初、朝鮮半島統治をめぐっては、信託統治が提案された(モスクワ三国外相会議、1945年)。信託統治の提案は、朝鮮人には統治能力がないということを前提にするものであり、当然ながら、朝鮮半島では信託統治反対デモが相次いで起こった。実は、米軍は朝鮮人のデモを影ながら支持していたらしい。というのも、もし信託統治が実施されたとき、地理的に朝鮮と近いソ連が実質的な支配権を持つことが予想されたからである。松本清張の『北の詩人』では、これらの事情が詳しく描かれている。

 

結局、朝鮮半島は米国の思惑通りとなった。米軍庁が支配する南朝鮮では単独選挙が行われ、李承晩が大統領となった。実は、この大統領選挙を唯一実施できなかったのが済州島である。済州島では、単独選挙による激しい反対運動が起こった。単独選挙に反対する武装隊は漢拏山(ハルラ山、韓国で最も標高が高い山)に籠り、陸地から派遣された鎮圧部隊と抗戦したが、わずか二〇〇人程度の武装隊をなかなか攻略できなかった鎮圧部隊は、島民を皆殺しにするという、とんでもない暴挙に犯した。島民の中に武装隊が隠れているはずだ、という論理である。学校の校庭に集められた島民は、鎮圧部隊の機銃掃射で瞬く間に虐殺された。子供も女も老人も関係なかった。常識外れのこの鎮圧は、共産主義への激しい嫌悪感に基づくものである。実際、鎮圧部隊に参加した西北青年会の一部は、朝鮮半島の北部にいた者たちであり、資産を全て取り上げられ追放された恨みが、このような虐殺をさらにエスカレートさせたのだった。

 

島民のおよそ三万人が虐殺されたという、この事件は「済州島四・三事件」と呼ばれ、あまりの悲劇にもかかわらず、韓国では長い間タブーであった。軍事独裁政権時代における言論弾圧もさることながら、なによりも悲惨と形容するにもあまりにもむごい虐殺を体験した済州島民にとって、もはや権力に刃向かう力などなく、ただひたすら「羊のように従順になること」(727冊目『済州島 四・三事件』、173頁)だけが生存戦略になってしまっていたからである。済州島四・三事件が脚光を浴び、犠牲者の名誉が回復されるのは、金大中政権時に公布された「済州四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」(二〇〇〇年)まで待たねばならない。また済州島四・三事件については、非常に難しい問題がある。南朝鮮の単独選挙は、現代の韓国の起源であり、これを阻止しようとした勢力を国家が犠牲の英雄として顕彰することは、建国のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない危うさがあるからである(前掲書、181頁)。そういう意味で、済州島四・三事件は、決して過去の話ではなく、きわめて現代的でアクチュアルな問題なのだ。

 

ハン・ガンの『別れを告げない』という小説は、この済州島四・三事件を扱った小説である。物語構成的な観点から言えば、おそらく、この小説は、済州島四・三事件について上記のようなことを知らなければ、物語の重みがなかなか理解できない。同じく済州島四・三事件を扱った玄基栄『順伊佐おばさん』(728冊目)にも共通するところだが、『別れをつげない』では、四・三事件の背後にあるイデオロギー戦争の匂いがほとんど脱色されている。この事件の黒幕であるアメリカもソ連もそれほど出てこない。多くの島民が「お前はアカか?愛国者か?」というイデオロギーの選択を突きつけられ、虐殺されたことを思えば、これは実に不思議なことだ。しかし、もしこの小説がイデオロギーを主語にした物語だったら、それは残念ながら通俗的な歴史物語にしかならなかっただろう。人が人を殺すということの、なんともいえないやり切れなさ、不条理、無力感、トラウマ……こういったものを、ハン・ガンはイデオロギーに責任転嫁せず、まっすぐに人間を見つめて書いている。アウシュビッツの虐殺が世界を震撼させたことによって知識人の間では、ホロコーストは表象できるのかという問いに関心が集まったが、ハン・ガンは、この小説で、済州島四・三事件の表象不可能性に挑戦したのだといえよう。