765冊目『歌と映像で読み解くブラック・ライブズ・マター』(藤田正) | 図書礼賛!

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ネットフリックスで『13th 修正第十三条』を観た。修正第十三条は、奴隷制度の廃止を定めたもの。表向きは黒人を奴隷から解放するものであったが、実際には、これは黒人奴隷ビジネスの構造を維持する巧妙な仕掛けであった。修正第十三条には、何ぴとも奴隷的取り扱いを強いられないと定めているが、唯一例外規定がある。それは、刑務所の囚人である。1950年代には、20万人しかいなかった黒人の囚人が、公民権運動盛んなりし60年代以降、急激に増え始め、いまでは、200万人を超える黒人が米国の刑務所のなかに収容されている。米国民に黒人が占める割合は、わずか5%でしかないが、刑務所の囚人の実に4割は、黒人なのだ。公民権運動によって表向きは、人種平等は達成されたが、実際は、相も変らぬ奴隷制度がまだ続いている。黒人は黒人というだけで、恣意的な摘発の対象になり、刑務所にぶち込まれる。そして彼らの労働力にただ乗りする民間企業が多数存在し、米国の経済を回している。囚人ビジネスは、現代版奴隷制度だ。

 

一体、レイシズムはどこから発生してくるのだろうか。多木浩二『眼の隠喩』によれば、古代のギリシャ人が、インドやアフリカに怪物が住んでいると本気で思っていたのは、インドやアフリカが文字通り遥か彼方の向こうにあり、想像の領域でしかなかったからである。第二次大戦を戦った日米両国の当時の広告やポスターを見ると、やはり、敵国人を醜く描いたものが多いが、これも遠方にいる他者を容易にモンスター化してしまう例である。では、現代社会を象徴するグローバル化の到来は、レイシズムを解消する方向に向かうであろうか。多くの人が、ビジネスや留学や旅行で、自身の共同体を飛び越え、見知らぬ共同体に参入することで、その共同体にまつわる自らのステレオタイプの誤謬に気付き、他者像なるものが観念の産物でしかないことに気づくだろう。生身の他者との出会いは、他者のモンスター化を防ぐ役割を果たしてくれる。そうであれば、グローバル化を推し進めることが、レイシズム解消の最も確かな方法ということになるのだろうか。

 

兼子歩「一世紀前の『ヘイトの時代』から考える」(568冊目『レイシズムを考える』)は、レイシズムの問題を別の違った角度から照らし出している。一九世紀の米国南部では、黒人リンチが多数発生した。黒人リンチは、スペクタクル要素もあり、祝祭的行事として記念撮影すら行われていたというのだから、吐き気がする。ここで注目したいのは、目の前に他者がいたとしても、当時の白人にとって黒人は相変わらず「モンスター」であったことである。これは、なぜだろうか。当時の南部では、黒人奴隷を所有し、世帯主として妻や子供を養うことが白人男性の誇りであったが、南北戦争後、敗北した南部が、北部資本に流入を受け、南部ではそれまで家事に従事していた妻や娘が工場に働きに出るケースが増加した。この女性保護の喪失によって、南部白人の「男らしさ」は傷つけられた。そして、いま一度、その保護者としての「男らしさ」を復活させるには、保護すべき女性の外部に脅威が存在しなければならない。それが、黒人だ。「白人女性を性的危険から物理的に保護する存在になることで、『男らしい』白人男性という特権的地位を再確立することはできる。そのために、白人女性に対する絶対的な物理的・性的脅威としての『黒人レイピスト』という存在が創出されたのである。」(59頁)

 

兼子の論で興味深いのは、黒人リンチの背景に家父長制があり、それがレイシズムの供給源にもなっていたということである。そうであれば、レイシズムの問題の本質は、距離の問題よりも、家父長制に代表されるような既得権を手放さない社会構造の問題だということができる。まず、この問題について楽観的な見通しから述べておこう。スティーブン・ピンカーは、近年、台頭しているポピュリズムの背景には、旧道徳にしがみつく保守層と、自由と平等を重んずるリベラルとの価値観の衝突にあると見ている。ピンカーの見立てでは、保守がやがて退場し、リベラル的価値観がより浸透することでポピュリズムの現象が勢いを失うと述べている(527冊目『21世紀の啓蒙 下』)。ピンカーのこの見立てはあくまでポピュリズムについてのものだが、レイシズムについても当てはまる知見だろう。リベラルの価値観が、レイシズムを退場に追い込むのかもしれない。逆に、悲観的な見立てにも触れておかねばならない。ロビン・ディアンジェロは、「全ての人は平等」、「肌の色は関係ない」と嘯くリベラル派こそ、レイシズムをしっかり内面化していることを述べている(758冊目『ナイス・レイシズム』)。近年のレイシズム研究では、レイシズムを、悪意のある排外主義者による差別的言動だけを指すのではなく、特定の人種に優位になるように出来レースがあらかじめ組み込まれている社会構造の問題であることをしっかり言明している。米国社会は、政治、経済、産業、司法、アカデミズムといったあらゆる分野で白人優位社会を維持し、再生産をしており、リベラルのお題目は、この社会構造を温存する限りで唱えられてもよいことになってる。ピンカーが救済を見出したリベラル的価値観はすでにレイシズムに染められているのだ。レイシズムという厄介な問題に、解決策を出すのは容易ではない。なぜなら、レイシズムは要因は複合的であり、さまざまな力学がそこに働いているからである。私たちに出来るのは、レイシズムとは何かを様々な角度から考えてみること、そしてレイシズムは許さないという断固たる決意である。