728冊目『順伊おばさん』(玄基栄 金石範訳 新幹社) | 図書礼賛!

図書礼賛!

死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

まずこの作品が誕生する経緯から述べておこう。前回のブログでは、済州四・三事件を扱ったが(727冊目『済州島 四・三事件』)、『順伊おばさん』の著者・玄基栄は、その四・三事件の生き残りである。済州四・三事件は済州島民まで巻き込み、多くの犠牲者を出したが、玄基栄は幼少期にこの島での悲劇を体験している。「一周道路わきの窪み畑ごとにぎっしり埋まった真っ白い死体の山をこの目で目撃した」(32頁)とある描写は、文学的想像力ではなく、著者の実際の体験に根差している。玄基栄は、済州島を出、ソウルで教師をしながら小説を書き、文壇デビューをする。純文学作家としてスタートした玄基栄だったが、後に故郷の悲劇に正面から向き合う必要性を痛感し、1978年「順伊おばさん」を発表した。小説『順伊おばさん』の初版の翌年に朴正煕大統領が腹心の部下に狙撃され絶命し、「ソウルの春」が訪れた。しかし、1980年に全斗煥がクーデターを起こし、またしても軍部独裁政権が誕生する。反共を国是とする全斗煥煕政権において、四・三事件を悲劇と捉える作品世界は到底受け入れられるものではなかった。『順伊おばさん』はその後、発禁処分となり、著者の玄基範も拘禁された。

 

朝鮮半島の悲劇は、植民地解放後も米ソの分割統治を受け、冷戦の前線となってしまったことだろう。南北に分断された朝鮮半島は、米軍が主導する南の単独選挙によって、いよいよ分断が決定的になろうとしていた。済州島四・三事件は、この五・一〇単独選挙を阻止するために断行された左翼勢力の武装蜂起である。しかし、『順伊おばさん』には、このようなイデオロギーとしての冷戦構造にはほとんど焦点が当てられていない。解説で金石範が「アメリカのアの字も出てこなければ、アメリカの影さえ見ることができない」(203頁)と述べているように、米ソの二大強国への関心はない。『順伊おばさん』を読めば、著者が四・三事件の主題に据えるのは、そうした冷戦の主戦場になってしまったことよりも、左右の鍔迫り合いに多くの無辜の島民が巻き込まれ犠牲となってしまった不条理の方にあることが分かる。軍は、わずか数百人の規模でしかない左翼の武装隊相手に、焦土化作戦を選択した。「蚊に向かって刀を振り回すようなもの」(83頁)としか言いようがないこのアンバランスな鎮圧過程で、多くの村が焼き払われ、家畜の牛や豚は無残にも焼き殺された。

 

軍や警察は、左翼勢力の武装隊だけでなく、武装隊員を夫や息子に持つ家族まで粛清の対象にした(これを「代殺」という)。軍に盾突けばひどい目に会うということで、自分の娘を軍人や警察官に嫁として差し出す親も少なくなかった。「海龍の話」に出てくる主人公の母親は、家族を裏切り、まさに鎮圧部隊の隊員の「女」となることで命を生き永らえることができた。しかしながら、島民にとっての災難は軍警だけではなかった。左翼勢力の武装隊もまた、島民の生活を脅かすものであった。数的に圧倒的に劣勢である武装隊は、ハルラ山に籠り、徹底抗戦したが、食糧を得るために村を襲撃した。その際、非協力的な村には危害さえ加えた。「アスファルト」は、どちらかというと武装隊の暴虐ぶりを描いた作品である。軍に投降しようとした島民を拉致し、山へ連れ去った。拉致された男たちは武装隊の後方支援の業務をやらされた。また老人、女、子供たちは二カ月ものあいだ洞窟暮らしを強いられた。島民を全てアカだと思い込んでいる軍警に見つかっても殺されるかもしれないし、だからといって武装隊も島民を道具として利用するだけだ。済州島民にとって逃げ場はどこにもなかった。玄基榮は、無惨にも消えてしまった、この島民の儚い命の一つひとつを鎮魂するように作品内で彼らの魂を描いている。

 

2000年5月に「済州四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」が施行された。これによって済州島四・三事件での犠牲者の名誉が回復された。しかし、この事件の犠牲者とは一体、誰なのか。実はこの特別法では犠牲者の選別が行われている。特別法では、南労党の幹部と武装隊の首魁級を犠牲者からは除外している(『済州島四・三事件』岩波現代文庫、213頁)。たしかに武装隊と討伐隊の衝突により、無辜の島民が多数、犠牲になった。島民からすれば、彼らは加害者であって、犠牲者では断じてない。しかし一方で、四・三事件の被害者をイデオロギーとは無縁な島民たちであることを強調し過ぎることは、「左翼やアカであれば虐殺されても仕方がない、という論理にもなりかねない」(前掲書、214頁)。また、四・三事件後、三〇年もの間トラウマに苦しみ、そしてついにその記憶の暴力に体が耐えられなくって絶命した順伊おばさんのような島民は、犠牲者として認定されないのであろうか。この犠牲者の選別をめぐっては今なお議論がなされており、四・三事件が今なお現在進行形であることを物語っているが、おそらくこの議論が落着する場所は「赦し」であるかもしれない。「順伊おばさん」の主人公の叔父さんは西北会の一員であり、「道」では、主人公の教師が四・三事件で父を殺した討伐隊出身の老人と面会する。そこには相手の謝罪を期待し、場合によって赦そうとする被害者家族の苦しい胸中がある。もちろん家族を殺戮した者を簡単に赦せるわけがない。しかし、加害者の心からの謝罪で被害者の心がたとえわずかでも洗われるのであれば、そこに赦しの可能性はある。私は特に済州島に縁もゆかりもない人間であるが、この島で起こった悲劇が、人間の愚かさを戒め、過ちを犯したとしても私たちは前に進めるという歴史の教訓となることを切に祈っている。