ビョークという“楽器”を取り込んだロックバンド
 かつてビョークが10代の頃に組んでいたバンドkukl(※参照)。2枚のアルバムを出して活動を休止した後、同じメンバーが母体となって結成されたのがthe sugarcubesだ。1988年にリリースされた『life’s too good』は彼らのファーストアルバムである。
 聴いてすぐに驚く。あのkuklとはまったく違って、ものすごくポップなのだ。『life’s too good』というアルバムタイトルもなんだかとても前向きだし、そもそもバンド名からしてポップでかわいらしい。これが本当にあのkuklと同じ人たちなのか?とにわかには信じがたい。
 全体としては、ギターサウンドが前面に出てきたことで、ロックっぽさが増した。独特の無国籍なグルーヴは健在だ。相変わらずさまざまな楽器、民族的なフレーズも使われている。だが、kuklではそれらを破壊的なまでに多用していたのに対し、sugarcubesではあくまで楽曲を構成するツールの1つとして、実に垢抜けた使い方をしている。sugarcubesは、kuklの持っていた呪術性を神秘性へと昇華させた、洗練されたオルタナティブロックバンドなのだ。

 このアルバムは全17曲入り。そのなかで1曲を選ぶなら、僕は3曲目に収録された、このバンドのデビューシングルでもある「Birthday」を挙げたい。すばらしい曲だ。
 バラードのようにも聴こえるし、ライブでは必ず盛り上がるロックチューンにも聴こえる。重低音をきかせたドラムのシャッフルに、不思議な音色をした管楽器が乗って、何ともいえない浮遊感がある。そして、ビョークのボーカルだ。ささやくように優しく、泣き叫ぶように切なく、魂を揺さぶる。もし僕に耳がなかったとしても、彼女の歌は聴くことができる気がする。
 なんて魅力的で不可思議なアーティストなのだろう。ビョークには「ボーカル」という概念が通用しない。彼女の歌声は、巧拙という次元を超越した、地上でただ一つしか存在しない楽器のようだ。

 アルバムには他に、モッズっぽい「motorcrash」やハードロックな「coldsweat」、ニューエイジっぽい「I want…」など、ロックという大枠のなかでも奥行きがある。ボーダレスなところは、『Debut』以降のビョークにも見られるが、その質は少し違う。
 sugarcubesはやはり「バンド」なのだ。
 2006年11月、sugarcubesは一晩だけ再結成をした。この「Birthday」リリース20周年を記念して、まさにBirthdayを祝福すべく、ビョークはじめ当時のメンバーが、故郷であるアイスランドのライブハウスに集った。
 You Tubeにアップされているその時の映像を見ると、sugarcubesがビョーク+他のミュージシャンなどではなく、一つのバンドであることが改めて感じられる。
 現在の彼女が持つボーダレスさ、縦横無尽さはソロという身軽さが可能にしていることだ。だがバンドとなればフットワークは鈍る。彼女の歌声をバンド全体で解釈し、一つの楽器へと取り込んでいかなければならないからだ。しかしその試行錯誤が、ソロでは味わえないビョークの魅力を引き出していることは確かだ。
 もし、現在のビョークしか聴いたことがないのなら、このsugarcubesをぜひ一度試していただきたい。

