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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

まだ試験も終わっていないながら、次の進路はどうするか?と考えている。

現在の経営コンサルの後は、最も職務内容が近い証券のバイサイドのアナリストという手もある。しかしながら、実業とは少し離れたこの領域で情熱が続くかといえば、少し分からない。やるとしたらインターン程度かもしれない。現代ファイナンス理論や運用や分析経験を磨き上げるという手もある。

二番目にベンチャーキャピタルという選択肢もある。といっても、日本でベンチャーキャピタル業単独は難しく、バイアウトや伝統的な運用そのものもやるし、もちろんハンズオンの投資も行い企業育成も行う。フォード基金のような立ち位置だ。前職と現職の両方の経験をあますとこなく活かせる。

三つ目は弁護士事務所なのだが、そこで弁護士ではなく弁理士の資格を狙っている。特許やビジネスモデルなどの知的財産とファンドとは融和性が高く、世界で注目されている分野の一つだ。できれば中国で、たくさんの実践経験を積み、語学と共に専門性を磨きたい。

やはり、僕にとって日本に居住するのは楽だが、半年もすると外に出たくなってくるようだ。

個人的には、35歳くらいまでは年収にこだわらない。経験重視でキャリアを積むことができれば、結果(お金)は追従する。そうすると、現在の年数百万円の差は後から眺めたら僅かな誤差となる。これは、ギャンブルでもなんでもなく、選択した戦略なのだから、下手にビビってこじんまりまとまってはいけないということだ。

とにかく、今現在、僕を受け入れてくれる環境があるということに感謝せねばならない。

世界に勝つためではなく、世界で負けないための語学力や一般教養や論理性が必要であり、それらはできるだけ若いうちに身につけた方が良い。

年をとってもっと自由に動き、もっとたくさんの魅力的な人たちとつながり、もっと社会に貢献できるように、30歳前後の今すべきことは、あまりにも多い。

今まで種まきしてきた多面的な経験をどう活かすか、統合させるか、この数年にかかっていると言っても過言ではなく、僕にとっては、将来仮にブレイクする時があるとして、その時よりもがんばらなければいけない期間である。


現在とあるイベントで、以前有名企業のデザイナーだったという、ニューヨークに在住しているクリエイティブディレクター(中年男)とやり取りをしている。

しかしながら、この人の仕事っぷりが酷いのである。

デザイナーとしてやっていく分には良かったのかもしれないが、マネージメントがまったくできなく、おさえるべきところをおさえられず、知的著作物に対してのリスペクトも感じられない。

正直なところ、基本的に能力がないならば、出てくるべきではない。仮に能力がなくてもそれを本人が自覚し、リカバーするような人でなければ、論外中の論外である。

社会は厳しいところもあるけれども、きちんと努力して謙虚である人には居場所が与えられるべきであって、上記のような人物にはオポチュニティを与えてはならないべきだ。

能力があってもなくても、経験があってもなくても、他者のことを思いやれて、きちんと努力ができる、いわゆるイイ奴と仕事をしたいものだ。
世の中は非常に多義的である。

幸せ一つとってみても、世界の人が思い描くものは千差万別だ。

しかしながら、そうとは薄々わかりながらも、世の中を多義的に運用するのは難しい。

こと資本主義という巨大なシステムを見ても、依然として一義的である。

一つのパワフルでスタンダードなモノの見方を手に入れると、
あたかもその見方ですべての世の中を語れるかのような錯覚に陥る。

パワフルでスタンダードなものほど、
そのものの影響力から外れていた人達が一度入り込むと
カルチャーギャップに衝撃を受けるがゆえに、洗脳されやすくなる。
多面的な見方を失うと、それが錯覚だとまず知ることができない。

パワフルでスタンダードなものが、ますますパワフルでスタンダードとなったとき、
その軸に居る人といない人との間で優劣が生じる。

優劣が生じると、優れたものの意見に耳を傾け、劣ったものの意見には耳を傾けなくなる。

それが実はついこの間のリーマンショックで終わった、アメリカ主導の資本主義であったのでは
ないだろうか。不幸の芽は、3.11の時から始まっていたはずだ。

多面性は現場に落ちている。ほんとうに落ちている。誰も隠したりしていないのだ。
ただ、それをわざわざ見に行ったりする人は少ないのだ。特に偉いと言われている忙しい人達は。

