892冊目『北の詩人』(松本清張 角川文庫) | 図書礼賛!

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近年、日韓の文化交流はめざましいものがあり、日韓のドラマや映画がお互いの国で見られたり、お互いの言語を学習する人が増えていることは大変喜ばしいことだと思う。特に最近、韓国の音楽番組で放送された「韓日歌王戦」は、両国の文化交流を一層深めた感がある(1)。とはいえ、「親日派」という言葉は、韓国では相変わらず否定的な意味合いを持つ。この言葉は売国奴という含みを多分に持っているものと思われる。金泳三政権時代に、朝鮮総督府を解体し、盧武鉉政権時代に、過去清算事業の一環として「日帝強占下反民族行為真相究明に関する特別法」が制定されるなど、「親日」清算は、戦後韓国にとって大きな国家的課題だった。朝鮮半島は、三六年間、日帝の植民地に苦しみ、解放された後も、朝鮮総督府はその権限を渡そうとせず、それどころか、米軍庁とグルになって、朝鮮半島の独立を阻害さえした。もちろん、これには親日派の朝鮮人も関わっている。私は解放後の朝鮮半島の混乱ぶりを、本書『北の詩人』や、梁石日の『Z』を読んで知ったのだが、親日の問題は本当に根が深いものだと思った。

 

松本清張『北の詩人』は、親日派の朝鮮人・林和を扱った小説である。帝国日本が敗戦し、朝鮮半島が解放されたとき、林和も朝鮮人の一人として大きな喜びと誇りを感じた。しかし、林和にはひとつ引っかかることがあった。それは、林和がかつて植民地時代において日帝のイデオロギーを正当化し拡散させる文章を認めたことだった。解放後の朝鮮半島において、民族としての芸術や文学を振興したいと考えていた林和にとって、かつての親日行為に加担していた罪は自身の経歴における大きな傷だった。むろん、林和は本心から日帝のイデロオギーに共鳴していたわけではない。日帝の支配に逆らえば、牢獄に連れて行かれ拷問が待っている。ただでさえ身体的に弱い林和にとって、牢獄暮らしをすることは死を意味することであった。林和は、次のように自分の「親日」を正当化する。

誰だってあのときは仕方がなかった。肺を侵されているし、監獄に入れば死ぬに決まっていた。しかし、心から日本官憲に屈服したのではない。あれは見せかけなのだ。偽装「転向」だ。16頁。

ところで、親日派の文学者には、李光洙がある。李光洙は、民族主義者として朝鮮独立運動にも関わったが、最終的には林和と同じように、朝鮮人として日帝のイデオロギーを広める御用文学者となった。李光洙は、解放後いち早く、その親日派として過去の行為が問題にされ、反民族処罰行為法において検挙されたが、その際に放った「私は民族のために親日をしました」という言葉は有名である(774冊目『李光洙』)。そういう意味では、林和も「民族のために親日をした」と言えるのかもしれない。独立という民族の悲願が達成されるまで、この屈辱を耐え忍ぶことも立派な愛国精神ではないか、拷問されて死んだらそれまでじゃないか、そのように林和は自分に言い聞かせる。さらに、林和は次のように思索を進める。海外にいる民族運動家は、日帝の弾圧を逃れて国外に移動したに過ぎない。これも広く考えれば反民族的行為と言えるのではないか。自分も身体さえ健康なら各地を動き回って独立運動に邁進していたのだ、と。

 

四方田犬彦は、今の韓国映画に足りないのは「親日派をいかに描くことか」だという(511冊目『われらが〈無意識〉なる韓国』)。植民地時代における独立主義者の抵抗を描いた『暗殺』(2015年)、『密偵』(2016年)には、親日派が登場するが、それはあくまでも裏切りものとしての親日派であり、断罪すべき存在として描かれている。それは『北の詩人』で描かれる親日派の林和の人物像と極めて対照的である。根っからの裏切り者から、戦略的な転向者や暴力に怯え意思を挫かれた者まで親日にも様々なバリエーションがある。韓国内で、親日に関する多様な問題についてどのように議論されているか私は知らないが、少なくとも韓国映画では、李光洙、林和といった哀れむべき親日派に居場所は与えられていない。ところで、林和はまさに悲劇の主人公であった。米軍庁の進言に従い、北に渡った林和だが、過去のスパイ行為が仇となったのか、北朝鮮の米軍庁のスパイとして死刑に処されている。小説『北の詩人』の冒頭には、林和の詩が引用されている。この小説を読んで後で、この詩をもう一度読み返すと、林和の塗炭の苦しみが伝わってくる。なお、この小説『北の詩人』を読むきっかけは、アリラン・ブックトークの「『北の詩人』と林和」(5月18日)に参加したことによるゲストは、植民地文学研究者の渡辺直紀氏(武蔵大学教授)であった。

 

(1)韓国で高視聴率を記録、『日韓歌王戦』に出演した「トロット・ガールズ・ジャパン」シンガーが凱旋(田中久勝) - エキスパート - Yahoo!ニュース

(2)文化センター・アリラン公式サイト | 韓国・朝鮮の図書館。 在日韓国人・朝鮮人と日本人との出会いの場。(東京都新宿区大久保) (arirang.or.jp)