 kuklと書いてクークルと読む。『The Eye』はkuklのファーストアルバム。リリースは1984年。このバンド、ご存知だろうか。あのビョークが10代の頃に組んでいたバンドだ。kuklは同年に2枚目のアルバム『Holiday In Europe』を出して活動を休止する。ビョークはその後、kuklを母体としてthe sugarcubesというバンドを結成。数年間活動した後、93年にソロ名義で『DEBUT』をリリースする(このアルバムはソロデビュー作ではない。彼女はわずか12歳のときに、すでにソロ名義で『bjork』というアルバムをリリースしている)。その後の活動は周知の通りだ。
 ビョークは実にさまざまなジャンルの曲を歌う。だが、どんなタイプの曲を歌おうが、印象が雑多になったり、存在感が薄まることはない。逆に、どんなジャンルの音楽も彼女の歌声にかかれば、「ビョーク」になってしまうのが、彼女のすさまじいところだ。
 sugarcubes、そしてkuklはそんなビョークのルーツであり、彼女のファンならずとも必聴・・・と言いたいところだが、このkuklに関しては人に勧めるのを躊躇ってしまう。
 この『The Eye』を聴いた時の衝撃をどんな言葉で形容できるのか。
 「革新的」「アバンギャルド」などといった評価があることはすでに知ってはいた。が、そんな“生易しい”言葉で足りるだろうか。僕のなかにあった「革新的」という水準、「アバンギャルド」という概念をはるかに超えて衝撃的だった。
 とにかくまず、何と言うか、呪術的なのだ。曲という曲に、太鼓や笛といった民族楽器が多用されている。子供の頃、アフリカやアマゾン奥地の民族、あるいは日本の地方土着の祭礼を見て、恐れを感じたことはないだろうか。霊的な民族楽器の音色が、あの類の畏怖心を抱かせる。さらにそこへドラムやベース、ギター(当然ながら奇妙な音に加工されている)が加わることで、リズムは混迷し、フレーズは溶け、およそ譜面化できそうもない音楽となる。一体どうやってこんな曲を作るのだろうか。
 さらにこのkukl、メインボーカルはビョークなのだけれど、もう1人、スキャットともラップとも呼べない、狂言回しのようにリリックを喋る男性ボーカル、アイナーがいる。ビョークとアイナーの掛け合いが随所に出てくるのだが、とにかくまあ2人が絶叫する。シャウトではなく、絶叫だ。kuklを聴いた後だと「アナーキー・イン・ザ・UK」なんてちっともアナーキーに聴こえない。まさにアナーキー。まさにカオス。夢野久作の『ドグラ・マグラ』を思い出した。
 アルバム全体に漂う呪術性と民族性。それでいて特定の文化や民族、地域をイメージできない無国籍性。こんな、独特すぎるほど独特な音楽が、25年以上も前にあったなんてことを、どう解釈すればよいのだろう。
 ただ、このkuklという音楽性が、そしてビョークというアーティストが、アメリカでもイギリスでもなく、アイスランドで生まれたのは納得できるかもしれない。彼らの音楽には、マジョリティのカルチャーの中からは決して生まれ出ることのない、マイノリティゆえのアイデンティティの強さが感じられる。
 興味ある方は(覚悟のうえで)一聴を。

 ビートルズが1967年に発表したアルバム。
 花畑のような場所で、宮廷楽団のような衣装を着た4人が、古今東西の有名人の蝋人形に囲まれているジャケットはあまりに有名。
 
 『Sgt.Pepper~』はビートルズ初のトータルアルバム、と言われている。
 通常、アルバムは新曲がある程度溜まった段階で制作するか、あるいはレコード会社と交わした「○○年は×月と△月にアルバムを出す」といった契約によって機械的にリリースする。それに対し、トータルアルバムとは予めアルバムのコンセプトを決め、そのコンセプトに沿った曲を作り、然るべき順番に曲を配置するのが、トータルアルバムだ。
 現在ではコンセプト主導のアルバムなど珍しくもないが、当時はこの方法論は画期的だったらしい。しかも、当時は今と違ってアルバムのリリース期間は極めて短いため、コンセプトなどを設定する余裕はなく、その都度できあがった新曲を随時レコーディングしてアルバムにするのが通例だった。

 このアルバムは、4人がサージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツクラブバンド、という架空のバンドに扮している。このバンドによる一夜のショー、というのがこのアルバムのコンセプトだ。
 1曲目に自己紹介曲があり(ポールが「May I introduce to you“Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”」と歌っている)、その後10曲の“ショー”を経て、アンコールがあり、最後に、「A Day In The Life」という壮大な曲で締め括られる。
 トータルアルバムであるとかコンセプトであるとか、そういった予備知識なく聴いてみても、確かにこの『Sgt.Pepper~』には、前作『REVOLVER』までのアルバムにはなかった「ストーリー性」を感じ取れる。もちろん、ストーリーと言っても意味や情報があるわけではないが、全13曲、計40分全てをまとめて1曲であるかのような感覚が味わえる。これが『Sgt.Pepper~』を聴くうえでの醍醐味だ。

