おそらく多くの人がそうだと思うのだが、僕がoasisのCDを最初に買ったのは、世界中で驚異的に売れた彼らの2ndアルバム『Morning Glory』(95年)だった。当時高校1年生だった僕は、少し背伸びをして、ちょっとずつ「洋楽」というものを聴き始めた頃だった。その頃クラスで人気があったのは、BonJoviやMr.Bigといったアメリカのポップメタルバンドばかりだったので、洋楽のロックといえば、ギターはいかにもエレキという風に尖った形(ストラトタイプ)をしていて、音はキュイーンと高めに歪んでいて、長髪で黒の革ジャンを着ているイメージしかなかった。
そんな僕の目に、oasisは最初、かなり異様に映った。使っているエレキギターは丸みのある形(グレッチやテレキャスター)をしているし、音はズゥゥンとやけに重いし、髪は短いしシャツを着ているし、どうもロックっぽくない。
けれど、曲はインパクトがあった。ノエル・ギャラガーの書くメロディはクリアで聴きやすいのに中毒性のある独特の節があって、それを歌うリアム・ギャラガーの声は無機的なのに粘っこくて耳に残った。何よりリアムの、あの死んだ魚のような目をしながら歌う姿が強烈だった。髪を振り乱しながら超人的な速さでギターを弾く、そんなパフォーマンスこそがロックだと思っていたのに、曲の激しさとは無縁に俯き加減に演奏するoasisの方がずっとかっこよかった。
思えば、ブリティッシュロックへと通ずる道へと僕を導いてくれたのはoasisだった。外見や派手なパフォーマンスではなく、初めてサウンドでロックスピリットを感じさせてくれたのもビートルズでもストーンズでもなく、oasisだった。
だが僕はその後、oasisの熱心なリスナーではなかった。oasisを追い続けることよりも、未知のバンドを知ることの方に夢中になったからだ。U2やレディオヘッドは次から次へと新譜をリリースしていたし、過去の歴史を遡れば、それこそかっこいいバンドは星の数ほどあって、何から手につけようかと迷うほどだった。そんな時期にあっては、3枚目の『Be Here Now』も4枚目の『Standing On The Shoulder Of Giants』も、単に『Morning Glory』の焼き直しに聴こえた。昨年、ベストアルバム『Stop The Clocks』をリリースした時も、「ついにベストを出すほど落ちぶれたか」とネガティブな気持ちにすらなった。
新作『Dig Out Your Soul』を聴いたのは、「久々にちょっと聴いてみるか」という、ほんの気まぐれからだった。だが、1曲目の「Bag It Up」から圧倒された。クールに刻むドラムにリアムの声が加わり、徐々にギターの厚みが増していく。そして、コーラスパート前のブリッジ部分で、それまで静かだったメロディが、押し殺していた興奮を開放するかのように一気にピッチを上げて、リアムが乱暴に叫ぶ。このあたりのメロディとハーモニーは、いかにも「ノエル節」だ。
全曲通して強く感じるのは、ギター以外の音の存在感だ。特にドラムが重く、乾いていて、爽快なグルーヴを生み出している。相対的にノエルのギターは一歩下がった形になるが、それでも全ての曲は、紛れもなくoasisの曲になっている。これまでは、ノエルのギターとリアムのボーカルによって支えられてきた感があるが、ここにきてoasisというバンドのサウンドができあがったようだ。だがそれは、彼らが結成14年を経て得た円熟などではなく、むしろその逆で、よりバンドらしいバンドへと進む第1歩のように見える。