インド視察や中国視察なんていうパッケージツアーのような表面的なものではなくて、
現場というのはそんな旅行者気分では味わえないところにある。

僕は現実・現場主義人間として、これからもフットワーク軽く生きていくことをここに誓いたい。

歴史が度々証明したように、世の中を一元的かつ多義的に運用するのは非常に困難だろう。
なので、自分や有志の信念に基づいて一義を立ち上げ、それを運用する。それを繰り返す。

今のぼくにとってそれは、大きな仕組みやお金を動かすよりも、ボーダーレスな高級な仕事にただ
就くよりも、そのことのほうがずっとクリエイティブで、とってもエキサイティングなのである。

世界はただただ凄いスピードでボーダレスになってゆくのだから、その流れを受け入れながらも、
流されず、勢いを合気道のようにうまく使いながら、物事を楽しく実現してゆくこと。

その実現力を鍛え上げるのが、この5年の僕の最優先順位事項だろう。勝負はこれからだ。
今の職場で自分のあらゆる能力の不足さを痛感することが多い。

長距離を走るときのペースメーカーの重要性は大勢の人が認めるところではあるが、そのペースメーカーが不在の仕事というのは、新卒で入る会社の次以降は、実は誰もが多少なりとも通過するポイントなのかもしれない。

新しい環境では吸収すべきところは多い。これは非常に幸運なことだ。なかなかそういった環境に入り込めるものではない。つまり、そこは現在の自分がいる地点よりも上の地点の環境だということを意味するのだから。しかしながら、その条件として、多方面にわたり、優先順位をつけて取りかからないと、効率を損ねるばかりか、取り残され、上司や同僚たちからも信頼を失いかねない。

当たり前だが、超一流の人とは、その仕事のクオリティとスピードに、愕然とするほどの差がある。あまりの差に本当に愕然とする。赤子も同然なのだ。

「必ず追いつくので待ってて欲しい」という気合いを仕事でデモンストレーションしてゆく。不足しているものを同時にフォローアップできればいいが、そうもいかないので、実践の現場では可能な限りマルチにスキルを伸ばしつつも、業務時間外では一点のスキルを狙って習熟を目指し、虎視眈々と、より大きなチャンスを待つ。常に最短・最速を狙う。

当たり前のことであるが、僕のようにオフローダー人生を送りたい人間にとって、周囲のペースに合わせることはもはや関係なく、自分のペースしかないのであって、日々の自分のメンテナンスや振り返りが本当に大事である。もっとも、これらは多くは精神面の話で。

まだまだだけれど、今会得すべきはそこにある。
私は平凡な人間にはなりたくない。
自らの権利として限りなく非凡でありたい。
私が求めるものは、保証ではなくチャンスなのだ。

国家に扶養され、自尊心と活力を失った人間にはなりたくない。
私はギリギリまで計算しつくしたリスクに挑戦したい。
つねにロマンを追いかけ、この手で実現したい。

失敗し、成功し...七転八起こそ、私の望むところだ。
意味のない仕事から暮らしの糧を得るのはお断りだ。
ぬくぬくと保証された生活よりも、
チャレンジに富むいきいきとした人生を選びたい。

ユートピアの静寂よりも、スリルに満ちた行動のほうがいい。
私は自由と引き換えに、恩恵を手に入れたいとは思わない。
人間の尊厳を失ってまでも施しを受けようとは思わない。

どんな権力者が現れようとも、決して委縮せず
どんな脅威に対しても決して屈伏しない。

まっすぐ前を向き、背すじを伸ばし、誇りをもち、
恐れず、自ら考え、行動し、創造しその利益を享受しよう。

勇気をもってビジネスの世界に敢然と立ち向かおう。

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出典:Dean alfange(1899年12月2日生まれのアメリカの政治家)
  「アメリカ人であることが意味するもの」(翻訳者不明)