 なんといっても、曲順が素晴らしい。
 冒頭からのめり込んでしまう。アルバムのタイトル曲のラストから2曲目の『With The Little Help From My Friends』のイントロは切れ目なくつながっている。ポールのシャウトからコーラスを経て、「次はどうなるんだ?」と期待させておいて、絶妙すぎるほど絶妙なリンゴのボーカルの入り。
 続く『Lucy In The Sky With Diamonds』でカタルシスを感じた後は、『Getting Better』『Fixing A Hole』と少しコミカルになって肩の力が抜け、『She’s Leaving Home』で今度はグッと切ない気持ちにさせられる・・・。このような緩急がラストに至るまで計算され、制作されているのだ。
 そして、聴くたびにこの物語は表情を変える。今夜聴く『Sgt.Pepper~』と、明日の朝聴く『Sgt.Pepper~』とでは手触りが違うのだ。飽きるどころか、聴くごとに味わいが変化し深くなるのが、ビートルズの凄さでありこのアルバムが名盤と呼ばれる所以だ。
 無人島に行くならぜひとも携えたい1枚である。

 2008年にデビューしたイギリスの女性歌手、ダフィーのデビューアルバム。
 84年生まれなので24歳ということになるが、ジャケットの写真を見るとさらに幼く見える。ブロンドの小さな女の子だ。
 風貌から、軽快なポップミュージックを想像していたが、実際のサウンドはまるで違う。生易しくない。

 アルバム1曲目、タイトル曲でもある「ROCKFERRY」はオルガンの重厚な低音から入る。ベースが加わってさらに重みが増したところへボーカルが入る。
 イントロのただならぬ雰囲気で、すでに当初のイメージを覆されたわけだが、さらに驚きなのは彼女の声だ。容姿からは想像しなかった成熟したハスキーボイスで、ソウルフルなのだ。「ROCKFERRY」においては、前半は低く歌う。曲の後半の高音部分においても、彼女の声は伸びやかさを見せる。
 
 収録された10曲のなかにはソウルテイストな曲、ヒップホップ混じりの曲と、全体に黒っぽいサウンドではあるがさまざまなバリエーションがある。
 どの曲も切ない。明るく振舞っていても、陰が滲んでいる。重く響くベースやドラム、ピアノがずっしりと胸にこたえる。
 だが彼女の歌声は、その重いサウンドに背を向けている。ベースが切なく唸るほど、ピアノやギターが暗い陰を紡ごうとするほど、彼女の歌声は上空の雲を掴もうとするかのように、熱く熱く伸びていく。サウンドに寄り添わない彼女の歌い方は、荒れ狂う嵐に翻弄されながら飛び続ける渡り鳥のようだ。彼女の歌は胸に沁みる。

 ダフィーはイギリス南部ウェールズのネフィンという小さな村で生まれ育った。本人曰く「レコードショップもショッピングセンターもスターバックスもない、現代のカルチャーから隔絶されたド田舎」だそうだ。
 ド田舎にあって、唯一の音楽との接点はラジオだった。イギリスのラジオ番組の多くは、ポップス、ロック、R&Bなどとジャンルによる区別なく音楽をかける。50年代の曲が流れた後に、いきなり現代の米ポップスがかかる。そのような雑多な曲構成、ジャンルによる分け隔てのない音楽環境が彼女の才能を育てた大きな理由かもしれない。
 また、イギリスという国が持つ、豊穣な音楽的土壌も彼女が世に出る背景となっていると思う。仮に彼女がアメリカに生まれていたのなら、果たしてレコードをリリースすることができただろうか。
 アーティストとしてのダフィーという存在は、結果としてポップカルチャーに与しているものの、彼女の書く曲はどこか退廃的で、アイドルというよりもアーティスティックだ。洗練されてはいるが、非常にプリミティブである。イギリスの音楽に対する懐の深さが、ダフィーというアーティストを生み出した遠因であると思う。

