526冊目『軍が警察に勝った日 昭和八年 ゴー・ストップ事件』(山田邦伝 現代書館)  | 図書礼賛!

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 昭和八年、大阪の天六交差点で「ゴー・ストップ事件」が起きた。発端はこうだ。休日だった軍人の中村政一一等兵が、赤信号にもかかわらず交差点を横断。それに気づいた戸田忠夫巡査が再三注意するも、中村一等兵は聞こえていないのか、赤信号の交差点の横断をやめなかった。戸田巡査は中村一等兵を捕まえ、最寄りの警察署へ強制連行した。いくら軍人とはいえ、法の違反は不問には付されない。だから、本来どうということのない日常の一コマなのだが、これを軍が「統帥権の侵犯だ」と言い出したことで、事態は泥沼にはいってしまった。

 

 最初はささいなトラブルでしかなかったが、事態は軍部と警察とがそれぞれの威信をかけた争いにまで発展し、最終的には昭和天皇までが不安を表明するまでに至った。結論から言えば、最終的にはともに和解することによって事態は幕引きになったわけだが、そもそもが、軍人の信号無視を咎めたことすら統帥権の侵犯だという軍部の強引な理屈を認めた形であり、実質上、軍部の言い分が通ったという見方もできる。これを機に、軍部は公務外での統帥権を主張し始め、軍国主義へとなだれこんでいくことになる。

 

 それにしても、一体、なぜこんなことが起こったのか。実は、背景には軍の失墜が関係していた。ゴー・ストップ事件が起きるまでの国際政治の流れは軍備縮小である。ワシントン海軍軍縮会議(1921年)の流れを受けて、帝国日本でも、加藤友三郎内閣のとき、陸相・山梨半造が、約五個師団分の縮小を行い(山梨軍縮)、さらに加藤高明内閣のときの陸相・宇垣一成も、四個師団を一挙に廃止している(宇垣軍縮)。そのため、多くの軍人が失業者になり、不満を抱えていた。一部の軍人は、再就職先として学校現場で子供たちに軍事教練を行っていたが、これも「軍国主義の押し付けだ」と批判され、再就職先としての軍人を学校に配属することへの反対運動すら起きている(186頁)。

 

 昭和の時代というと、すぐに軍部独裁の時代だと思ってしまうが、軍縮時代においては、軍人が庶民から尊敬もされず、霞を食っていた時代があったのである。さらに、関東大震災の復興費用捻出のために軍人の給与も一律下げられたとあっては、もう踏んだり蹴ったりだ。ゴー・ストップ事件とは、いわば、不遇に甘んじきた軍人のルサンチマンが一気に爆発した事件だともいえるのである。ゴー・ストップ事件の二年前には満州事変が起きており、統制の効かない軍部の横暴が目立ち始めるが、これも軍部のうっぷん晴らしという観点から理解できる。ゴー・ストップ事件は日本史の教科書にも載っていないような事件なのだが、日本の軍国主義の萌芽という点では、二・二六事件よりも重要な位置を占めるといってもよいのだ。