kuklと書いてクークルと読む。『The Eye』はkuklのファーストアルバム。リリースは1984年。このバンド、ご存知だろうか。あのビョークが10代の頃に組んでいたバンドだ。kuklは同年に2枚目のアルバム『Holiday In Europe』を出して活動を休止する。ビョークはその後、kuklを母体としてthe sugarcubesというバンドを結成。数年間活動した後、93年にソロ名義で『DEBUT』をリリースする(このアルバムはソロデビュー作ではない。彼女はわずか12歳のときに、すでにソロ名義で『bjork』というアルバムをリリースしている)。その後の活動は周知の通りだ。
 ビョークは実にさまざまなジャンルの曲を歌う。だが、どんなタイプの曲を歌おうが、印象が雑多になったり、存在感が薄まることはない。逆に、どんなジャンルの音楽も彼女の歌声にかかれば、「ビョーク」になってしまうのが、彼女のすさまじいところだ。
 sugarcubes、そしてkuklはそんなビョークのルーツであり、彼女のファンならずとも必聴・・・と言いたいところだが、このkuklに関しては人に勧めるのを躊躇ってしまう。
 この『The Eye』を聴いた時の衝撃をどんな言葉で形容できるのか。
 「革新的」「アバンギャルド」などといった評価があることはすでに知ってはいた。が、そんな“生易しい”言葉で足りるだろうか。僕のなかにあった「革新的」という水準、「アバンギャルド」という概念をはるかに超えて衝撃的だった。
 とにかくまず、何と言うか、呪術的なのだ。曲という曲に、太鼓や笛といった民族楽器が多用されている。子供の頃、アフリカやアマゾン奥地の民族、あるいは日本の地方土着の祭礼を見て、恐れを感じたことはないだろうか。霊的な民族楽器の音色が、あの類の畏怖心を抱かせる。さらにそこへドラムやベース、ギター(当然ながら奇妙な音に加工されている)が加わることで、リズムは混迷し、フレーズは溶け、およそ譜面化できそうもない音楽となる。一体どうやってこんな曲を作るのだろうか。
 さらにこのkukl、メインボーカルはビョークなのだけれど、もう1人、スキャットともラップとも呼べない、狂言回しのようにリリックを喋る男性ボーカル、アイナーがいる。ビョークとアイナーの掛け合いが随所に出てくるのだが、とにかくまあ2人が絶叫する。シャウトではなく、絶叫だ。kuklを聴いた後だと「アナーキー・イン・ザ・UK」なんてちっともアナーキーに聴こえない。まさにアナーキー。まさにカオス。夢野久作の『ドグラ・マグラ』を思い出した。
 アルバム全体に漂う呪術性と民族性。それでいて特定の文化や民族、地域をイメージできない無国籍性。こんな、独特すぎるほど独特な音楽が、25年以上も前にあったなんてことを、どう解釈すればよいのだろう。
 ただ、このkuklという音楽性が、そしてビョークというアーティストが、アメリカでもイギリスでもなく、アイスランドで生まれたのは納得できるかもしれない。彼らの音楽には、マジョリティのカルチャーの中からは決して生まれ出ることのない、マイノリティゆえのアイデンティティの強さが感じられる。
 興味ある方は(覚悟のうえで)一聴を。