 2枚目、3枚目のアルバムで、彼女の歌声とサウンドの関係がどのように変化をしていくのか楽しみだ。今後に期待を持たせる、瑞々しいデビューアルバムだ。


 おそらく多くの人がそうだと思うのだが、僕がoasisのCDを最初に買ったのは、世界中で驚異的に売れた彼らの2ndアルバム『Morning Glory』(95年)だった。当時高校1年生だった僕は、少し背伸びをして、ちょっとずつ「洋楽」というものを聴き始めた頃だった。その頃クラスで人気があったのは、BonJoviやMr.Bigといったアメリカのポップメタルバンドばかりだったので、洋楽のロックといえば、ギターはいかにもエレキという風に尖った形(ストラトタイプ)をしていて、音はキュイーンと高めに歪んでいて、長髪で黒の革ジャンを着ているイメージしかなかった。
 そんな僕の目に、oasisは最初、かなり異様に映った。使っているエレキギターは丸みのある形(グレッチやテレキャスター)をしているし、音はズゥゥンとやけに重いし、髪は短いしシャツを着ているし、どうもロックっぽくない。
 けれど、曲はインパクトがあった。ノエル・ギャラガーの書くメロディはクリアで聴きやすいのに中毒性のある独特の節があって、それを歌うリアム・ギャラガーの声は無機的なのに粘っこくて耳に残った。何よりリアムの、あの死んだ魚のような目をしながら歌う姿が強烈だった。髪を振り乱しながら超人的な速さでギターを弾く、そんなパフォーマンスこそがロックだと思っていたのに、曲の激しさとは無縁に俯き加減に演奏するoasisの方がずっとかっこよかった。
 思えば、ブリティッシュロックへと通ずる道へと僕を導いてくれたのはoasisだった。外見や派手なパフォーマンスではなく、初めてサウンドでロックスピリットを感じさせてくれたのもビートルズでもストーンズでもなく、oasisだった。
 だが僕はその後、oasisの熱心なリスナーではなかった。oasisを追い続けることよりも、未知のバンドを知ることの方に夢中になったからだ。U2やレディオヘッドは次から次へと新譜をリリースしていたし、過去の歴史を遡れば、それこそかっこいいバンドは星の数ほどあって、何から手につけようかと迷うほどだった。そんな時期にあっては、3枚目の『Be Here Now』も4枚目の『Standing On The Shoulder Of Giants』も、単に『Morning Glory』の焼き直しに聴こえた。昨年、ベストアルバム『Stop The Clocks』をリリースした時も、「ついにベストを出すほど落ちぶれたか」とネガティブな気持ちにすらなった。

 新作『Dig Out Your Soul』を聴いたのは、「久々にちょっと聴いてみるか」という、ほんの気まぐれからだった。だが、1曲目の「Bag It Up」から圧倒された。クールに刻むドラムにリアムの声が加わり、徐々にギターの厚みが増していく。そして、コーラスパート前のブリッジ部分で、それまで静かだったメロディが、押し殺していた興奮を開放するかのように一気にピッチを上げて、リアムが乱暴に叫ぶ。このあたりのメロディとハーモニーは、いかにも「ノエル節」だ。
 全曲通して強く感じるのは、ギター以外の音の存在感だ。特にドラムが重く、乾いていて、爽快なグルーヴを生み出している。相対的にノエルのギターは一歩下がった形になるが、それでも全ての曲は、紛れもなくoasisの曲になっている。これまでは、ノエルのギターとリアムのボーカルによって支えられてきた感があるが、ここにきてoasisというバンドのサウンドができあがったようだ。だがそれは、彼らが結成14年を経て得た円熟などではなく、むしろその逆で、よりバンドらしいバンドへと進む第1歩のように見える。