527冊目『21世紀の啓蒙 下』(スティーブン・ピンカー 草思社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

 私は、国語講師として現代文の入試問題をよく解いている。出題される文章のジャンルは多種多様なので、とても傾向など論じることはできないが、それでもあえて雑にまとめるなら、入試現代文の特徴として理性や啓蒙主義に対する懐疑という性格を取り出すことができるのではないかと思う。人間を理性的存在だと述べたのはデカルトだが、そのデカルトを好意的に取り上げた評論はほとんどない。むしろ、現代の識者は、理性信仰による人間中心主義こそが現代社会のさまざまな問題を生み出していることに目を向けるのだ。

 

 そういう意味では、ピンカーのこの著作は、理性や啓蒙、ヒューマニズムこそが人類を幸せにしたのであり、今後も人類の進化、繁栄にとって拠り所にすべきものであると主張する本である。ピンカーからすれば、フーコーやアーレント、マルクスから始まり、今はやや下火になりつつあるポストモダン思想家たちが唱える近代や啓蒙への警鐘もほぼ杞憂だということである。世俗化した近代社会は、それまでの共同体から切り離された個人が、アノミーとして孤独で不安な生を抱えるようになったと言われる。しかし、実際は、より世俗化した国ほど、経済的にも豊かで政治的にも自由度が高く、国民の幸福度は高い。近代主義万歳なのである。

 

 しかし、ポピュリズムはどうなんだという反論があるかもしれない。2016年に米国では、まさにドナルド・トランプがそのポピュリズム的手法によって大統領にまで昇りつめた。フランスでも極右政党の国民戦線の躍進などがあり、理性による討議よりもフェイクニュースが支配した。一般的にポピュリズムは、既得権益を破壊するために経済的弱者のルサンチマンを焚き付けることによって、その運動を加速していく。しかし、実は、今のポピュリズムは経済的弱者によるルサンチマンではない。むしろ、ポピュリストの支持者は文化的な敗者の方だ(第20章「進化は続くと期待できる」。)ポピュリズムの正体は、伝統や習慣よりも自由や平等を重んじるリベラルの価値観が浸透することによって、その価値観から取り残された旧マジョリティからの反発なのである。そうであれば、ポピュリズムの今後は加速するのではなく、むしろ、その運動はどんどん弱体化していくと予想できる。

 

 最初の方に述べたように、私は仕事柄、近代批判が基調の入試現代文をよく読むので、これほどまでに近代を擁護する著者のピンカーの熱意に面食らいつつも、感動も覚えた。ただ、ところどころで異論もある。理性信仰のピンカーが合理的には説明のつかない社会契約論を信じていることはおかしいし(42頁)、豊かになるにつれて福祉などの社会支出にお金をまわすようになるワーグナー現象は、日本には当てはまらないだろう。それこそフーコーの生権力の視点で捉えるべき問題であるように思える。とはいえ、私もだいぶ反理性、反科学の言説に毒されているのだな、と思った。理性が時には狂気を起こすことを認めつつも、それをまた問題視し抑制するのも理性の力だろう。最後のピンカーの言葉を引いておきたい。「…この物語に必要なのは、死より生が、病気より健康が、欠乏より潤沢が、抑圧より自由が、苦しみより幸福が、そして迷信や無知より知がいいという信念だけなのだから。」(419‐420頁)